アメジストの輝きはどこまでも真っ直ぐで

シンシアの祖父母

 ナルフェック王国、モンベリアル伯爵領。

 自然豊かで薬草が豊富な領地である。

 そんな自然豊かな土地を、ドレスで駆け回っている少女がいた。

 ストロベリーブロンドの真っ直ぐ伸びた髪をシニョンに結い上げ、アメジストのような紫の目をキラキラと輝かせている。

「元気になってこんなに走り回れるなんて……!」

 その少女−−シンシア改め、シンシア・マリルー・ド・モンベリアルは溌剌とした笑みで地面を蹴り上げ、全身で喜びを感じていた。


 今年十五歳になるシンシア。

 ネンガルド王国のターラント孤児院にいた彼女は十一歳の時に、祖父であるモンベリアル前伯爵オラースに引き取られ、モンベリアル伯爵令嬢となったのだ。その際、ミドルネームに母の名前をもらった。

 当時体が弱く、重度の喘息だったシンシア。近隣諸国で最も医療が発達したナルフェック王国に来てからは、最新の治療を受けた。

 それにより、喘息発作の頻度は減り、風邪も引きにくくなっていた。

 治療を始めた当初は割と発作が起こり、ベッドでの生活が主だった。しかし、十四歳になった頃から発作の頻度は減り、十五歳になる今はすっかり元気になっているシンシアだ。

 青白く不健康そうだった肌も、血色を帯びている。体格もまだまだ華奢ではあるが、ターラント孤児院にいた頃よりは肉付きも良くなっていた。


「これ、シンシア。淑女がそう走り回るものではないぞ」

 シンシアを注意するのは、祖父であるオラース・エドモン・ド・モンベリアル。

 白髪混じりのダークブロンドの髪に、シンシアと同じアメジストの目。眼鏡を掛けた恰幅の良い老紳士てある。

 もう当主の座は甥に譲り、モンベリアル伯爵城の離れで悠々自適に暮らしているが、こうして孫であるシンシアの様子を見に来るのである。

「お祖父じい様……! 申し訳ございません。体がすっかり元気になったことが嬉しくてつい……」

 ふふっと笑うシンシア。

 淑女教育は受けており、貴族令嬢らしくなったものの、時々こうしてお転婆な姿を見せることがある。

(ティムも元気になった私を見たら驚くかしら?)

 シンシアは初恋相手であるティモシーのことを忘れたことはなかった。

(あの時、ティムは迎えに来てくれるって言っていたわ)

 ティモシーがションバーグ公爵家に引き取られることが決まった時、二人はそう約束していた。甘く切ない記憶である。

(だけど……海を挟んで、国をまたいでしまっているから難しいわよね……。いいえ、迎えに来てくれないのなら、私から会いに行けばいいのよ!)

 シンシアのアメジストの目は、真っ直ぐキラキラと輝いた。

「そうか。まあ心身共に元気なことは良いことだ」

 オラースは孫のシンシアが元気そうな様子に安心し、アメジストの目を優しく細めた。

「ところで、お前さんは今からイローナの所に行くのか?」

「はい。お祖母ばあ様も毎日私と会うことを楽しみにしているみたいですし」

 イローナというのは、オラースの妻でモンベリアル前伯爵夫人である。そして、シンシアの祖母だ。

 数年前病気で倒れた際に、イローナは出て行った娘でありシンシアの母マリルーに会いたいと願った。しかし、マリルーは既に亡くなっていることが判明した。

 イローナはその事実に落ち込んだが、オラースが孫であるシンシアを連れて来た際には涙を流して喜んだ。そしてマリルーの忘形見であるシンシアを大層慈しんでくれている。






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 モンベリアル伯爵城の敷地内にある離れの屋敷にやって来たシンシア。

