第26話二人の息子

 厩舎へ走る。

 冑ははずしたが、体にはまだ甲冑をつけたままだ。

 途中で、曹昂にばったり出くわした。

 あざなは子脩。今は亡き劉氏との間に生まれた、おれの跡取り息子だ。

「いかがなされました、父上」

「許昌の夜の治安を確かめたい。少し一人で駆けてくる」

「はあ」

 昂はおれに似ていない。外見も内面も母親似だ。小柄で、丸顔で、鈍い。

「昂。今日は早く休め。疲れただろう」

 昂は悪びれずに答える。

「疲れていません。剣は苦手ですから敵を斬ってもいません。馬にしがみついているだけで精一杯でした」

 おれはもう、こいつと話をするのをやめた。

 昂はおれの正妻である丁氏のもとで養育された。昂の鈍さを丁氏は「純朴でかわいい」と言って、喜んで世話をした。丁氏は石女――子を授かることができない。

 その丁氏だ。

 おれが李氏をかわいがることを恨んで、李氏を無理やりおれから取り上げ、おのれの侍女にしたのは。

 そしてこの女はおれとの交合の一部始終を李氏に聞かせた。おれをあきらめさせるつもりだったのだろう。

 李氏がどれほど苦しんだか、この女には一生理解できないだろう。

 だからおれは典軍校尉を拝命した時、李氏を洛陽につれていったのだ。



 白の家に着いた。

 まだ明かりがついている。

 おれは、思い切って、李氏と洛陽に住んでいた頃に李氏と決めた回数、決めた間隔で扉を叩いた。

 すぐに扉が開いた。

 李氏が、目の前に立っていた。

 変わっているのは、髪の結い方だけだった。娘の結い方ではなく、夫がいる女の結い方になっている。

 李氏は胸に両手を当て、顔をほころばせた。

「――旦那さま……」

「李氏……」

 おれは扉を閉めるや、李氏と抱き合った。

 李氏の体は以前と同じようにほっそりとしていた。今は、柔らかさが少し増している。子供を産んだからだろう。

 唇を重ねかけて、おれは、微笑する白と目が合った。

 おれたちはあわてて離れた。

「いっ、いつの間に来た」

「ずっと、おりましたよ」

 李氏の頬は紅の色に光っている。

 白の隣には、彼の妻、姫もいた。

 姫がにやにやしながらおれに言った。

「若、この子をご覧ください」

 姫が一人の男の子を押し出す。

 おれは、その子を見たとたん、目を疑った。

 まるで、子供の頃のおれを見ているようだ。

 年は六つか、七つといったところだろうか。切れ長の目、通った鼻筋、引き結ばれた唇。

「昇……なのか?」

 その子が、目を見開き、口も開いた。

「おじさん」

 おれのことか。

 その子が続ける。

「どうして、おれの名前を知ってるの」

 やはりそうか。

 この子は、おれの、おれと李氏の、息子なのだ。

 李氏がその子に駆け寄り、肩を抱く。

 そしておれに向かって、李氏は言った。

「この子は昇です。旦那さまと、私の子です」

 次に李氏は、昇に顔を寄せて告げた。

「昇。お父さんだよ」

「このおじさんが?」

「そうだよ。昇のお父さん」

 昇は賢そうな目でおれを睨む。

 その目の強さにおれは、たじろぐどころか、逆に頼もしいと思った。

 この子は確かにおれの息子だ。無条件に確信できた。

 白が李氏と昇に近づき、優しく言った。

「昇。今日はこっちの家で寝なさい」

 李氏と昇は、白の家の離れに住んでいる。

 昇は白に目を移した。

「なんで」

 ほほえみながら答えたのは、姫だ。

「お父さんとお母さんは、これから二人で話をするそうだから」

「母さん、何の話」

 昇はまっすぐに李氏を見る。

 李氏は一瞬息を呑んだが、昇の目を真正面から見て、言った。

「お母さんは、お父さんと、ずっと離れていたの。だから、離れていた時の話をするの」

「おれは、いない方がいいの」

「昇には、まだ、わからないこともたくさんあるから」

「おれは、話さなくていいの」

「昇のぶんまで、母さんが話します」

 昇はまた、おれに目を戻した。

 おれも昇を正視する。

 昇が、目線をはずした。李氏から離れて、白のそばに近づく。

「どこで寝たらいい?」

「よし、こっちへ行こう」

 白に伴われ、昇は歩き去った。昇はおれを振り返りもしなかった。

 姫はおれたちに片目をつぶって笑い、白と昇のあとに続く。

「旦那さま、こちらです」

 おれを見上げる李氏の目は、甘く潤んでいた。



 李氏に最初におれが教えた務めは、甲冑のはずし方だった。

 李氏がはずした甲冑は今、戦袍と一緒に、床の上に転がっている。李氏が着ていた衣服もだ。

 おれの下で、李氏は、ほっそりとした肢体をしなやかに波うたせている。

 薄暗い寝室に響くのは、李氏の甘く切ない声と寝台がきしむ音、加えて、おれの口から漏れる息だけだ。

 李氏は柔らかく温かく、おれに吸いつく。おれを締めつける。

 おれは、おれの最後の一滴まで余さず、李氏に与えた。

 おれを包んで離さなかった李氏から、ようやく力が抜けた。



「昇は、なかなか、賢いな」

 おれはほめたつもりだったが、李氏は申し訳なさそうにおれの広い胸に顔を伏せる。

「まだ数えで六つなのですけれど、妙におとなびたところがあって。さっきもあんなふうな物言いをして……。申し訳ありません」

「いや、いい。むしろ楽しみだ」

「何が、楽しみなのですか」

「将来、おれを助けてくれるかもしれん」

 李氏はすぐには答えず、身を起こしておれを見た。

「旦那さま。許昌には、いつまでいらっしゃるのですか」

「ずっといる」

「えっ」

「これからは、いつでも、おまえや昇に会える」

 李氏の瞳が輝いた。

「ほんとうですか」

「ああ。ほんとうだ」

 李氏が笑顔になり、やがて、泣き出した。

 おれは李氏を抱きしめる。

 李氏も、ほっそりした腕で、おれを抱いてくれた。



 さて、これからおれは、おれたちの官職を決めるという大仕事がある。

 それを帝に認めさせるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る