3、アオイ
《私の名前はアオイ》
彼女はそう言った。
《ぼくはシロ……です》
《知ってる》
アオイがそっと微笑んだ。ぼくは今まで、そんな人間らしい表情を見たことがなかった。彼女は何かが違っていた。クラスメイトや先生とは違った。とても人間らしかった。
《聞いて。この世界は偽物なの》
ぼくが見とれている間に、アオイはとても大事なことを言ったみたいだった。
《偽物?》
聞き逃したのかと思って、ぼくはそのままオウム返しした。
《機械の中で作られた、仮想空間なの。あなたはそのなかにとらわれている》
《仮想って……どういうこと?》
《難しいわよね、知らない概念を獲得するのは……》
アオイは困ったように下を向いた。ぼくは彼女の言うことが分からないことがつらかった。でもそれ以上に、アオイが悲しそうな顔をしていることに耐えられなかった。
《アオイは、どうしてここに?》
《私は、あなたを助けるために来たの》
《助けるって?》
《【最終試験】を受けないで》
《どうして?》
アオイは口を閉じて、ぼくから目をそらした。何かとても言いにくいことがあるんだと思った。
《教えて。ぼくは今まで、なんのために生きてるのかよく分からなかった。試験を受けて合格したらすごく褒められるけど、ずっと何かが変な気がしてたんだ。【最終試験】に合格したらどうなるの?》
《あなたはとても賢いのね》
アオイがぼくを褒めてくれた。掌から伝わってくる声があんまり心地よいものだから、ぼくはとろけてしまいそうだった。
《あなたは殺される》
だけど、とろけてはいられなかった。
《【最終試験】に合格したらね》
《どうして?》
その時、遊びの時間の終わりを告げる鐘が鳴った。青い壁がゆっくりと紫へ変わっていく。
《時間がない。全部は説明できないわ》
クラスメイト達が何かを叫びながら【宿泊室】の方へ、いっせいに歩き出した。
《【最終試験】のあとはどうなるの?》
彼女は応えてくれなかった。代わりに、校庭の隅に立っている、白い煙突を見た。
《あの焼却炉に
《でも……》
もっと話を聞きたい。彼女が伝えようとしていることを知りたかった。でもそれ以上に、彼女と手を繋いで、『声』を伝え合うことがとても心地よかった。もっと話したい。
「シロさん、何を……」
ナカムラ先生が声をかけてきた。遊びの時間が終わっても動こうとしないぼくを不信に思ったのかもしれない。
《おねがい。私のことを信じて》
そう伝えて、彼女は手を離した。心地よい時間が終わってしまった。
彼女の姿がぱっと消えた。まるで最初から何もいなかったかのように、跡形もなく。
「シロさん?」
ナカムラ先生がぼくを見る。いつもの目。机や椅子を見る時と同じ目でぼくを見ている。
「なんでもありません」
両手にまだ彼女の温かさが残っていた。ぼくは両手を合わせて、少しでもその体温を逃がさないようにしながら、【宿泊室】へ向かった。
そのあとのまどろみの時間でも、あの夢を見た。
いつもと同じ夢だけど、違っていた。今日の夢の中では、ぼくを抱いているのはアオイだった。
夢の中のアオイはじっと僕を見つめながら、やさしく手を握ってくれた。そして掌を通じて、ぼくとたくさんの話をした。
どうして夢の中で話したことは忘れてしまうんだろう。彼女ともっと、ずっと、話をしていたかった。
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