すれ違いの末に……
シンシアはエミリーやもう一人の侍女と共に、ネンガルド王国の王宮を案内されていた。
ナルフェック王国の王宮とは造りが少し違い、シンシアはそれらに目を奪われていた。
「こちらが国王陛下の部屋でございます。陛下は騒がしいのが苦手なので、この辺りではお静かに願います」
案内係がそう説明する。
シンシアはそれを必死にメモしていた。
(ティムがネンガルド王国の貴族に引き取られたからどこの家かを聞いて回りたいけれど、覚えることが多くてそれどころじゃないわね。メラニー王女殿下……いえ、メラニー王太子妃殿下の侍女としてこの国に来たのだから、まずはお仕事優先ね)
シンシアは心の中で溜息をついた。
ティモシーのことが気になったが、今は仕事優先である。
「では次の場所に移ります」
案内係にそう言われ、シンシア達はついて行った。
国王の部屋付近の曲がり角にて。
ティモシーは王家の者達や王宮にいる貴族達のカルテを確認しながら歩いていた。
そして曲がり角に差し掛かった時。
「ションバーグ卿、少しよろしいでしょうか?」
そこには宮廷薬剤師長であるモールバラ公爵夫人ベアトリスがいた。
ウェーブがかったダークブロンドの髪にサファイアのような青い目の凛とした女性である。
「モールバラ公爵夫人、どうかしましたか?」
「先程診察なさったヘレフォード子爵閣下の件なのですが、ションバーグ卿が指定した薬ではヘレフォード子爵閣下が常用している他の薬との飲み合わせがよろしくありませんが、本当にこちらの薬で良いのでしょうか?」
ベアトリスはヘレフォード子爵が常用している薬をまとめた紙をティモシーに見せる。
「ああ……申し訳ございません。見落としていました。モールバラ公爵夫人、ありがとうございます。お陰で助かりました。ヘレフォード子爵閣下に処方する薬はもう一つの飲み合わせに問題のないものに差し替えてください」
ティモシーは困ったように微笑んだ。
「承知いたしました。大事になる前で良かったですわ」
「ええ、本当に。これからは患者の方が常用している薬も念入りに確認します」
「よろしくお願いしますわ」
ベアトリスが疑義照会を
終わった頃にはシンシアは既に立ち去っていた。
一方、しばらくしてシンシア達が訪れていたのは王宮にある医務室。
(ここが医務室……もしかしたら私もお世話になるかもしれないわね……)
最近は喘息発作や風邪を引くことが少なくなってはいるが、普通の人よりも体が弱いシンシアである。
案内係が扉をノックして返事があったので、シンシア達は医務室に入る。
「失礼します。メラニー王太子妃殿下の侍女達を見学に連れて参りました」
「おお、そうかい。私は宮廷医長、サイモン・ジャイルズ・ポヴィスだ。君達、具合が悪くなったら遠慮せずここに来なさい」
宮廷医長のサイモンは人の良さそうな老紳士である。
(この人が宮廷医長……優しそうな方だわ)
サイモンの朗らかな笑みに、シンシアは安心感を覚えた。
「今は私の他に四人の宮廷医がいてな。今は皆休憩中でここにはいないが。中でも、ションバーグ卿。ションバーグ公爵家の次男でまだ十七歳だが、博識で侮れない。ションバーグ公爵家は苛烈で野心に溢れていてあまり好感は持てないが、宮廷医の彼だけは違う。彼だけは好感が持てると誰もが言っているさ」
ハハッと笑うサイモン。
(十七歳……私と同い年なのに凄いわね)
シンシアはぼんやりとそう考えていた。
その後シンシア達は軽く自己紹介をして雑談をした後、医務室を出るのであった。
「さあ、次はこちらです」
シンシア達は案内係について行った。
しばらくすると、ティモシーが医務室に戻って来た。
「ただいま戻りました、ポヴィス卿」
ティモシーはそう言ってカルテを棚に戻す。
「おお、ションバーグ卿か。少し前にメラニー王太子妃殿下の侍女達が見学に来たところだが、すれ違ったりはしていないか?」
朗らかに笑うサイモン。
「いえ、全く。すれ違ったのはレスリー王太子殿下の妹君であられるアリシア王女殿下とその侍女達だけですが」
ティモシーはきょとんとしていた。
「そうか。いや、メラニー王太子妃殿下の侍女の一人が、どうも体が弱そうでな。その子だけ少し小柄で華奢だった。モンベリアル嬢という子でな」
ティモシーはサイモンの話を黙って聞いていた。
(シンシアも体が弱い……。それに、メラニー王太子妃殿下の侍女はナルフェック王国から来ている。今後話す機会を作りたいな。彼女達はシンシアについて知っているかもしれないし。どこの家に引き取られたとか……)
ティモシーの脳裏にはシンシアの姿が浮かんでいた。
(シンシアも今年十七歳……。どんな風に成長しているのだろうか?)
