15

「私が出たら言い付けを守ること。良いですね? プニカ、モリオン、ベトゥラ?」


 "秘法の塔"の一階層、外へと繋がる扉の前で弟子たちに振り返り、ルブスは言った。この朝、ルブスはアクィラアーラという国の王の許へと発つのだった。

 心配でたまらないといった様子で、もう何度目か分からない言い付けを師はもう一度三人へ説く。


「くれぐれも私の留守中に窓も扉も開けないこと。"秘法"の訓練をしないこと」

「いい加減に耳が痛くなってくる」


 モリオンことモリィはやや喰い気味にうんざりと、小さくかぶりを振りながら言った。そんなモリィをたしなめるように、ルブスは訓戒を述べ諭す。


「慢心は"魔"に付け入る隙を与えますよ、モリィ。受け取るべき言葉は素直に受け取りなさい、何度でも」

「んー……?」


 モリィはなにか不満そうに首を眉を寄せ、少し考える。そして釈然としない様子で、問う。


「……聞けずじまいだったけれど、"魔"って、なに? "灼魔"の話もあるし、なんとなく悪いものだっていうのは分かるけれど」

「もう発たねばならないので、少しだけ説明しましょう」


 言って、ルブスは見えない教壇に立つかのように三人の弟子たちを見据え、小さな教授を始める。


「"魔"とは一義的な善し悪しで語れるものではありません。光に対して影や闇があるのと同じこと。そして誰の内にもあるもの。それが"魔"です」


 説明を受けた三人の子らは思い思いの方に首を傾げる。プニカは最初から何も分かっておらずきょとんと右へ、モリィはより不満げに瞼を絞って黒の瞳ごと左へ、ベトゥラことベラは己の内に問うかのように下へ。

 そして内向きに張り詰めた空間の糸を切るかのように、モリィが口を開く。


「んー、抽象的すぎてよく分からない。もっと具体的に言ってほしい」


 疑問を内に発するにとどまらず、委細明かすことを師へと要求する。然りとルブスは頷いた。


「例えば、毎朝のプニカです」

「へっ……!?」


 脈絡なくルブスの言葉が自分に向き、プニカは間の抜けた声を発する。


「私~!? って私~!?」

「違いますよ。話を最後まで聞いてくださいね? プニカ」


 ルブスは苦笑しつつ、説明を続けた。


「まだ眠いからまだ寝ていたい。そんな風な、誰でも持っている欲望。そこに付け入り差してくるのが"魔"です。そしてプニカが寝坊してしまうように、"魔"もまた誰の内にもあるものです」

「ん、ベラがスープに塩を入れすぎるのもそれっぽい」


 新たに興味を惹かれる対象を見つけたときのように、モリィはベラに黒い瞳を向ける。

 しかしきょとっとベラは瞬きを繰り返す。あたかも心当たるところはなく、不思議そうな様子で口を開く。


「あれ村の味にしてるだけだよ?」 

「私の舌の文化圏からすればあれは"魔"に付け入られてるとしか言いようがないけど」

「そうかなあ……私はずっとあの味で生きてきたからよく分かんないや」


 首を傾げ、ベラはそう言った。

 ルブスは二人のやりとりに微笑を浮かべ、解説の続きを口にする。


「二人の味覚の差のように、場所や時によって宿る"魔"にもちがいが出ます」


 そして笑みから真剣に頬を引き締めた。


「つまり場にも"魔"は宿り、そして時には意志をもち、目的をもち、やってくることがあるということです。"灼魔の森"のいわれはひとつの例ですね」

「"塔"の窓や扉を開けてはいけないのって、近くに"魔"が居るってことですか? お師匠様」


 おぼろげな不安を灰色の瞳に映したベラが問えば、ルブスは頷いた。琥珀の瞳には深刻そうな色が映っていた。


「ええ。"森"の方からこちらに目を向けています。いまも。よりにもよって私が外に出るときに。……いや、これもひとつの運命なのかもしれない。ともあれ戸締まりは--」


 そう言いかけたところで、扉を叩く音が響く。出立を催促する音だった。外には既に国の兵と馬車とが待機しており、痺れを切らしたようだった。


「私はもう行かねばなりません」


 後ろ髪引かれるようなようすでルブスは扉へと振り向いた。


「一応、兵士の方たちが扉の外を守っていますが、何が起こるか分かりません。"塔"に掛けた"熱の守り"だけが私の留守中の頼りです。言い付けたこと、絶対に守ってください。いいですね? 三人とも。それでは行ってきます」


 改めてルブスは三人の弟子たちに言った。


「は~い! またね師匠!」

「ん、わかった。行ってらっしゃい」

「必ず守ります! お気を付けて行ってきて下さい! お師匠様!」


 三者三様に笑顔で、淡々と、威勢よく師へと言葉を掛ける。見送られるルブスは伝え損なったことがないか探して手を、指先を逡巡させつ、扉を押し開いてよく晴れている外へと出ていった。

 そして扉が閉じる余韻を残し、"塔"の吹き抜けの天井まで静寂を引き摺った。

 誰が黙っていたか、その薄い膜を裂いてベラが唐突に口を開く。


「……行っちゃったね」

「ん」


 モリィが閉じた扉に黒い瞳を向けて、こくんと頷く。


「よぉ~し!」


 ここで、プニカが突然大きな声を出した。


「なんだか話はよくわかんなかったけど、頑張って早起きするよっ!」

「お、その意気だよ、プニカ! ……さっ、教室行こう! モリィ、本読んでー!」


 ベラが白金の髪を揺らしてモリィの方へ向き直り言った。すれば、モリィはもう一度頷いた。


「ん、わかった」


 そして三人の子らはいつもより静けさをたたえる"秘法の塔"の二階層へと足を向ける

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