第3話

「話しておきたいこと、ですか?」

「はい、結婚した方にこんなこと言うのも変かもしれないんですけど、優希くんを幸せにしてあげてほしいなって思って…。」

「もちろんです。優希には必ず幸せな結婚生活を送ってもらいますよ。」


幸せ、と言っても優希はもうお金を求めて働き続ける必要はなく、ほしいものだって常識の範囲内であれば手に入るはずだ。

それに、愛情というものも子どもが生まれれば味わうことができる。

もう優希が幸せになることは決まっているようなものだ。


杏奈はそう思って春子の言うことに自信満々で即答した。


「そうですよね!すみません、急にこんなこと言っちゃって。私たちは本当に優希くんにお世話になったから幸せになってもらいたくて…」

「お世話になった、ですか。あの、具体的にどんな関わりがあったか聞いても良いですか?」

「はい、元々は私と優希くんが同じ施設で働いてるというだけの関係だったんですが、私が1人目を妊娠しているときに色々と助けてもらった経緯があるんです。」


話を聞くと、優希は春子が妊娠中に体調を崩したことをきっかけに世話を焼いてくれるようになり、部屋の片付けから食事、洗濯などの家事全般を行なってくれるようになったようだ。

※もちろん夫の剛からは許可を得た上で手伝いをしている。

しかも、その時の剛は自分の夢を追いかけることに必死で春子のことはあまり見ておらず、陣痛の時に春子を病院に運んだのも、その後に剛に本気で春子と子どもを大切にするように怒ってくれたのも優希だったため、木嶋夫婦、特に春子は心の底から優希に感謝しているとのことだった。


「そこまで深い関わりがあったんですね。でも、なんで優希はそこまで助けてくれたんでしょうか?それ以前に春子さんが何k助けてあげたりしたんですか?」

「いいえ、何も。ただ助けてくれたのよ。優希くんはただの良い人。だからこそ、私達は優希くんが傷つけられているのが我慢ならならなかったの。でも、そんな時に杏奈さんが優希くんの結婚相手として現れた。新しい幸せを手にしたんだってもう嬉しくて…」


そう言いながら春子は泣きそうになっている。

杏奈は他人のために涙を流す春子にも、ただ近くに住んでいると言うだけでここまで他人を支える優希が理解できなかった。


ただ、私にはそんな様子はないな…

私は他人以下ってこと?

