行儀見習い
一年後、王宮にて。
ネンガルド王国に嫁ぐ王女メラニーの侍女候補は、まず王宮へ行儀見習いに行く。
行儀見習いの令嬢達の中に、今年十六歳になるシンシアも含まれていた。
ティモシーに会いたいという不純な動機ではあるが、やはり自身の気持ちに嘘を吐けなかったシンシア。自身の体のことや祖母イローナのこともあるが、今の家族からはまず王宮へ行儀見習いへ行くことは許してもらえた。
「シンシア様は今年
「はい。上手くダンス出来るかとか、他の方々と交流出来るかが不安でした。ですが、何とかなったみたいで。エミリー様は去年
シンシアは同時期に行儀見習いになったエミリーと談笑している。
エミリーはデュノワ伯爵家の三女である。今年十七歳になる、褐色のふわふわとした髪にヘーゼルの目の少女だ。少し小柄なシンシアよりも頭半分程背が高い。
「もちろん、緊張いたしましたわ。それに、
当時を思い出して微笑むエミリー。
「メラニー王女殿下……」
シンシアは少し考え込む。
まだどうなるかは分からないが、シンシアが仕える予定である、ナルフェック王国の第二王女メラニー・ルナ・ガブリエラ・ナタリー・ド・ロベールは、エミリーと同じく今年十七歳。一年後にネンガルド王国の王太子レスリーと結婚するのである。
「シンシア様、どうかなさいましたの? もしかして、体調が悪いのでしょうか?」
エミリーのヘーゼルの目は、心配そうにシンシアを見ている。
シンシアが体が弱いことはエミリーも知っているのだ。
「いえ、そうではなくて。メラニー王女殿下は一体どういったお方なのかと考えておりました」
シンシアはふふっと微笑む。
「左様でございましたが。確かに、
エミリーは「ですが」と言葉を続ける。
「ロベール王家の方々は基本的に全員優秀で、医学や薬学や科学技術などの学問にご興味をお持ちの方々が多いとお聞きしております」
「あ……確かに、第二王子のミカエル殿下は喘息を完治させる治療法の研究をしているとお聞きしたことがございます」
シンシアは自身が知っている王族の情報を思い出した。
シンシア自身喘息だった為、喘息完治の治療法を研究しているミカエルの名前は知っていた。
(メラニー王女殿下、一体どんなお方なのかしら? ティムにもう一度会う為に王女殿下の侍女を目指しているけれど、お仕えするかもしれない王女殿下のこともきちんと知って、大切にしたいわ)
シンシアは自身が仕えるかもしれないメラニーがどのような人物なのかを少しワクワクしながら考えていた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
数日後。
マナーや侍女としての仕事を懸命に学んでいたシンシア。しかし、慣れない環境のせいか日常生活には問題はないが軽微な喘息発作を起こしてしまう。シンシアは勉強の合間を縫って王宮の医務室へ向かった。
「まあこの程度なら吸引薬で咳は治まるでしょう。こちらを宮廷薬剤師長のヌムール公爵夫人に渡して吸引薬を処方してもらってください」
「ありがとうございます、アザール先生」
シンシアは宮廷医であるパメラ・アザールにお礼を言う。
このパメラ・アザールは宮廷医長である。彼女は平民ながら類稀なる医学の知識量や技術を買われ、宮廷医になった。
ナルフェック王国は身分制度こそあれど、老若男女、身分問わず機会が平等に与えられている国である。王立の研究施設も身分ではなく実力主義なので、研究施設では知識ある平民達も貴族に負けず劣らず活躍している。
エミリーが言及した国王や王太女主催のサロンも実力があれば誰でも入ることが可能であるのだ。
シンシアは宮廷医パメラに渡された処方箋を持ち、宮廷薬剤師達がいる薬剤室に入る。
「シンシア・マリルー・ド・モンベリアル様……喘息の吸引薬ですね」
宮廷薬剤師長である、ヌムール公爵夫人クリスティーヌ。ブロンドの髪に、エメラルドのような緑の目の女性である。
彼女はシンシアから渡された処方箋を見て確認作業に移った。
そしてしばらくすると戻って来るクリスティーヌ。
「朝、昼、晩それぞれ一回ずつ、一日計三回吸引してくださいね」
クリスティーヌは優しく微笑み、薬をシンシアに渡した。
(あ……この人の目、ティムと同じエメラルドだわ……)
懐かしさと安心感に包まれたシンシア。無意識のうちに左胸に着けている、祖母イローナから譲り受けたエメラルドのブローチをそっと触れていた。
