第3話 昭善と須弥代


1988年2月23日深夜、名古屋市緑区にある大高緑地公園の第一駐車場に一台のチェイサーが入ってきて、エンジンをかけたまま駐車していた。

中に乗っていたのは野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)、二人とも愛知県大府市内にある同じ理容店で働く理容師である。


昭善は床屋を営む家庭の出身で、中学を卒業してから理容師の世界にいたからすでに理容師のはしくれ。

年齢こそ若いがしっかりした考え方の持ち主で、将来は実家の店を継ぐつもりであり、父のために店の備品を自分の給料から出した金で購入するなど孝行息子でもあった。


一方の須弥代は定時制高校を卒業後に理容師を志していたからまだ見習いである。

そんな見習いの彼女から見た昭善は同い年ながらすでにいっぱしの理容師として働いていたから輝いて見え(昭善は早生まれで須弥代と学年は同じだったようだ)、なおかつ彼のさわやかで人に好かれやすいキャラにも魅かれたのだろう、自然と好意を持って同じ店で働く同僚以上の関係になって交際していた。

また、須弥代も親思いな女性で、両親のために貯金をする孝行娘である。


そんな彼らは将来所帯を持って、昭善の実家の店を二人で支えようと共に理容師修行に励んでいたのだから、滅多にいないほど健全なカップルだったと言えるであろう。

両家の親たちも反対する理由がなく、その交際は双方から歓迎されていたほどだ。


この前の日、須弥代は父親のチェイサーを借りて昭善を拾ったようだが、ハンドルは彼氏である昭善が握っている。

なお、須弥代は店の仕事が終わった後で同僚には今晩は昭善とデートに行くと告げていたものの、父親には「女友達の所に行く」と言っていたが、これは後ろめたいからではなく照れ隠しだったのだろうか。


昭善と須弥代の乗ったチェイサーが駐車する大高緑地公園は金城ふ頭同様デートスポットとして有名で、週末の夜にはカップルの乗った車が三々五々やってきていたが、この2月23日は日が変わった平日の火曜日深夜だったから他のカップルの乗る車は見当たらない。

しかし、むしろ好都合ではないか。

二人だけの世界に浸りに来たんだから他のカップルの存在など邪魔でしかないのだ。


だが、彼らはこれから邪魔どころではないことをされることになる。


お互いしか見ていない昭善と須弥代は夜が明けて早朝になりつつあった午前4時過ぎの時点において、ここから10キロ離れた金城ふ頭で起きていた凶行など知らない。

また、その凶行を犯した者たちが自分たちに迫り、すでにロックオンされていたことにも気づいていない。

そしてその一味の一人が暗闇の中でこちらに忍び寄って、ひとしきりうかがった後で木陰に向かって走り去ったことにも…。

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