2、てのひらのテレパシー

 最終試験は明日に決まった。

「最終試験に合格すれば、【卒業】ですよ!」

 ナカムラ先生がいつもの甲高い声で言った。

「卒業したら、どうなるの?」

「もう座って勉強しなくてもよくなるんです!」

 それがいいことなのかどうか、ぼくには分からなかった。授業は退屈だけど、遊びの時間とまどろみの時間だけになってしまったら、味気ない気もする。


 遊びの時間になった。

 クラスメイト達がわーわーと叫びながら色んな動きをしている。誰が何をしているのかに興味はなかったけど、この日、ぼくは一人で走り回ったりはしなかった。

 変化があった。

 女の子が立っていた。見たことのない子だ。


 クラスメイトのことは知っている。全員、顔は覚えている……名前は覚えてないけど。

 女の子はぼくの知っている顔じゃなかった。知らない人が学校の中にいるなんてはじめてのことで、ぼくはびっくりしてしまった。

 まわりは、彼女のことを気にしていないみたいだった。ぼくたちが動き回るのを見ているナカムラ先生も、あっちこっちに首を動かしているだけ。彼女のことが見えていないみたいだった。


 学校の外から来たのだろうか?

 好奇心が抑えられず、ぼくは彼女の方へ近づいていった。

「きみは……」

 ぼくが声をかけると、彼女ははっとしてぼくを見た。その目を見て、ぼくは何も言えなくなった。

 クラスメイトがぼくを見る時は、あざけっているような、いらだっているような、そんな目つきをする。ナカムラ先生がぼくを見る時は、まるでとるに足らないものみたいに平然とした目だ。

 彼女の目はそのどちらでもなかった。

 彼女はぼくを見ていた。ただそれだけのことが、ぼくにはとても大きな意味があるように思えた。ぼくがぼくとしてここにいることを、彼女は間違いなく見ていたのだ。


 動けないぼくの手を、彼女が急に握った。白くて柔らかな手。夢の中で感じた手に似ている気がした。

《話さないで》

 その手を通じて、彼女の気持ちが伝わってきた。

「えっ……!」

 何が起きたのか分からなかった。耳から聞こえる声じゃない。彼女とつなぎ合った手を通じて、頭にむかって声が伝わってくるのだ。


《離さないで》

 びっくりしたぼくが手を離そうとしたように、彼女には感じられたのかもしれない。でも、ぼくはしっかりと握り返した。彼女の手は温かかった。

《声を出さなかったら、中核セントラルに気づかれることはないわ》

 ぼくは彼女に返事をしようと思った。考えていることを喋ってしまいそうになるけど、喉にぐっと力を入れて堪えた。

《セントラル?》

 掌で返事をした。彼女のマネをしてみたのだ。こんなことができるだなんて、この瞬間まで気づかなかった!


《あなたたちを管理している……》

 彼女の目が動いた。その視線の先をぼくも見る。

《ナカムラ先生のこと?》

《そう。この中ではそうなってるのね……。あまり時間がないわ。全部は説明できない》

 彼女はじっとぼくを見ていた。ぼくも見つめ返した。彼女がぼくを見てくれるのが嬉しかった。ぼくも同じように返したかった。


《あなたに大事なことを話します》

 大きな予感がした。

 彼女の話を聞いてしまったら、何かが大きく変わってしまいそうな予感が。

 明日は【最終試験】だ。それに合格するためにいままでたくさん勉強をしてきた。もう少しだ。

 今まで通りでいたければどうすればいいかは分かっていた。手を離して声を出して、ナカムラ先生を呼べばいい。

 だけど……


 変わってほしい。

 曖昧と、漠然と、ぼんやりと過ごしてきた今までの生活の中から、彼女が連れ出してくれるなら。

 変わりたいと思った。

 だから、ぼくは彼女の手を握り続けた。

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