第10話語り手は張遼へ。戦とは、飯を食うのと同じこと

 黄色い風が吹いてくる。

 黄河の方から吹いてくる。

 それだけではない。

 土煙が上がっている。

 目をこらした。

 旗がたくさん立っている。

 地平に、影が広がっている。

 戦だ。

 戦が始まるのだ。

 若い頃から「武勇に優れている」と言われてきた。

 ほめられているのだと思うが、嬉しいと思ったことは一度もない。

 わしにとっては、当たり前のことだからだ。

 武芸ができなければ、このご時世、生き残れない。

 そして、養う兵とその家族を、食わせてやれない。

 死ぬのが怖いか?

 怖いと、考えたことがない。

 死んだら、わしの運が悪かった。それだけのことだ。

「文遠」

 どすどすと足音がした。

 呂布だ。

 わしがいる、城門の上まで駆け上がって来たのだ。

 やつも、なかなかに見目のいい男だ。

 戟や弓の扱いは、わし以上の腕前だ。

 その、見目のいい男が、途方にくれている。

「曹操が来る」

 丁原、董卓、呂布と渡り歩いて来た。兵たちとその家族もつれて。呂布とは、戦を共にしてきた。

 だからわしにとって、戦は、飯を食ったり、寝たり起きたり、糞をひるのと同じことなのだ。

「怖いのか、奉先」

「怖くはない。しかし、今までと違うぞ」

「今までと同じだ。戦うだけだ」

「陳宮が、どう動くかを考えている」

 陳宮。

 曹操に従っていたのに、呂布やわしらに寝返った。

 なんでかは、わからない。

 やつも、わしらに語らない。

 しかも、やつは、呂布しか見ていない。

 わしがすぐ目の前にいても、わしがいないかのように物を言う。

 わしは、周りの連中の言うことやすることを、あまり気にしないたちだ。

 だが、陳宮だけは別だ。

 ほんとうにこいつとだけは、わしは仲良くなれそうもない。


 丁原も、董卓も、きちんとわしを見て、命令した。わしに意見を聞くこともあった。

 董卓は、暴虐ばかりが言い伝えられているが、わしら将兵にはきちんと恩賞を与えてくれた。命令も短い言葉で、何よりわかりやすく伝えてくれた。だからわしにとっては、良いあるじだった。

 董卓は、おのれの領地だけ治めていれば、うまくいったのだと思う。

 それを、太師なんぞになったから、調子に乗りすぎた。だから、恨まれたのだ。


 さて、目の前には、途方にくれた呂布がいる。

 こいつは以前は、もっと、堂々としていた。

 ところが、陳宮がついたとたん、臆病に変わった。

 だからわしは、言った。

 励ますでも、叱るのでもない。「今日の夜めしはこれだ」と伝えるような感じで、だ。

「行くぞ、奉先」

「まだ陳宮が指示を出していない」

「策も何もない。ぶつかる。蹴散らす。それだけだ。やつらをこの城へ入れなければよいのだ」

 呂布は、はっとしたように目を見ひらいた。

「わ、わかった」

「陳宮は、おまえの言うことなら、聞く。おまえから言って、打って出ろ」

「そうする。行こう、文遠」

「そうこなくちゃ」

 わしらは階段を下りた。


 案の定、陳宮がいた。

 わしが呂布の隣にいるのに、相変わらず呂布だけの前で震えている。

「曹操だ。曹操が来る」

 呂布はどっしりと構えている。

「文遠と打って出る。おまえはここを守れ」

「あいつら、いつもと違うぞ。やられるかもしれん」

 陳宮の顔は真っ青、冷や汗が粒になって額に浮かんでいる。

 わしは、陳宮の前に、ずいと体を出した。

「おい、陳宮」

 陳宮が、固まった。

 わしらは初めて目と目を合わせた。

 陳宮の冷や汗が、滝になった。

 わしは、言った。

 凄みをきかせたわけではない。あくまでもいつもと変わらない口調で、だ。

「蹴散らしてくる」

 陳宮、呼吸が止まっている。

 わしは陳宮の肩を、ばしんと叩いた。

「ひっ」

「頼むぞ」

 こうまでしてもやつは、わしに、一言も返さなかった。

 ちょっと期待したわしが、阿呆だった。

 こんな時、わしはそういう風に、考えることにしている。



 呂布が、赤兎の上にいる。

 赤兎は、あなたが生きる時代では、「赤兎馬」と伝わっていることもある。

 呂布の愛馬だ。

 あなたにも、見てほしい。

 やつと、赤兎が、一体となる様を。

 まるで、一幅の画だ。

 曹操の軍勢が、もう、一人一人の顔まで見える。

 戟の柄を右手に握り、呂布が、よく通る声で号令した。

「進軍!」

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