…、そんなことはないか…結婚して少ししか経っていないんだし…きっとこれから…


「急にごめんなさいね、私自分の気持ちばっかり話して…、でも、お二人の幸せを願っていることは本当ですから!」


春子は半分勢いに任せて話す。話もまとまっていないし、今日ここで話すべき内容なのかもわからない。

今日初めて会ったばかりの人に「自分の夫が幸せになってもらいたい」と言われても戸惑うのが一般的な反応だろう。


「杏奈さん?ごめんなさい、私、失礼なことを…」

「いいえ、失礼なことはありませんよ。優希の新しい一面が知れてよかったです。もうそろそろ戻りましょうか?」


杏奈と春子は雑談をしながら優希と剛を探した。

ただ、杏奈はこの短い雑談の中で春子のことが好きになり始めていた。

少々強引なところもあるが、明るくて話しやすく、つい自分も話したくなってしまう。

杏奈は、気づけば敬語も忘れ始めている自分に驚きながら春子と一緒にいる短い時間を楽しんでいた。


数分後、杏奈と春子は優希、剛と合流した。


「おぉ剛よ、君は話しながら買い物をしようとは思わなかったのかね?」

「春子がカート持って行ったんじゃないか、しかも中身は何も入っていないし…」


剛と春子の夫婦はとても仲が良いように見える。

杏奈はそんな2人を自分と優希に置き換えて見ていた。


優希と私がこんな感じだったらどうなんだろう。

敬語なんて使わずに笑顔で他愛もない話をして冗談を言い合って…。

羨ましい…


「ふぅ、じゃあ優希くん、杏奈さん。私たちは買い物をしなきゃいけないから…、もう帰るでしょ?」

「あぁ、はい。僕たちの買い物は終わったので…」

「わかった!じゃあ、今日はこれで!杏奈さん、優希くんのこと頼んだわよ!さぁ剛、行こう。」

「うん。じゃあね、優希くん、杏奈さん。」

「あぁ、はい。」


杏奈は春子に話しかけられてはっとし、杏奈は気の抜けた返事をした。

春子はくるりと後ろを向いて行ってしまう。


「なんだか切り替えの早い人ね。あれだけ話していたのに…」

「木嶋さんはずっとあんな感じですよ。それよりも、何を話していたんですか?僕を頼むって言ってましたけど…」

「なんでもないわよ。特に何も…」


………


家に帰ると、優希は杏奈を部屋に残し、1人でフレンチトーストを作り始めた。


なんで私を部屋に残して作るのかしら…、せっかく夫婦らしく話でもしてあげようと思ったのに…

私のことをなんだと思っているのよ、仮にも優希は…


「あのー、杏奈さん?できましたよ、フレンチトースト。」

「あぁ、うん。」


急に声をかけらて驚き、杏奈は振り向いた。


………


「これが…フレンチトースト?」

「はい、どうぞ食べてみてください。がっかりはしないと思います。」

「…、う、んっ。」


美味しい、美味しすぎる。

綺麗な黄色い食べ物がはちみつでキラキラと輝いており、口に運ぶと外はカリッと、中はふわふわ。

はちみつがかかっている方はすぐにはちみつの甘さが広がり、いちごジャムがのっている方は優しい甘さに後からいちごジャムが追いついてくる。

和食にはない食べ物の衝撃が走り、杏奈は


「美味しいわ、ありがとう。」


という言葉しか発することができなかった。


………


「ご馳走様…、じゃあ、食後は少し休むわ。」


余韻で変な顔を見せてしまいそうになった杏奈は急いで部屋に戻ろうとした。

しかし、そんな杏奈を優希が呼び止める。


「あのっ!杏奈さん!」

「ん?何?」

「その…少しお話が…」


優希は何か決心したような顔をしている。

杏奈が聞き返す前に優希は話し始めた。


優希の話はとんでもないものだった。

その内容は、元妻の両親に会って話がしたいというものだ。

なんでも、結婚していた時から非常に元義両親とは非常に仲が良かったが、そんな元義両親が娘の浮気が原因で大変なことになっているため、話だけでもしたいと言うのだ。


話している中で優希が元妻に未練があるわけではないということはなんとなく伝わった。

それに、愛し合って結婚したのであればまだしも私たちの結婚は契約結婚のようなもの…

確かに優希の気持ちだけを見れば理解できるところもあるかもしれない…


「言いたいことは大体わかったわ…、でも、許可できない。」

「えぇ…?いや、でも本当に少し話すだけですよ?別にこれから会いたいとかそういうことじゃなくて…」

「そうね、優希は本当にそんな気はないかもしれないし、私が見張っていれば変な気を起こすこともないでしょうね。でも、周りはどう思う?」

「周り、ですか。確かに義両親の近所では噂になっているかもしれませんが…」


優希がそこまで言うと、杏奈は優希の言葉を遮って話し始めた。


「確かに近所の目も気にならないわけじゃないけど、私が言っているのは主に親戚のことよ。」

「親戚?」

「えぇ、次の当主は私がなる予定だけど、そんな中で私の夫が前の妻と会っているなんて変な噂が流れたらどうするの?」


杏奈は必死に最もらしい内容を考えて話す。


よし、筋は通っているわ。

優希には悪いけど、これ以上優希が…

いや、なんでもない。とにかく今は優希が元義両親に会うことを阻止しないと…


「じゃあ、僕は今元義両親には会えないんですね…。」

「そうね、悪いけど。」

「では、当主になった後なら良いんですか?杏奈さんが一緒にいても良いですから…」

「それは当主になってから考えましょう。前向きに考えてあげるから、この話はもう終わり、私はもう休むから…」


杏奈は部屋に戻ると、座椅子に座って大きなため息をついた。

1人になって落ち着くと、ふつふつと優希に対して怒りが湧いてくる。


元義両親に会いたいですって!本当にバカ!自分の立場っていうものがわかっていないの!?

結婚しているのは私!優希の伴侶は私!これから一緒に生きて行くのは私よ!