ティモシーは成長したシンシアの姿を想像し、ほんのり口角を上げた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
数日後。
「王太子妃殿下、大丈夫でございますか?」
シンシアは心配そうにベッドに横たわるメラニーに問いかける。
「少し体が怠いわ。……シンシア、貴女は宮廷医の方をここまで連れて来て貰えるかしら? それと、エミリー、貴女は水を持って来てちょうだい。喉が渇いているの」
「「かしこまりました」」
シンシアとエミリーはメラニーの指示に頷いた。
「シンシア様、確か今医務室にいるのはションバーグ卿でしたわ。この前の医務室の勤務表にそう書いてありました」
もう一人の侍女にそう言われたシンシア。
「ありがとうございます。すぐにションバーグ卿を連れて参ります」
お礼を言い、シンシアは急ぎ足で医務室へ向かった。
「メラニー王太子妃殿下の侍女、シンシア・マリルー・ド・モンベリアルでございます。ションバーグ卿はいらっしゃいますでしょうか? メラニー王太子妃殿下が具合が悪いのです」
医務室の扉をノックし、そう問いかけるシンシア。
すると、しばらくして中から「どうぞ入ってください」と穏やかで優しい声が聞こえた。
「失礼いたします」
シンシアはカーテシーで礼を
国は違えど、シンシアは伯爵家の人間、そして今いる宮廷医は公爵家の人間。モンベリアル伯爵家やナルフェック王宮で習った礼儀作法がすんなりと出て来たのである。
ゆっくりと穏やかな足音がシンシアの元へ向かって来る。
「頭を上げてください。宮廷医の……ティモシー・ラッセル・ションバーグです」
頭上から低く甘く、穏やかで優しい声が降って来る。
彼の名前を聞いたシンシアはアメジストの目を大きく見開く。
(え……? まさか……!?)
シンシアはゆっくりと頭を上げた。
目の前にいるのは、シンシアよりも頭一つ分以上背が高い少年。
栗毛色の髪。そしてエメラルドのような緑の目は、優しくシンシアを見つめている。
「ティム……なの……!?」
アメジストの目を大きく見開いたまま、絞り出すように声を出したシンシア。
「久しぶりだね。……シンシア」
ティモシーはこの上なく優しい表情だ。
「ティム!」
シンシアは感極まって、勢い良くティモシーに抱きついた。
「ティム、会いたかった……! ずっと……ずっと……!」
アメジストの目からはポロポロと涙が溢れる。まるで水晶のようである。
「僕もだよ、シンシア。ずっと君を迎えに行きたかったけれど、君の方が先に来てしまったね」
ティモシーはそっと優しくシンシアの涙を拭う。ティモシーエメラルドの目からも、水晶のような涙が溢れていた。
「待てなかったみたい」
ふふっと笑うシンシア。その笑みは、ターラント孤児院にいた頃と全く同じであった。
「そっか……シンシア、確かに君はそういう子だったね」
ティモシーはかつてターラント孤児院であったことを思い出した。
皆で缶蹴りのような遊びをしていた時のこと。ティモシーは、「シンシアはここで待ってて」と言い動いたが、シンシアは待てずに全力で走り出していたのだ。
「本当に、シンシアらしい。すっかり令嬢らしくなっているけれど、そういうところは変わってなくて安心したよ」
ティモシーは甘くこの上なく優しい笑みをシンシアに向ける。エメラルドの目は心底嬉し方に輝いていた。
「ティムも、背は高くなって声も低くなっているけれど、あの時みたいな優しい笑顔は変わっていないわ」
シンシアはとびきりの笑みである。アメジストの目はキラキラと輝いていた。
「でも、僕は変わっちゃったよ。性格悪くなった。ションバーグ公爵家の奴らは狡猾で苛烈で……全然好きになれなかった。僕を引き取って教育してくれたけど、恩を仇で返してやろうと思ってしまったんだ」
ティモシーは自嘲気味に苦笑する。
「そんなことないわ。ティムは私の為だったとは言え、元々孤児院の先生達の言い付けを破ったり、こっそりショートブレッドを盗んだり、悪いことを結構していたじゃない」
クスッと楽しそうに笑うシンシア。
そしてアメジストの目は真っ直ぐティモシーのエメラルドの目を見つめる。
「綺麗なエメラルドの目だわ。私……まだあの時と同じで、ティムが好きよ」
するとティモシーは強くシンシアを抱きしめる。
「僕もだよ。シンシアが好きだ。君のアメジストの目も、その笑顔も、全て」
その言葉を聞いたシンシアは、二人涙が込み上げる。嬉し涙である。
そしてゆっくりと二人の唇が重なった。
想い合っていたが引き離された二人。しかし今、二人はこうして再会することが出来たのである。
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