14

 それはいつの日、いつの時であったか。

 そこはならの群落が若葉の鋸歯を霧の彼方からこの時間軸まで溶かす、早朝の光景であった。 霧の軸を奥に向かってしばらくそして点を取らば、樹木の群れの中に立ち枯れて朽ちかけるものが一つ、忽然と現れる。

 そして先端鋭利なる細い枝に何か異物が刺さっている。

 それは乾燥していびつに身体をくねらせ果てる、一匹のトカゲだった。


「ああ……早贄、か」


 唐突に、男の声がした。

 その姿はといえば人一人の大きさをなす暗いもやそのものであり、はっきりとせず輪郭が不明瞭でさりとて霧の中に穴の開いているかのようでもあった。そのはしっかりとトカゲの亡骸に向けられている。

 何を思い感じているものか、ふとしたとき視線が左方へと動く。


「お前らと、同じ・・だな」


 嘲るような鼻に抜ける響きをもって声は言った。

 視線と言葉との先にには灰色の、表面がごつごつと荒削りの三つの四角柱があった。それは石碑であった。そこは静寂であった。しかし楢の木々の間を確かそれらのこえが縫い付けるように響き渡っていた。まるで歌うように。

 あたかも過去が霊となり、いまこの場に憑依していた。まるで奏でるように。

 暗い靄は心地よい音を聴くようにそれらにを傾け、弾んでいた。そして唐突に、

「ああそうかそうか! それは至極真っ当だ! 真っ当な望みだ!」


 今度は高笑いするような響きが霧の間を駆け抜ける。

 --だがぴたりと男の声の感情の木霊が止み、しんと静まり返る。静寂の間に石碑の念たちだけが聞こえずにひた鳴り続ける。

 そして暗い靄がおもむろに声を発する。


「ああ、俺が喰らうに相応しい馳走だ……」


 今度は地の底から来たるような低い声音を、恍惚と舌なめずりするように発する。それと同時に、靄の姿形がざわざわと動き始め、生ぬるい風を起こす。木々の枝を揺さぶり、あてられた・・・・・一羽のモズが飛び立ってざわつく暗い靄の周囲を、狂って渦を巻くように螺旋と羽ばたき廻り巡る。


「モズか。丁度いい。……いまからお前は俺の目だ。行け。あの"クサビ"を見てこい」


 声がそう発すると、モズは弾かれるように強く羽ばたき霧の彼方へと飛び立っていった。 そのようすを見送ると、暗い靄はいっそうざわついた。それは変身であった。


「俺もまた役どころに相応な姿をとろう。……おっと、虫では駄目だ。舞台が違う」


 そう独り言ちらば、靄は段々と人の形をなしていった。

 そうして出来た足で、うつりし影はどこかへ向かって歩き出し、やがて姿を消してしまった。

 木々と霧と静寂と、それらの間には音ならぬ石碑たちの念だけがどこにも届かずどこまでも響いていた--

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