第2話

「お話?」


杏奈は優希に聞き返す。

杏奈は正直驚いていた。見た目の割にナヨナヨしている優希がまさか自分から話しかけてくるとは…


「杏奈さん、辛くありませんか?好きでもない人とそういうことをするのは…」

「…、大丈夫よ、別に…、あなたは嫌じゃないの?」

「僕は嫌ではないですよ。でも…、お互いのことを知らないのにいきなり始めるのは正直違和感があります。」


違和感、ね。確かに相手が優希だということは不思議と嫌じゃない…、ただなんと言っても痛いのだ。

今まで味わったことのないほどに…


ただ、痛みに怯えているという事実を優希に知られることは耐えられず、杏奈は優希との話を早く終わらせようとした。


「悪いけど、あなたにわざわざ自分のことを話す気はないの。面倒臭いし、無駄だから。とにかく、私たちが今するべきことは子作りよ、しっかり食べてよく寝て、体力をつけておきなさい。」


杏奈は優希に冷たく言い放った。

話した後で言いすぎたと感じたものの、ごまかす前に優希が不満そうに話し始める。


「ふーっ、しっかり食べて…、ですか。」

「何よ、あなたたくさん食べるじゃない。それとも何?うちの食事に文句でもあるの?」

「そんなことはないですけど…、不満はないんです。とても美味しいですから…。でも、その…僕はこれまで洋食を好んで食べていまして…」

「洋食?」


杏奈は当然洋食というものを知っているが、ほとんど食べる機会はなかった。

その理由は、祖母が極端に洋食を嫌っていたという理由だ。

鈴野家では当主の言うことが絶対で、『洋食が禁止』と当主が言えばもちろんそうなってしまう。

母が当主になってその流れが変わるかと期待もしたが、杏奈の家は定期的に近所の農家や市場から良質な食べ物を仕入れており、その良好な関係を築くためにもなんとなく和食のみの食生活を続けている。


