18

 その夜のこと。言い知れぬ不安を抱いてベラは床についていた。

 月明かりが差し込む中、プニカとモリィは既に寝息を立てている。

 

 "魔"


 そのことがベラの頭にこびりついて離れず、ぞっと背筋を冴え渡らせていた。

 落ち着かず身を震わせながら息を吐き、窓の方向からより目を逸らすように寝返りを打つ。 静寂の寝室に、ベラは自身の心臓が脈打っているのを聴いた。

 一人ではないのに独りという感覚をベラが味わうのは"秘法の塔"に来て以来のことであった。使命の許、家族から引き離されてからというものである。

 あのときは夜半、密かに寂しさから涙したベラだが、今ばかりは恐怖に囚われている。

 プニカかモリィかの身体を揺らせばそこから逃れられるものの、起こすことには罪悪感もあって出来やしなかった。

 だからベラは身体を丸め、肩を抱いて、ひたすら夜が明けるのをただ待っていた。

 --そんなときのこと。


『ベラ--ベラ……』


 聞き覚えのない声がベラの耳を唐突に突いて、飛び起きる。


「お、師匠……様……?」


 出掛けたはずのルブスの声に、ベラは困惑しながら辺りを見回す。そしてもう一度"白の子"を呼ぶ声が響く。


『ベラ--』

「!!」


 すれば、窓の方からそれは聴こえていた。

 差し込む月明かりの源泉に灰色の瞳は釘付けになる。困惑と恐怖とに瞼を見開いて。

 そんなベラに、師の声は言う。


『ベラ--あなたにだけ・・、特別な力を授けましょう』

「あ……え……?」


 それが何のことかベラが理解できないまま困惑を深めていれば、矢継ぎ早に問いかけが続く。


『使命も何もかも終わらせて……家族の元に戻りたくはありませんか? プニカとモリィばかり力を行使するのは、不公平でしょう?』

「あ……」


 葉の落ちて宿り木の様が風景露わとなるように、ベラは自らの胸中に膨らんで引っ掛かる情動に気付く。


「……」


 そのまま無言で、ベラは窓の外を見つめた。瞳に宿した光が揺れている。それを見抜いたように、声はベラに言う。


『ではこの窓を開けて下さい、ベラ。それで、力はあなたのものとなる』

「で、でも……っ! お師匠様、帰ってくるまで開けちゃダメって……!」


 すっかり混乱し、取り乱し、言動の上ずるベラだった。それを宥め諭すように、すなわちいつものように・・・・・・・ルブスの声は月明かりに併せ、慈しむ響きを発する。


『大丈夫。私が言っているのですから。何よりあなた自身を信じて。--さぁ、ベラ。窓を』

「あ……は、はい……」


 詰まった返事のあとで、川淵かわぶちに流るる水のように緩慢な動きでもってベラはおもむろに寝台から降り立つ。靴も履かずに裸足のまま、足裏に石造りの床の冷涼さを感じながらひたひたとベラは窓辺へと歩み寄っていく--

 その途中、横臥に黒髪を流すモリィの後ろ姿を灰色の瞳は見た。同じように身を横たえる赤い癖毛を捉えた。それから窓の外に浮かぶ満月を見上げた。

 プニカの寝台のきわに膝を掛け、窓の取っ手にそっと、恐る恐る手を触れる。


『さぁ、ベラ--』


 師の声は"白の子"に再度、促した。

 ベラはためらいつつ、窓を押して開け放つ。

 すれば。


「はーっはははははははははははっ!!」


 男の高笑いと暴風とが部屋の中へと荒み吹き入り、ベラの白金の髪を宙へ舞い踊らせる。


「きゃあ!」


 悲鳴を上げて、後ずさるベラ。寝台のきわに掛けた膝が外れてふらつくベラの背後から、あたかも風が、低く語りかける。


「おい」

「!」


 驚いたベラが後ろを振り向いても、そこには誰にもいない。もはやこの瞬く間に風の余韻すら消え失せていた。

 ついに困惑を極め、そこに硬直してしまうベラの右の耳元に男のささやく声が掛けられる。

「--絶対に開けるなと言われてただろう? ベラ」


 そこから、ベラの視界が端から急激に闇に侵され、意識も薄れ呑まれて--


「!!」


 はっと瞼を開けば、そこは明るい天井だった。慌てて起き上がると窓の方に首を振る。--ほっと胸を撫で下ろす。窓はしっかりと閉まっていた。


「ゆめ、か……」


 ベラは安堵に独り言とともに息をつく。

 しかしそれも束の間、何かが窓に飛来し硝子に衝突し、子らの寝室にばん! と鋭く叩き付ける音が響き渡った。

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