16

 "秘法の塔"の二階層、いつもより少し静かな教室にて。

 三人の子らは訓練室のもう一つ右隣に位置する教材室から二冊の本を持ち出していた。

 一冊は"灼魔の森"を表題とする、くすんだ赤い本である。

 そしてもう一冊は"古の魔"を表題とする、青ぼけた本である。

 題字の彫刻の上からなされた鍍金めっきも既に剥離しており、一見すれば何も書かれていないただ古いだけの背表紙をモリィが目でなぞることが出来たのは偶然であった。落ちる枯れ葉の変わりぐさが地面まで落ちるのに注視するように。


「--ん、おおむね分かった」


 "灼魔の森"に関する本を大雑把に捲り、印字の数々を黒の瞳で読み追ってからそう言って、モリィはぱったりようを閉じる。


「けほっ」


 黄ばんだ紙の隙間にすっかり滲みている古い埃のにおいを吸って、一度咳をしてからモリィは話を続ける。


「この本に書かれてるのは"森"の一般的な話。王都が出来る前の村々の争いから、王の祖アクィラが国をまとめあげて、そのあと火の魔性を"森"に封じて、"熱の秘法"で"赤"、"黒"、"白"の"継承者"たちが代々二百年に一度来る"熱"を鎮めて封印を守っているっていう」

「あんな短い時間でそこまで読んだの!? 少しずつ字、読めるようになってきたけど慣れるとそんな速さで読めるようになるの?」


 感心と関心とに灰色の瞳を輝かしベラが問えば、モリィはかぶりを振って答える。


「ならない。おおまかに流して、頭の中にある知識と照らし合わせて説明しただけ。別に大したことはしてない」


 言って、モリィは黒い瞳をどこか少し遠くへ向けて唇を尖らした。その視線の意味するところを察して押し黙るベラに、モリィは時をここに戻して再び言う。


「字が読めればすぐ出来るようになる。とくに、ベラならすぐに」

「そ、そうかなあ……まだあんまり読めないから想像つかないや」


 今度はベラが遠くに灰色の目線を投げかけて言った。ただしその先にいるのは目の前のモリィだった。--と、ここでベラはもう一つの視線に気付く。モリィを挟んで左隣に座るプニカが頬をむくれて眉を寄せ、面白くなさそうに翡翠の瞳を細めていた。


「はいはいはいは~い! 二人してまた私にわかんない話してる!」


 腕をぶんぶんと振りながらプニカは不満を露わに声を荒げた。そんなプニカに、モリィが少し考えてから問うた。


「何が分からないの?」

「私はぜんぜん字なんか読めないからいまの話がぜんぶわかんないよぅ!」

「全部? でも"森"の話は覚えてるでしょ? 覚えてないにしても、覚えてないと分からないは違うよ、プニカ」


 なだめ諭すようにモリィが話せば、プニカは頭を抱えて押し黙る。

 そんな二人のやりとりを見て、ベラはくつくつと震えこらえきれずに笑い出す。


「……なに?」


 訝る視線と疑問符をモリィがぶつければ、ベラは言う。


「いまの二人見てたら"熱の秘法"みたいって思っちゃったら面白くなっちゃって! お師匠様やるなって言ってたのに! もう! あはは!」

「どゆ意味? ベラ」


 首を傾いで面白くなさげにモリィが問えば、ベラは笑いの余韻を引き摺りつつ答えた。


「だって、プニカががーっと怒るみたいに言って、それをモリィが諫めたんだもん。それって"秘法"の訓練とおんなじだと思ったんだよ。--あれ? でもなんで"熱"を鎮めるためなのにプニカが灯せるんだろう? お師匠様なんか灯すのも鎮めるのも出来るし……う~ん」


 ベラは腕を組み、難しい顔をして考え込んでしまう。


「んー、言われてみれば確かに……なんでいままで疑問に思わなかったんだろう?」


 モリィも疑問を呈し、それについて考え込んで黙り込んでしまう。

 沈黙が流れ始める中、頭を抱え続けていたプニカが翡翠の瞳を輝かして突然立ち上がる。椅子の脚と石造りの床とが擦れる音に、モリィとベラが驚いて目を向ける。


「ど、どしたの? プニカ」


 やや困惑の色を覗かせて、ベラが問うた。すればプニカは興奮気味に答える。


「わかった! さっきベラが言ってたことがわかったよ! 熱くならないと冷たくならないんだよ! あとね、師匠は熱くて冷たい! でもきっとそれって熱くなりきれなくて、冷たくなりきれないってことなんだよ!」


 腕をぶんぶんと振って、プニカは熱弁を振るった。

 モリィとベラは顔をしかめて首を傾げてしまう。


「ん、んんー? プニカ、それは……どういう意味?」


 疑問困惑入り乱れて層状に、黒の瞳を泳がせるモリィが赤い癖毛の下へと問うた。ところが、である。


「モリィがわかんないことは私もわかんない! でもわかった!」


 屈託のない笑みをたたえて、プニカは答えになっていない答えを自信満々に返す。

 束の間、文字通り言葉にならない雰囲気が流れ、プニカとベラ、モリィとで時間さえ異にするようだった。

 当惑する二人を見て取り、初めて言動で圧倒したことを察して、プニカは得意満足げであった。

 そんな滝のような沈黙の中で、かろうじてベラが口を開く。


「と、とりあえずごはんにしよっか?」

「ん……うん」


 モリィは、ベラが塩が足りなくなったと察して、顔をしかめて頷いた。


「は~い!」


 プニカはやはり、元気いっぱい返事した。

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