第11話 奇跡

「……さっきも言ったけど、あなたが生きたいと思ってくれるのなら私はその手助けができる。あなたはどうしたい?」


 しばらくの間、辺りを沈黙が支配する。

 木々のざわめきもあの笑い声も何も聞こえない。まるで黒猫の返事を静かに待っているよう。

 お願い、生きたいと言って……。


『ボクは……、怖い。ボクのせいで大切なひとがいなくなっちゃう。それに、ボクが生きていると大切なひとの心を壊してしまう。だから、怖い。……生きるのが、怖いよ』


 黒猫は泣いていた。

 心に負った深い傷はそう簡単に癒えるものではない。

 どうすれば良いのだろう? どんな言葉をかければ良いのだろう? どうしたら黒猫を救えるのだろう?


『大丈夫。あなたの心のままに、真っ直ぐな思いを伝えて。そうすれば愛し子もきっと——』


 女性の声……? どこから聞こえたのかな?

 どうやら黒猫には聞こえなかったようだ。

 どういうことなんだろう? ……でも、助言をしてくれたのかな。

 心のままに、真っ直ぐな思いを伝える……。


「……うん、怖いよね。私も怖い。父様が私のせいでいなくなってしまうかもしれないし、私が父様の心を壊してしまうかもしれない。そして、それと同じくらい怖くて寂しいと思うこともある。……それは永遠の眠りにつくこと。あなたの言う通り、全部なかったことになるのかもしれない。だけど、それってとても寂しくて怖いって私は思う」

『……そっか』

「それにあなたがいなくなってしまうことも怖いな」


 そう、怖い。目の前の生命がなくなってしまうことが。黒猫と言葉を交わせなくなることが。

 だから生きてほしい。

 これは黒猫のことをほとんど知らないからこそ言える自分勝手な言葉なのかもしれない。

 でも、だけど、……この思いが黒猫に届きますようにと願わずにはいられない。


『……うん、やっぱりボク死ぬのは怖いや。生きるのも怖いけど、それ以上に死ぬのは怖い。だって死んでしまったらお姉さんと話したことも全部なかったことになるんでしょう? ……だから、ボクは生きたい』


 生きたいって、言ってくれた。……よかった。本当によかった。

 これで、治癒魔法が使える。


 ——死の淵に居る者を治癒する時、その者に生きるという思いがなければ魔法は発動しない。

 「魔法のすべて」???ページ 属性魔法 光の章 第32節7項 完全治癒魔法についてより


「……ありがとう。生きたいって言ってくれてありがとう。これで、あなたを生かす手助けができる」


 魔法は明確なイメージさえあればなんとかなる。

 父様はそう教えてくれた。

 だから、明確なイメージを。黒猫を生かすイメージを。


『治せ、癒せ、全ての傷を。

 治せ、癒せ、全ての病を。

 治せ、癒せ、全ての呪いを。

 心を、体を、取り戻せ。

 笑顔を、未来を、取り戻せ。

 大丈夫、あなたの未来はきっと明るい。

 ——完全治癒フトゥールム・クレーデレ


 黒猫を、私を、白い光が包み込む。

 温かくて不思議と眩しくない、これは魔法の光。


 ——魔法は万能? 魔法は絶対? いいや、違う。

 魔法は奇跡だ。思いの奇跡だ。

 だから、頼りすぎてはいけないよ。奇跡は奇跡でしかないんだから。

 「アエテルニタス始まりの詩」264ページ 魔法という奇跡より


 光はゆっくりと収まった。

 黒猫の傷は癒え、すやすやと眠っている。

 体に力が入らない。まぶたが重い。魔力を大量に使ったから、かな。

 でも、よかった。これでもう、だいじょう、ぶ。

 そこで私は意識を手放した。




 ——永遠と名のつくこの世界は、永遠ではないもので溢れている。

 生き物、自然、時、そして人。この世界にある全てのものは永遠ではない。永遠に変わらないものなんて存在しないのだ。ひとつを除いて。

 特に人はよく変わる。姿、考え、心、命……。目まぐるしいほどの速さで変わりゆく彼らは私にとってとても不思議な存在だ。

 そんな彼らが永遠を見つける日が来るのだろうか。そのときが来たら私は彼らに会いに行こう。

 そうすればきっと独りではなくなるはずだから。

 「アエテルニタス始まりの詩」???ページ ■■の手記より

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