4、最終試験

「それでは、【最終試験】をはじめましょう」

 教室の中は、ぼくとナカムラ先生のふたりきりだった。

 【最終試験】が始まってしまった。


 最後のまどろみの時間が終わると、ぼくの【宿泊室】の中にナカムラ先生が入ってきたのだ。

 こんなことはいままでになかった。先生はぼくに【最終試験】を受けるように告げて、そのまま【教室】へ連れてきてしまったのだ。

 いままで、ナカムラ先生に逆らったことなんてない。というより、逆らおうなんて思ったこともなかった。

 先生に命令されると体がすくんで、言われたとおりにすることしか考えられなくなるのだ。


 先生に逆らってはいけない。それはあまりに当たり前で、いままで疑ったこともなかった。

 ぼくはひとりだけの教室で机に向かっている。ほかのクラスメイトはどうしたんだろう? いつもなら教室にいるのに。

 机の上にあった紙をめくった。ぼくの名前が記入されている問題用紙がある。その内容は……いままでの試験と同じだった。あまりに簡単に思える。また満点だろう。いつも通りに受ければ。

 ナカムラ先生はじっとぼくを見ていた。目つきはいつも通りだ。期待とか興奮とか、そんなものままったく感じられなかった。


 ぼくは鉛筆を取らずに、自分の両手を見つめた。きのう、この手で彼女の言葉を聞いた。

《あなたは殺される。【最終試験】に合格したらね》

 アオイはそう言った。本当だろうか? 【最終試験】はもっと特別なことをするのかもしれないと思っていたけど、あまりにもいつも通りの試験で、拍子抜けしてしまった。合格しても、何も起こらないんじゃないかと思うくらいに。

 もしかして、昨日のことは夢だったんじゃないかという気持ちがぼくの中にわき上がってきた。

 夢の中でぼくを抱いている誰かに会いたいがあまり、起きているときにまで夢を見るようになってしまったとか……。


「シロさん。手が止まっていますよ」

 ナカムラ先生の声。背筋が逆立つようないつも通りの声だ。

 試験を受けて、合格すればナカムラ先生はいつものように褒めてくれるだろう。でも、受けてしまったら二度とアオイに褒めてもらえることはない。そんな気がする。

 ぼくはナカムラ先生を見た。昨日までは逆らうなんて考えたこともなかった。だけど、今はそこまで絶対的な相手だとは、どうしても思えなかった。


 ぼくはその場で立ち上がった。

「シロさん。何をしているんですか。座って問題を解きなさい」

 背筋がぴりぴりする。言われたとおりにしなきゃいけないって気持ちがわき上がってくる。だけど、ぼくは従いたくなかった。

「ごめんなさい!」

 ぼくはそう叫んで、走り出した。


「シロさん! 戻って試験を受けなさい!」

 ナカムラ先生が追いかけてくる。だけど、足はぼくの方がずっと速い。

 教室を飛び出して校庭へ。青い壁に囲まれた学校の隅に、孤独にぽつんと立っている鉛筆……白っぽい、焼却炉。

 今まで気にしたこともない場所だった。何に使うのか考えたこともない。

 焼却炉の取ってを掴んで開けた。中では赤い炎がごうごうと燃えていた。なのに、えんとつからは煙も出ていない。変だ。


 アオイはここが偽物の世界だと言っていた。

 炎が燃えているのに煙が出ない世界。なのに、顔を近づけると、ちりちりと熱を感じた。顔に熱気が押しつけられて、呼吸が苦しい。

 熱そうだ。入るのはイヤだなと思うと、戻って【最終試験】を受けた方がいいんじゃないかという気持ちが急速にわき上がって来た。


「シロさん! 戻りなさい!」

 思ったそのままのことを言いながら、ナカムラ先生が走ってくる。

 いますぐに決めないと。飛び込むか、戻るか。どっちを選んでも、もうひとつを選び直す機会はないだろう。

 ぼくは目を閉じた。試験に合格したいのだろうか? いままでそのために勉強してきたから?

 ううん、違う。ぼくの気持ちは決まっていた。


 アオイともう一度、手を繋いで離したい!


 焼却炉の中へ、ぼくは飛び込んだ。炎の熱気が、ぼくを包んだ。




 そして――


 ぼくは目を覚ました。はじめは自分がどんな状態なのか分からなかった。

 口が開きっぱなしになっていた。ぼくはチューブを咥えていた。頭を振ると、ずるりとチューブは抜けた。チューブの先からどろっとしたものが垂れる。

 他にもたくさんのチューブがぼくの体につけられていた。どうやら、ぼくはカプセルのような台の上に寝かされていたみたいだ。


 頭上を覆っているカバーを開けようと腕を伸ばしたけどうまくいかない。思ったほど腕が長くないのだ。

 しばらく試行錯誤してから、ぼくは両手足で台に踏ん張り、頭でカバーを押し開けることにした。力を込めるとカバーは簡単に開いた。

 ぼくはカプセルから出た。両足で立とうとしたけど、今度もまたうまくいかない。うまく立っていられないのだ。床に手を着いて四つん這いになった。


 まわりには他にもたくさんのカプセルが並んでいた。四つん這いのままでは何が入っているのか分からない。もしかして、ぼくと同じように仮想世界に繋がれていたクラスメイトたちだろうか?

 全身を伸ばして、カプセルのひとつを覗いてみた。その中には、チューブに繋がれたオウムがぐったりと寝ころんでいた。

 ぼくはオウムと並べられていたんだろうか?


 他のカプセルも覗いてみた。

 他のカプセルにも、いろいろな動物が横たわっている。チンパンジー、ブタ、カラス……ひときわ大きなカプセルには、なんとイルカが入っていた。

 どうしてぼくはこんなところにいたんだろう。アオイの言葉はきっと真実だったに違いない。ぼくはカプセルの中で、ずっと夢を見るみたいに現実じゃない場所を見て過ごしていたんだ。

 それから、壁の一面に大きなガラス板が嵌め込まれているのが見えた。ガラスのこっち側は明るくて、向こう側は暗い。だから、鏡のように部屋の中が映り込んでいる。


 それを見て、ぼくは気づいた。四つん這いでガラス板の真ん中に映り込んでいる姿――

 手足をゆかにつけて、耳をぴんと立てている。白と黒が混じった毛並み。舌を出して、ハァハァと息を吐いている。ぼくが首を振ると、ガラスにうつったそいつも首を振った。

 ああ、なんてことだ。

 ぼくの体は、どう見ても……犬だった。

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