「洋食ね、私も数えるほどしか食べたことがないから魅力がよくわからないわね。」


本音を言うと杏奈は洋食に興味があったのだが、また強がって興味がなさそうに答える。

しかし、そんな杏奈の言葉に優希は全く予想外の反応をした。


「数えるほどしか食べたことがないって、洋食のことですか!?」

「ちょっと、何よ…、別に馬鹿にしたわけじゃ…」


杏奈も大人しかった優希がここまで大きな声を出すとは思っていなかったため、体をビクッっとさせて驚いていた。


「いえ、すみません。でも、そんなことがあり得るなんて…。はっ!じゃあ、フレンチトーストは食べたことないんですか!?」

「フレンチ…、は?」

「はぁ!?フレンチトーストを知らないんですか!?杏奈さん!それはダメですよ!!!」


杏奈はただただ驚き、目を見開いていた。

フレンチトーストくらいは杏奈も当然知っている。

ただ、優希の変わりように驚いて何も言えなくなってしまったのだ。。


「え…、え?」

「杏奈さん!明日の昼、僕のフレンチトーストを食べてください!材料は明日買いに行きます!今日は早く寝ますよ!!」


優希はそう言うと杏奈の肩を掴んだが、話し終えるとすぐに杏奈から離れ、自分の布団に戻ってしまった。


本当になんなんだこの男は…なんでこんな…


杏奈は、優希の二重人格とも言えるような変わりように呆気にとられてしまい、しばらく呆然としていた…


次の日…


朝から優希はバタバタと騒がしかった。


「ちょっと、優希!何よ、バタバタ動いて!」


朝のゆっくりしたい時間に忙しなく動いている優希にイラつき、杏奈は優希に文句を言う。


「フレンチトーストの材料を買いに行くんです。杏奈さんの家、フレンチトーストに必要な材料が足りないんですよ!」

「家にあるものでパパッと作れないの?少しくらい材料が足りなくても…」

「ダメですよ!何言っているんですか!絶対に買いに行きますから、家で待っていてください。」


そう言って部屋を飛びだそうとした優希を杏奈は引き止める。


「ちょっと待ちなさい!結婚するときの条件を忘れたの?あなたが外出するときは私が一緒に行くのよ。問題を起こさないように…」

「じゃあ早く着替えてくださいよ!」


杏奈が話し終わる前に優希はほぼ絶叫している。

いつもの杏奈なら自分に口答えをしたり、言葉を被せてきた時にはムカついて反論すものだが、優希の異常な様子に杏奈は押され、指示に従った。


数十分後…


「はぁ、なんで朝の9時から優希の個人的な買い物に付き合わされなきゃいけないのよ…」


窓の外の風景を見ながら自然と不満が漏れる。


「もう、いいじゃないですか。これからとんでもなく美味しいフレンチトーストが食べれるんですよ?そのために朝ごはんまで抜いてくれるなんて、俺感激してます…」

「朝ごはんを食べられなかったのはあなたが急かすからでしょ!」


杏奈はぴしゃりとそう言ったが、優希は気にする様子もなく、鼻歌を歌いながら外を眺め始めている

※ちなみに、優希は結婚したと同時に持っていた軽自動車を売ってしまい、杏奈も免許を持っていないため、買い物には運転手さんの運転で向かっています。


フレンチトースト1つでここまで舞い上がれるなんて…、本当に意味のわからない男…


「よぉーし!買うぞぉー!」


優希はスーパーを前にして意気込んでいる。


「ちょっと、ここってスーパーじゃない。」


優希は杏奈の手を引きながら、ハイテンションでスーパーに入って行った。


え?スーパー?


杏奈はただただ驚いている。


「でも、スーパーって安物の粗悪品しか売っていないところじゃ…」

「はい?安いのは確かですが、別に粗悪品というものはありませんよ?杏奈さんはスーパーにきたことはないんですか?」

「ないわよ…、調味料くらいは使っていたのかもしれないけど…」


杏奈は自身なさげに答えた。

今の今まで料理をしたことはないし、スーパーに買い物に行ったこともない。

許可が出なければ外出はできなかったため、近くにあるこのスーパーにも来たこともなかったのだ。

最初は本当に入るのかと不安だったが、そんな気持ちもスーパーの中に一歩入ると吹き飛んでしまった。


「杏奈さん?入り口に立っていると邪魔になりますよ?」

「あぁ、うん。なん…、何?これ?」


杏奈は目の前に並んであったチップス系のお菓子に近付いていった。セール中、と書いてある。

意味はわかる。ただ、こんな食べ物は見たこともないのだ。


「杏奈さん、このお菓子食べたことないんですか?」

「ない、けど、食べても大丈夫なの?なんかギラギラしていて体に悪そうだけど…」

「体に悪いのは確かかもしれませんが、たまに食べる程度であれば問題ないですよ。買いますか?」


そう言いながら優希は杏奈の答えを待たずにお菓子の袋を買い物カゴに入れた。

杏奈は買う必要はないと言おうとしたが、優希は杏奈の話を聞かずにズンズンと進んで行こうとした。


その時…


「あれ?優希くんじゃないか?」

「優希くんがいるわけないでしょ、何言って…えぇ!?優希くんだ!?」

「えぇ!?木嶋さんじゃないですか!」


野太い男性の声に杏奈と優希が振り返ると、2人の後ろには熊のような巨大な男性が立っており、すぐに女性が後ろから顔を覗かせた。

女性の方はどこかで見たことがあるような気もするが、男性の方は全く知らない。

ただ、さっき優希の名前を読んでいたのだから優希の知り合いなのだろう。


「ちょっと!なんでいるの!?優希くんとはすれ違いでやめちゃったから状況がわからなくて気になっていたのよ!?」

「そうですね、僕も気になっていました。出産は問題ありませんでしたか?」

「うん、2人目は安産だったからよかった〜。あっ、すみません、木嶋と申します。1人目の出産の時に優希くんにはお世話になりまして…」

「こんにちは、鈴野です。よろしくお願いいたします。」


木嶋夫婦は話している途中で杏奈に気づいて挨拶をしてきた。

杏奈も続けて自己紹介をしたが、杏奈が『鈴野』という名前を出した途端、木嶋夫婦はとても驚いていた。


「鈴野…って、あの鈴野さん!?じゃあ、結婚相手ってあの鈴野家の人だったの!?おめでとう!」

「どういう経緯があってそうなったんだ?」


木嶋さんの奥さんは驚きながらも祝福してくれているが、旦那さんは若干困惑しているようだった。

離婚してすぐに結婚したから驚いているのだろうか?

