第3話

 夕方からチラチラと散り始めた風花は、積もることなく夜闇に舞っていた。

 こんな寒い夜はコタツから片時も離れたくない気持ちが強まるけど、それ以上に猛烈に肉まんが食べたくて仕方なかった。なにしろ今週は、大神君成分が足りないのだ。

 初めて一緒に帰った日から、約束してもないのに一緒に学校を出て自宅まで送ってくれるようになり、慣れてきた頃合いで「気を付けて帰れよ」と教室で別れるようになった。

 理由はわからないけれど、一緒に帰りたいと彼女でもないのに駄々をこねるわけにはいかないので、とぼとぼと一人で帰り始めて一週間。

 もしかして大神君も私の事を……などと、かなり浮かれていた私は現実を思い知ったわけだが、一度知った楽しさが消えると寂しくて仕方ない。

 寂しさに浸っていると、ふっと大神君とはんぶんこした肉まんが恋しく思い出されて、私はエイヤッと気合を入れて立ち上がった。

 夜八時を過ぎの今なら、まだ人通りが多い時間である。

 寝る前に肉まん一個はいらない。半分でいいけど、弟に半分押し付ける手がある。

 居間にいた家族に「コンビニに行ってくる」と言うと、父も母も弟も、超高速で振り返った。獲物を見つけた肉食獣みたいな目で、そのままお使いを頼まれてしまった。

「気を付けて行ってきなさい。お財布を落とさないようにね」

「深夜零時を過ぎたら不審者が出てるみたいだから、遅くならないように」

「あぁ、女の人が道路に倒れてたんだっけ? 心配なら、ついてきてもいいよ」

 そろそろ三人目の犠牲者が出たらしいけど、怪我はないけど意識不明で入院しているらしい。大神君と一緒に帰れなくなった事に気を取られて、忘れていた。

「花の逃げ足なら大丈夫。体育祭でぶっちぎって、陸上部より早かったじゃん」

 けっきょく、買って欲しいものリストをメモ書きにして渡され、背中のリュックに防犯ブザーと武器になりそうな麺棒を刺して、独り寂しくコンビニまで歩く。

 やれやれと思いながら、大通りにある大神君との思い出のコンビニに向かう。

 家から三番目に近いコンビニなので、ほど良い夜の散歩になる。

 星のない夜だけど、街灯は綺麗だし、通り過ぎる車のライトも光の洪水みたいで、夜とは思えない明るさだった。

 てくてく歩き、角を曲がってコンビニが見えた時、あれ? と思った。

 コンビニ横にある石段を上っていく、獣耳の着物姿が見えたのだ。

 背中だけだったけれど、アレは大神君だ。間違いない。

 白い直垂に黒の手甲、フードのついた羽織をはおり、腰に日本刀を携えていた。

 袴部分を脛巾(はばき)で結び、刀剣ゲームみたいな実践向きの格好だった。

 なによりも驚いたのは、ふわっふわで光り輝く尻尾があった。間違いなく見事な尻尾だ。

 このところ足りていなかった大神君成分が、一瞬で充足した。

 深夜にコスプレをしているなんて、コレはもう追いかけるしかない。

 暗さにもめげず私が神社への階段を駆け上れば、そこは戦場だった。

 私は自分でも驚くぐらいの俊敏さで境内の植木の影に隠れたけれど、そこはゲームなんかより数倍は緊迫感のある、激しい戦場だった。

 ドロリと溶けた粘液みたいなものが、鞭のようにしなりながら大神君に襲いかかっている。

 大神君はスラリと太刀を抜き放ち、人とは思えない脚力で縦横無尽に動き回りながら、襲いかかる粘液を危なげなく斬り捨てていた。

 ヒラリと太刀がひるがえるたび、斬り捨てられた粘液はベチョリと地面に落ち、淡く白い光に包まれるよう空気に溶けていく。流星群よりも激しくキラキラときらめく刃筋は目で追いきれず、漆黒の泥を斬り捨てるさますら、ただただ美しかった。

 だけど、余裕がありそうな大神君でも、無傷とはいかなかった。

 難度か弾き飛ばされたし、ヒュッと粘液の鞭がかすった場所から紅色がにじむ。

 それでもひるまず刀を手にする大神君と、おぞましい化け物の手に汗握る攻防に、私はガンバレガンバレと心の中で応援しながら、背中の麺棒を取り出し強く握りしめていた。

 今の私は実際は家で寝ていて、コレが夢だと言われても信じるけど、それでも武器の一つぐらいは持っておきたい。ただの麺棒だけど、ないよりマシだろう。

 大神君が削り取るごとに小さくなる、沼のように広がった粘液の真ん中では、真っ黒な泥人間みたいなカタマリが、気絶したOLさんを抱いていた。

 ドロリと溶けた顔の目がある位置に、その身体を形作る真っ黒な粘液よりも濃い闇がふたつ、暗く濁ってよどんでいた。

 泥人間が動きを止めた、その時。

 跳躍した大神君が、獣のように咆えた。

 泥沼の中心、泥人間の足元に突き立てた刀身が、まばゆい光を放つ。

 暗闇も切り裂くような白銀の輝きは奔流となり、千切れ飛ぶようにドロリとした汚泥が消えていく。

 眩しさに目をすがめた私の前で、トサリ、とOLさんが地面に落ちた。

 黒から灰色に変わりつつある粘液の腕が、大神君に向かって伸びる、最後のあがきのような鋭く長い針となった瞬間。

 私は立ち上がり、手にしていた麺棒を振りかぶって投げつける。野球選手だったおじさんに教わった、上から振り下ろす投球フォームで狙いを外さない。

 ガツッと粘液にあるまじき硬い音を立てて、泥人間の顎が霧散した。

 異常な麺棒の破壊力に驚愕する私の前で、キラリ、と白刃が閃いた。

 下から斜め上へと半月のようにきれいな弧を描いて汚泥の塊を斬り捨てた太刀が、チンと澄んだ音を立てて鞘に戻された。

 サラサラと風に溶けて消えていく汚泥だったものはあっという間に見えなくなり、神社の境内の中で白銀の光を放つ大神君は、振り向いたけど怖い顔をしていた。

「花、こんなところで何をしている?」

「あ~えっと、大神君、こんばんはで、お疲れさま……?」

 めちゃくちゃ怒っている眼差しに、ひぃっと怯えた私は悪くないと思う。

 学校での寡黙な大神君の不機嫌な顔には慣れているけれど、耳と尻尾が本気の怒りモードなのを伝えてきて、言い訳すら浮かばなかった。

 なにか言いたそうにしていたけれど、結局ふいと横を向いた大神君は、スマホを取り出して誰かに電話していた。ほどなくして黒いスーツを着たおじさんたちが数人やってきて、倒れていたOLさんを連れて去っていった。

 私は無言でその様子を見ながらプルプル震えているしかなかったけれど、大神君はジーンズやコートといった、普通の私服にいつの間にか着替えていた。

 普通の服になっても、戦闘モードの余波なのか、ふわhっふわの尻尾はまだある。

 でも、惜しい。スマホで写真を撮りたいのに、許されず怒られそうだ。

 なんてことを考えながら現実逃避しているうちに、キュッと右手をにぎられて神社の階段を下りていた。

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