「シンシア様? どうかなさいましたか?」
心配そうに覗き込むクリスティーヌ。
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
シンシアはクリスティーヌから薬を受け取り、宮廷薬剤師の部屋を後にするのであった。
マナーのレッスンや侍女としての仕事の授業が行われる部屋に戻る最中のこと。
シンシアは王宮の中庭を通りかかった。
中庭は幾何学的な庭園になっていた。これはナルフェック王国の伝統的な技法である。
そして色とりどりの薔薇が咲き誇っている。
(わあ……綺麗だわ……)
シンシアはアメジストの目をキラキラと輝かせた。
その時、後ろから「ん……」と眠そうな声が聞こえた。
驚いて後ろを見てみると、ベンチで寝ている少女がゆっくりと寝返りを打った。
ドレスで脚は隠れているが、スラリとした肢体が投げ出されている。
「え……!」
シンシアはアメジストの目を大きく見開く。
その時、少女がゆっくりと目を覚ました。
月の光に染まったようなプラチナブロンドの髪、そしてゆっくりと見開かれるアンバーの目。まるで生きる彫刻かのような美しさの少女だ。
「あ……!」
シンシアはその少女を見たことがあった。詳しく言えば、その少女の肖像画を見たことがあった。
(このお方、メラニー王女殿下だわ!)
予想だにしなかった場所で、メラニーに邂逅である。
シンシアはカーテシーで礼を
「お
頭上から戸惑いを含んだ声が降って来た。
「ありがとうございます。……モンベリアル伯爵家長女、シンシア・マリルー・ド・モンベリアルでございます。お初にお目にかかります、メラニー王女殿下」
モンベリアル伯爵家で家庭教師に習った通りの対応が出来たシンシア。
「シンシアと言うのね」
メラニーは月の光に染まったようなプラチナブロンドの長い髪を耳にかき上げる。
この髪色はロベール王家の特徴である。
本来ロベール王家は月の光に染まったようなプラチナブロンドの髪にアメジストのような紫の目が特徴である。
しかし目の前にいるメラニーの目はアンバー。王妃ナタリー譲りなのである。
「ここで見たことは他言無用でお願いするわ。……まさかこんなだらしない姿を見られるなんて」
メラニーは諦めたようにため息を吐いた。その姿は何とも言えない気品がある。
「だらしない姿……でしょうか?」
シンシアは不思議そうに首を傾げ、自身より頭一つ分以上高いメラニーを見上げる。
「ベンチで眠ってしまうなんて、王族としてだらしがないと言われてしまうでしょう。気を抜いた姿は見られてはいけないのよ」
再びため息を吐くメラニー。
「……私はそうは思いません。昔私がいた孤児院では当たり前のようにベンチやソファでうたた寝している子供達がおりました」
「……シンシア、貴女は孤児院にいたの?」
意外そうにアンバーの目を丸くするメラニー。
「はい。十一歳までネンガルド王国の孤児院におりまして……」
シンシアは自分の生い立ちをメラニーに説明した。
「そうだったのね。確かに、今のモンベリアル伯爵家に娘はいなかったはずだから納得だわ」
メラニーは思い出したように頷いた。
「はい。ですので、私は王女殿下がだらしないだなんて思いません。それに……誰にでも気を抜きたい時はあると思います。ずっと気を張っていたら、心が壊れてしまいます」
「……一理あるわね。ただ、
「でしたら……」
シンシアは少し考えてから口を開く。
「周囲に私しかいない時には気を抜いていただいて構いません。王女殿下が気を抜いていらしても、だらしないとは思いませんから」
シンシアは柔らかく微笑んだ。
するとメラニーはアンバーの目を丸くする。
「あの……王女殿下……?」
シンシアはおずおずと首を傾げる。
(もしかして今のは不敬だったかしら……?)
少し不安になるシンシア。
「ああ、ごめんなさいね。そう言われたのは初めてだったから驚いてしまったの」
クスッと笑うメラニー。
「……左様でございましたか」
不敬ではないようなので、少し安心するシンシア。
「シンシア・マリルー・ド・モンベリアル……覚えておくわ」
メラニーは美しい笑みを浮かべ、中庭を立ち去るのであった。一つ一つの所作の上品さに、思わず目を奪われるシンシア。
(あ、いけない、戻らないと)
ハッとシンシアは我に返り、マナーのレッスンが
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