でも1年以上経っているんだから、あり得ない話ではないのでは?いや、あり得ない話か…


「今日は何しにきたの?ってスーパーにくる理由なんて1つしかないか…」

「春子、ちょっと落ち着きなよ。」


※春子(はるこ)とは、木嶋さんの奥さんの名前です。ちなみに旦那さんの名前は剛(つよし)という名前です。

今後はわかりやすく、春子・剛と名前で書いていきます。


「わかってるわよ!でも、幸せそうでよかった…、優希くんがいなくなった後もこのスーパーであの浮気者を何度か見ることがあってね、顔も見たくないから他のスーパーに行こうとも思ったけど子どもが生まれたばっかりだからやっぱり近くのスーパーで…」

「うんうん、春子、落ち着いてね。でも、本当におめでとうございます。優希くんが幸せそうなのはもちろん嬉しいですが、鈴野さんのお嬢様が幸せそうで何よりです。」


剛は早口で話す春子の背中をさすりながら話す。


「ん?剛さん、やっぱり杏奈さんと知り合いなんですか?」

「うん、本当につい最近の話なんだけど、鈴野さんはうちのお客様だから…」

「え!じゃあ、やっと開業したんですね!?おめでとうございます!」


なんの話だ?おめでとうございます?


杏奈が理解できたのは最初の浮気相手の話くらいで、その後は何が何だかさっぱりになっていた。


「優希、情報量が多いんだけど、ちゃんと説明してくれない?」

「あぁ、杏奈さん…すみません。ここでは少し邪魔かもしれないので、一旦外に出ましょうか…」


外に出ると、優希は落ち着いて杏奈に紹介を始めた。


「えぇっと、すみません杏奈さん。久しぶりにまともに話したので興奮しちゃって…。まず、こちらは木嶋さんご夫婦です。木嶋さんの奥さん、春子さんは僕が勤めていた施設の事務員さんとして働いていた方で、元々同じマンションに住んでいたことがきっかけで仲良くなりました。」


あぁ、そうか。どこかで見たことがあると思っていたが、確かに祖母の面会に行ったときに見たことがあるな…


「改めてよろしくお願いします、杏奈さん。優希くんには1人目を妊娠して大変な特にお世話になっていたんです。」

「そうですか、よろしくお願いします。」


杏奈はペコリと頭を下げる。春子さんもスーパーを出て優希が紹介している間に少しは落ち着いたようだ。


「そして、こちらは春子さんの旦那さんで、剛さんと言います。お花屋さんを開業することが夢だったようで、前会った時は期間工として働いていました。でも、さっきの話からするともう開業はしたんですよね?」

「うん、本当は少し前に開業したんだけど、優希くんには伝えるタイミングがなくてね…。ちなみに、鈴野さんの家は僕のお店のお花を何度も購入してくれているんだよ。でも、基本的にお手伝いさんかお母様としか話さないからね。杏奈さんのことも一度だけ見たことがあるんですけど、その時は気づいていなかったようだから…」

「あぁ、お母様が良いお花を持ってきてくれると喜んでいました。これからもお花は継続的に注文させていただくことになりますので、よろしくお願いいたします。」


剛と杏奈はそのまま2人で花について話し始めた。

花に無頓着な杏奈でさえ、頼んでいる業者を変えたのがわかるくらい印象的だったため、つい花について質問したくなったのだ。


「あの、なんでお花屋さんになりたいと思ったんですか?」

「あぁ、元々両親が花屋を営んでいたんですよ。でも、結局は潰れてしまって…。他の道もあったんでしょうけど、やっぱり諦めきれなくて…」

「なるほど、で、期間工というのは?」

「あぁ、期間工というのは自動車の工場で就業期間を限定して働く人のことを言うんです。3年で1000万円貯めれると話題になったこともあるんですよ。僕の場合はもっと長く働いていたんですけど…。」

