第47話語り手は郭嘉へ。司空のもとで私たちは生き返った
このところ咳き込んでいけない。
まあ、新しい武器の開発にいそしんでいるからね。煙が立つんだ。
毎日私は煤だらけ。服にもにおいがつく。色男が台無しだね。
おっと、材料は秘密だよ。
袁紹は、病死した。
建安七年(202)のことだ。
だからこれで戦は終わりだ。そう思うでしょう?
ところが、違うんだなあ。
袁紹のせがれどもがまだ、我が君と戦っているのさ。
袁紹は後継者を指名せずに死んだ。そのせがれどもに、袁紹の家臣たちがそれぞれついた。
せがれどもは最初、我が君と戦っていたけれど、やがて兄弟同士で攻撃しあうようになった。
我が君はそんな中、私に言った。
「李氏と昇のもとへ行ってくる」
私は笑顔でうなずいた。
「ごゆっくり」
私たちの会話は最近、一言ずつで足りるようになっている。
それでも、我が君と話すのは、私にとって純粋に楽しい。だから聞いた。
「ご子息はその後、間者の務めをなさっておられるのですか?」
「いや。あれ以降は任せていない。あまりつれ回すと、李氏が心配するからな」
「確かに。お二人にとって、だいじな一人息子ですしね。でも我が君のお子さんなら、一緒に働いてみたいものだなあ」
我が君は嬉しそうに笑った。
「おまえの子は元気にしているのか」
「奕ですか? ええ、おかげさまで病気一つせず過ごしておりますよ。子廉のところの馥や祥と仲良くさせてもらっています」
奕は馥より二つ年下、祥より一つ年上だ。三人で遊んでいるとまるできょうだいのようだ。馥は子廉に似て素直で明るいよい子だし、祥はとてもきれいな女の子で、病弱だけれど、臥せっていない時は活発でものおじしない。
言って、私はまた、咳き込む。
我が君が眉をひそめる。
「おまえが病気か?」
「今、新しい武器を試作しておりまして。そこで煙を吸い込んだためと存じます」
「熱心なのはいいが、体を痛めるなよ」
「はい。ご心配をおかけして、申し訳ございません」
私は素直に頭を下げた。
実を言うと、咳だけではない。
このところ、酒も以前のように量を呑めなくなっている。
「行ってらっしゃいませ」
「夜明けには戻る」
私は笑顔で我が君を見送った。
仕事部屋に戻り、試作品の片づけをしていると、文和どのが通りかかった。
姓名は賈詡。張繍に仕えていて、共に我が君に降伏なされたお方だ。
「あれまあ、遅くまで、精がでるねえ」
私よりも二十歳以上年上だけれど、なぜか馬が合い、よく話す。
「あたしゃもう上がるけど、おまえさんはどうするね」
「私もそろそろ上がります」
文和どのは私の部屋を覗き込み、露骨に顔をしかめる。
「うっ、なんだい、このにおいは」
「新しい武器を作っているのですよ」
「火事場と同じ臭さじゃあないか」
「ご明察。でもまだ内密に願いますよ」
扉を閉めた私の腕を、文和どのは引っ張った。
「ちょいとおまえさん」
いやに真剣な顔つきだ。
「何ですか?」
「あたしゃこんなこたあ滅多に言わないと決めているんだが、今日は言わせてもらうよ。おまえさん、これ以上こんなことを続けていれば、胸を病むよ。間違いなく寿命が縮む。悪いこたあ言わない。司空のご命令なら、お断りしな。おまえさんが好きでやっているんなら、ほかのやつに引き継ぐか、今すぐやめるんだ」
何人もの主君を渡り歩いてきたこのお方が、他人の心配をするなんて。
私は可笑しくなった。
ほほえむ私に、文和どのは血相を変えてまくし立てた。
「なに笑っているんだい、ええ? おまえさんが死んじまったら、あたしゃ誰と話せばいいんだい」
「化けて出てさしあげますよ」
「かーっ、冗談が下手だねえ」
私は文和どのを見据えた。
「私にとってこの武器の開発は、譲れない。これが使えるようになれば、物見が本隊まで走ってこなくても合図が送れる。つまり早く攻撃できる」
文和どのの私を見る目が、痛そうに、辛そうに、細められる。
「なんだっておまえさんたちは――司空の男どもは、そうまでするんだい。軍師も文官も将軍もみんな、司空のためなら死んでも構わないって働きをするじゃあないか」
「そんなの、決まっていますよ」
私はとびきりの笑顔で言った。
「司空のもとで私たちは生き返った。他の主君のもとでは、死んだも同然でしたからね。私だけじゃありません。文若どのも、公仁どのも、公明、文遠どの、儁乂どの。みんな、そうなんです。文則どのはご主君とうまくやっておいでだったけれど、我が君のもとにいる方が、彼の良さが活かされていますよ。仲康は降ったわけではないけれど、我が君に屯田を勧めて、それは私たちの兵糧を支えてくれています。公達どのは司空だからこそ活かせた。仲徳どのだってそうです。子廉や妙才、元譲どのや子孝どのは司空のご一族だけれど、きっと私と同じ考えでいると思います。だから私たち司空の男は、司空のために生きる。曹孟徳とは、それだけの男なのです」
熱く語り終えた私の前で、文和どのは面をうつむけた。
「典韋ってやつがいたねえ」
「ええ。私の友人でした」
「あたしが夜襲をかけた時に、死んだ」
私は口を引き結ぶ。
張繍は初め、降伏したあとに我が君の本陣を襲った。亡くなったのは典韋だけではない。
文和どのは夜空を見上げた。
「あの時、司空のご長男と甥ごさんも亡くなったんだってねえ」
私は言葉が見つからず、目線を下げる。
またたき始めた星を見ながら、文和どのはつぶやいた。
「それなのに司空は、あたしを迎えてくだすったんだねえ」
「あなたは人情の機微を熟知しておいでだから」
「司空にとっては、忠臣と息子の仇だよ」
言って文和どのは、ふっと笑う。
「あたしも司空の男に仲間入りってことかねえ」
「そうですよ」
私は強くうなずく。
司空の男――。
少しあとの話になるけれど、我が君は魏公に封ぜられる。
どういうことかというと、「魏」と呼ばれる地方が昔からあるのだけど、そこの領主になるということなんだ。
戦国の七雄にも「魏」という国があるので、区別するために、「曹氏の魏」つまり「曹魏」と呼んでいる。
我ら曹魏の男。
私たちが自らをそう呼ぶ日を、私は、私だけが、迎えることがかなわなかった。
これから私が語るのは、我が君と生きた最後の日々についてだ。
途中、子廉や李昇に語り手を変わりながら、あなたに聞いてもらおうと思っている。
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