杏奈はしばらくイライラやモヤモヤといった感情と闘っていたが、ふと机に置いてあった小説が目に入った。

その小説は杏奈が最も気に入っている恋愛小説で、この主人公に恋をしていたものだ。


この主人公はヒロインのことだけを思っているのよね…

それに比べて優希って人は!優希にもこの主人公を見習って欲しいものだわ!


杏奈は優希と主人公を比べながら何度も読んだ小説を繰り返し読み始めた。


………


「杏奈ちゃーん!どこー?」


ん?この声は?


ドタドタドタドタ!

ガララッ!


「杏奈ちゃーん!!」

「明代さん!!」


明代さんとは、鈴野家で最も長くお手伝いさんとして働いている人だ。

しかも、母親の恵美が子育てを明代に丸投げしていたことで、杏奈は明代を本当の母親のように思っている人。


「明代さん、もう帰って来てくれたんですか?」

「えぇ、結婚したっていう報告を聞いたから飛んできたわ。いい男だったわね。あら?私が帰って来たのが嫌だったかしら?」

「嫌なわけがありません。でも、その様子だと優希とは会ったんですね。」


杏奈が優希の名前を口にすると、明代はパァッと顔を明るくする。


「優希くんって言うのね!漢字はなんなのかしら…」

「優しいに希望の希ですね。」

「いい名前ね!で?どこで出会ったの?新婚生活はどう?結婚式はまだ上げていないわよね、ぜひウエディングドレスを私に…」

「あっ、あの、結婚式の予定とかはなくて…」

「どーーいうことかしらそれはー、私がそれだけ杏奈ちゃんの結婚式を楽しみにしていたと…」


杏奈は明代に書く仕事はできないと観念し、優希と結婚した経緯を話した。

ただ、母親のような人と話しているとどうしても話し過ぎてしまう。

杏奈は途中から優希が元義両親と会おうとしているという不満を明代にぶつけた。


「正直、元義両親に会おうとしているって聞いた時はなんてやつだって思ったけど、浮気された過去があるのであれば色々と事情があるかもしれないわね。」

「事情ですか…、でも、どんな事情があるにせよ、元義両親に会いに行くなんて正気の沙汰じゃないですよ。私が優希の妻なのに…」

「ふふふ、杏奈ちゃんは優希くんが好きなのね。私がガツンといってあげようか?」

「いや!そんなことありませんけど!?それに、私自身で解決するから!本当に大丈夫!」


杏奈が焦って話すと明代さんはいたずらをしている子どものように笑う。


嫌じゃないけど、全て見透かされているみたいね…


「ふふふふ…それじゃあ!私は色々と恵美さんと話すことがあるから、失礼させてもらうわね!」


明代はそう言ってパン!と手を叩くと部屋の扉を開ける。

杏奈はまたいつもの明代に戻ったとホッとしたが、扉の向こうに立っている優希が目に入りギョッとした。


今の話を聞かれた?


「いやぁ〜ごめんなさいね〜、久しぶりだっていうのと杏奈ちゃんが結婚したっていう衝撃が強すぎてつい話し込んじゃった。」

「あぁ、大丈夫です。もう入っても良いですか?」

「いいわよ、じゃあ私は恵美様のところに行かなきゃいけないからこれで失礼するわ。」


優希が静かに部屋に入ってくる。

何か話し多そうにしている優希を遮り、杏奈は無理やり笑顔を作って話した。


「明代さんは不思議な人でしょう?」

「えぇ、でも、お手伝いさんですよね?」

「明代さんはちょっと特別なのよ。夕食までしばらく時間があるし、いいわよ、話してあげる。」

「随分と機嫌が良いようですね。杏奈さんのそんな顔初めて見ました。」

「あぁ、うん。まぁね…」


杏奈は優希との会話の中で話を聞かれていないか確認をするだけのつもりだったが、話しながら目の前に座る優希を目にすると優希に対する怒りが吹き飛びドキドキが止まらなくなってしまって、咄嗟に髪を耳にかけた。

杏奈が緊張した時や恥ずかしい時にする癖だ。


そういえば優希と2人で話すことになるのか…

異性と話すのはやっぱり変な感じがするのね、別に優希だから緊張しているわけではないけど…

でも、明代さんのことなら少しは…

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