「そんな働き方があるんですね、おめでとうございます。うぅ…」

「ありがとうございます、あぁ、冷えますよね。そろそろ中に入りましょうか?」

「えぇ、そうですね…」


話している優希と春子に杏奈が話しかける。


「優希、少し肌寒いわ。早くフレンチトーストの材料を買いに行きましょう。」

「フレンチトーストの材料を買いに来たの!?杏奈さん!優希くんのフレンチトーストは本当に絶品よ!じゃあほら、早く入りましょう!」


スーパーに入ると、再度杏奈はスーパーの中をキョロキョロとし始める。

野菜にお肉、漬物、お菓子となんでもある。


本当になんでもある。ついつい余計なものまで買ってしまいそう…、ん?この透明なドアの中に入っているのは?


「杏奈さんは何の冷凍食品が好きなんですか?私は最近餃子にハマっているんですけど…」

「冷凍食品?」

「…っへ?冷凍、食品…は、冷凍食品で…、え?あ、あぁ、鈴野家の皆さんは冷凍食品は食べない感じなんですね!」

「あぁ、はい。」


杏奈はこれを知らないのは恥ずかしいことなのかと不安になった。

もちろん、冷凍食品というものは聞いたことがある。ただ、実際に食べたことはないし、それがどんな味なのかも知らなかったのだ。


しばらく杏奈は春子にスーパーにある商品について質問していたが、急に春子が剛にこそこそ何かを話し始めた。

これまで優希と明るく話していた剛の顔が少しだけ曇る。


すると、剛と話し終えた春子がニコニコして杏奈に話しかけてきた。


「杏奈さん!スーパーの中が珍しいなら私と一緒に一通り見てみます?今日はちょうど色々買わないといけなかったから!ね!」

「あぁ、はい。ですが、その…」


グイグイ来る春子に杏奈は戸惑ってしまった。

今日初めてあったような他人であればともかく、優希に自分が無知であることを知られるのは恥ずかしい。


スーパの中を色々と教えてくれるのは魅力的な提案だけど、優希になんて言えば…


「ぜひ行ってきてください杏奈さん。僕といるよりも春子さんと話している方が楽しいでしょうから…」


優希が笑顔で話す。

女性同士で話してきてはどうか?という意味だろうか。

理由がなんであれ、優希と別行動でスーパーの中を見て回れるのだからそうさせてもらおう。


「あぁ、そう。じゃあ、そうさせてもらおうかしら…」

「えぇ、もちろん!さぁ行きましょう杏奈さん!!」


春子は杏奈と腕を組み、グイグイと杏奈を引っ張っていった。


しばらく、春子さんは杏奈を引っ張りながらスーパーにある商品を紹介してくれた。

春子さんは何も知らない杏奈にも明るく、優しく教えてくれたため、杏奈もすぐに好きになった。


「スーパーには色々あるでしょう?こんなに色々あるとついつい余計なモノを買っちゃうんですよね〜。だから極力剛と一緒に来るようにしているんですよ。私1人だとあっという間に家計が火の車になりますから…」

「確かに色々と面白そうなものがあります。特に洋食に目が惹かれましたね、思った以上に種類が豊富で…」

「洋食なんて優希くんに頼めばいくらでも作ってくれますよ?洋食がめちゃくちゃ得意だから、私たちの家にもよく作りにきてくれていたし…」

「そうなんですね…」


杏奈はモゴモゴとしていた。

そんなこと素直に頼めるわけがない。確かに優希は優しいから頼めばなんでも作ってくれそうなものだが、やっぱり恥ずかしい…


「あのね、ちょっとだけ杏奈さんに話しておきたいことがあったんですけど…

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