きみと手を繋げたら

五十貝ボタン

1、シロ

「満点はシロさんだけです」

 教室にどよめきが広がった。

「とてもよくできました! シロさんは次の【最終試験】を受けられます」

 ナカムラ先生が甲高い声で言った。教室じゅうの視線がぼくに集まる。


 クラスメイトたちは不満と不信を隠そうともしない。

「なんであんなやつが」

「ちびのくせに」

「自分だけ頭がいいと思ってるんでしょ」

 ぼくは下を見た。早くこの時間が過ぎ去ってくれるように願うしかなかった。


「静かになさい」

 ナカムラ先生が手を叩くと、みんなはぴたっと口を閉じた。

「シロさん。【最終試験】では、もっと頑張らなければなりません。努力を惜しまずに取り組んでくださいね。私も、シロさんの成長を心から願っています」

 これで励ましてるつもりなんだろうか?

 ナカムラ先生はぼくのことを見下している。先生の声を聞くと、背筋がぶるぶる震えて、ありもしない毛が逆立つ感じがする。


 動物園みたいだ。

 先生が飼育員で、クラスメイト達は動物。時々、ぼくは何かの間違いでここにいるんじゃないかと思う。


「とにかく、今日はこれでおしまいです。皆さん、日が暮れるまで遊んだら【宿泊室】に行ってくださいね」

「はーい」

 ナカムラ先生が授業を終わらせると、教室じゅうにどよめきが戻ってきた。いくつもの話し声が重なって耳に響く。ぼくは耳を塞ぎたくなった。


 学校って、本当にこういうところなんだろうか?

 朝、ぼんやりと目が覚める。【宿泊室】から【教室】に向かって、机に座って色々なことを覚えさせられる。時々【試験】があり、試験の内容はだんだん難しくなっていく。

 青い光の壁で覆われた【校庭】で走ったりボールを蹴ったりして遊んで、時間になったら【宿泊室】へ。宿泊室の中にある四角いベッドに乗ると頭がふわふわして、気づくとまた次の日になっている。

 このくり返しだ。


 学校の外はどうなってるんだろう? そんなことをよく考える。

 いちばん最後の試験が、【最終試験】だ。じゃあ、【最終試験】のあとには何が起きるんだろう?

 ぼくは学校の外に行くことになるんだろうか。覚えている限り、ぼくはずっと学校にいる。どれぐらいの時間を学校で過ごしているのかはよく分からない。二年か三年。そんなところだと思う。

 今まで行ったことのない場所は、この学校よりいいところだろうか。動物みたいなクラスメイトたちより、素敵な人がいるだろうか。

 保証はどこにもない。もっとひどい場所で、もっと意地悪な人たちがいるかも。


 そんなことを考えながら、遊びの時間の間じゅうあっちこっちへ走っていた。

 他の生徒と一緒に遊ぶのは好きじゃない。ぼくは体が小さいから、ボールの取り合いには勝てない。押されたり転ばされたりして、楽しくない。

 走るのは楽しい。自分の体を自分で動かしているって感じがする。他の誰かじゃなくて、自分が自分を動かしているんだって感じられる。

 時々、他の生徒がぼくをつかまえようとする。ふざけ半分で、みんなでぼくを追いかけてくるのだ。だけどぼくは捕まらない。誰よりも速く走って、その腕をかいくぐってやるのだ。


 遊びの時間が終わると、まどろみの時間だ。学校を囲む青い壁が紫色になり、学校の全てが暗くなる。ぼくたちは【宿泊室】へ行く。宿泊室は四角い部屋で、四角いベッドがある。何もかも真四角の部屋。

 その四角いベッドに体を横たえると、すぐにうとうとしてくる。

 ぼくはまどろみの時間が好きだった。クラスメイトも先生もいない、ぼくだけの時間だ。

 たいていの場合、まどろみはすぐに終わる。学校に朝が来るまで眠り続ける。だけど、ときどき夢を見る。ぼくはその夢が大好きだった。


 夢の中では、ぼくは温かい毛布に包まれている。優しい腕に抱きしめられて、何かを話しかけられている。何を言われているのか分からなかったけど、その声はとてもやわらかくて、ここちよい。

 無臭の学校と違って、夢の中では甘くてさわやかなにおいがしていた。そのにおいを嗅ぐと、夢の中のぼくはとても嬉しい気分になって、眠りに落ちていく。

 時々見るこの夢を、ぼくはぼくが赤ちゃんのころの記憶じゃないかと考えている。ぼくを包んでくれる優しい手はぼくのお父さんかお母さんで、ぼくが生まれたことを喜んでくれているんだ。

 きっとそうに違いない。


 できることなら……

 ずっと、夢の中に居たかった。

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