3

 黒髪の子のほっそりと白い指先が本の頁を捲ったと同時に、じつに騒がしく左隣から声がかかった。


「モリィ! おっはよ~!」


 屈託なくお日様を思わせる笑顔をたたえる赤の子プニカが、椅子を引きながらそこにやってきた。


「おはよ」


 プニカの着席を横目にモリィ-ー黒の子モリオンはいつも通り素っ気なく挨拶を返し、夜フクロウの紋章が甲へ刻まれる左手でぱたんと青表紙の本を閉じる。


「おはよう、モリィ」


 続けてベラが右隣の席へ着きながらモリィへ挨拶した。


「ん、おはよ」


 やはりモリィは素っ気なく返す。

 そんな静かな態度も、プニカとベラと比べてやはり大人びていた。


「モリィはいっつも私にはわかんない本読んでるね~」

「そう? ふつうに勉強してれば読めるようになるけれど」


 "形而下における現代建築様式"という文字に目線を落として感心する翡翠の瞳に、不思議そうに小首を傾げてモリィは黒の瞳を向ける。


「それが出来るのはモリィだからだけどね。そんなの勉強したって読む気がしないって」


 かぶりを振り呆れたようにベラが言う。


「ん……ー?」


 いまいち理解に及ばない、といったようすでモリィは瞳を左右二人へ泳がせる。


「まあ、モリィはモリィだからね」

「だね~」


 ベラとプニカと、頷いて。


「そう」


 素っ気なくけれど、モリィは口元をちょっとほころばせて。

 今となっては川と岸と木とのような距離感で結ばれている三人も、"塔"で出逢うころはぎこちなかった。

 とくにプニカがモリオンを敬遠していたのだ。モリオン独特のよそよそしさに加えて、プニカの故郷には黒い瞳の人間はいなかったのである。全てを暗闇へと吸い込んでしまいそうな瞳に覗かれるたび、翡翠の瞳はどうすればよいのか分からずに空を泳いだ。

 他方、モリオンは王都のとある中堅貴族の末の子であった。ただ、日の目を見ない末の子であった。兄姉たちは何らかの分野で傑出した才覚を発揮させるも、モリオンにはそれがなかった。勉学など秀でてはいても、突出するところがなく平凡であった。

 そんなモリオンに訪れた、"熱の秘法"の継承者としての天啓。

 左手の甲に紋章が刻まれ、その一人として選ばれたことは転機であった。

 ところがいざ"塔"へと来てみれば、いままで日の目を見なかった立場まで一転する。年齢も身分も、プニカとベトゥラの二人よりも上だったのだ。兄や姉の陰から突如日の下へ。

 どうすればよいのかモリオンは困惑し、その上赤の子は自身に対して一歩も二歩も引いているのが分かるほどだった。

 幸いにも、ベトゥラが物怖じしない性格であった。


『私のことはベラって呼んで! あなたのことはモリィって呼ぶから!』


 モリィがベトゥラをベラとためらいなく呼ぶまでに時間を要してから、ようやくプニカとも距離が縮まった。


『もっと怖いヒトかと思ってたよ~! 静かなだけだったんだね! 私もモリィって呼んでいい?』


 プニカモリィとを繋いだのがなによりベラだった。自分のことを話し、それぞれと他愛なく話し、三人一緒のときに少しずつそれぞれの話に接点を持たせて。

 かくして氷の溶けるように三人のぎこちなさは緩み、自然体となっていったのである。

 そしてモリィはほんのちょっとだけ"背伸び"することが出来たのだ。


「--今朝はプニカ、すぐに起きた?」


 右隣のベラに、モリィは問いかける。


「んーん、いつもとおんなじ!」


 ベラは顔をしかめてかぶりを振って答える。


「あ、でも比較的早く目は覚めたかな。でもそこからダメ。着替えるまでにうだうだ、着替えてる途中にぐだぐだ。今朝はそっちが長かったよ」

「んー、まだ私の起こし方じゃ起きそうにないね」


 と、モリィはいつぞやの朝にプニカを眠りから起こそうとして失敗したときのことを思い出しながら口にする。それから左を向いて、モリィはばつの悪そうに唇を尖らせるプニカに言った。


「プニカ、もっと早く起きないと」

「だって、眠いんだもん」


 それがさも当然のように、寝癖に跳ねた髪を堂々とプニカは言ってのける。


「でーも今日は助かったぁ~」


 それから背もたれにどかっと寄りかかりながら、安堵の声を漏らす。


「まだ師匠来てないみたいで--」

「いますけどね」


 プニカの言葉を遮って、子らの背後から涼しげな声がした。三者三様に子らは振り返る。プニカは飛び上がるほどの勢いで、


「うひゃあっ!」

「あっ……」


 ベラは灰色の瞳を白黒させながら、


「……」


 モリィはじつに落ち着いてゆっくりと。

 三人の目の前に、時の止まったような真っ白な髪をして、琥珀色の瞳に冷たい光を宿らせ、プニカの翡翠の眼へと注ぐ人物がいつの間にか現れた。

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