 城よりは小さいが、それでもターラント孤児院よりは大きな建物であり、生活するには十分じゅうぶん過ぎるくらいだ。

「お祖母様」

 シンシアは明るい笑みでそう呼び掛ける。

「まあ、シンシア。今日も来てくれたのね」

 嬉しそうにベッドから起き上がるのは、シンシアの祖母イローナ。オラースと同じくらいの年齢で、白髪混じりのブロンドの髪にサファイアのような青い目である。

 イローナは数年前に病気になり、こうしてベッドの上での生活が増えているのだ。

「あら、シンシア、髪が少し乱れているわ。外で走り回ったのね」

 イローナはシンシアの髪に手を伸ばし、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「はい……。喘息の発作もあまり起きなくなって、体が動くようになったので嬉しくてつい」

 シンシアはクスッと笑い、肩をすくめた。

「お転婆な淑女ね。でも、元気なのは良いことだわ。生きていくのなら、何よりも心と体の健康が大切よ」

「ありがとうございます。お祖父様にも同じようなことを言われました」

「そう、オラース様が……。わたくしもマリルーも、体が弱かったわ。シンシアもそれを受け継いでしまったのを心配しているのね」

 イローナは優しくシンシアの頭を撫でた。そしてふと何かを思い付く。

「そうだ、ねえ、戸棚にある小箱を持って来てもらえるかしら?」

 イローナは部屋にいた侍女にそう頼むと、侍女が指定された小箱を持って来る。

「シンシア、開けてみて」

 イローナから小箱を渡されたシンシア。小箱を傷付けないようにゆっくりと開けてみると、そこには色とりどりの宝石が使われたアクセサリーが入っていた。

「わあ……綺麗……」

 シンシアはアメジストの目をキラキラと輝かせる。

わたくしが昔使っていたものよ。生家の母から譲り受けたの。シンシアは来年十六歳。成人デビュタントを迎えるのだから、ブローチやネックレスみたいなアクセサリーを持っておいても良いと思うの。気に入ったものを好きなだけ持って行きなさい」

 イローナは優しく微笑む。サファイアの目は、孫を慈しむ目そのものだ。

「そんな大切なものを……。お祖母様、良いのですか?」

 シンシアは控え目に首を傾げる。

「ええ、良いのよ。何よりわたくしの孫であるシンシアに身に着けて欲しいの。祖母の我儘を聞いてくれるかしら?」

 悪戯っぽく微笑むイローナ。

「お祖母様……ありがとうございます」

 シンシアは嬉しそうに微笑んだ。

 そしてシンシアにはとあるものが目に留まる。


 エメラルドのブローチである。イローナの母の代から大切に使われていたことがわかるものだ。


(これ……エメラルド。ティムの目だわ。まるでティムに見つめられているみたい)

 シンシアはゆっくりと、大切そうにエメラルドのブローチを手に取る。

 脳裏に浮かぶのは、ティモシーの優しい笑み。

「綺麗……」

 シンシアは頬をほんのり赤く染め、微笑んだ。

「そのブローチが気に入ったのね。着けてあげるわ」

 イローナはシンシアの左胸にエメラルドのブローチ着ける。

「ありがとうございます、お祖母様」

 エメラルドのブローチはシンシアの左胸で輝いていた。シンシアはそれにそっと優しく触れる。

「それにしても、何故なぜエメラルドのブローチを気に入ったの? もしかして、エメラルドに何か思い入れがあるのかしら?」

 イローナのサファイアの目は、優しく真っ直ぐシンシアを見ている。まるで本心を見透かしているかのように。

「はい。……以前話した、ティムという男の子の目と同じなのです」

 シンシアはターラント孤児院でのティモシーとの日々を思い出し、アメジストの目を細めて微笑んだ。

「確かティモテという子だったかしら?」

「ナルフェックではそう発音します。でも、ネンガルドではティモシーと言いますわ」

 シンシアは祖母にそう説明する。

「ティモシー……ネンガルド語だと、少し発音しにくいわね」

 イローナは苦笑した。

「私にとってはナルフェック語の方が難しいですわ。発音しない音が多くて戸惑いますもの。今でも時々ネンガルド語が先に出る時がございますわ」

 シンシアも苦笑していた。

 今ではナルフェック語で日常会話が出来るシンシアだが、モンベリアル伯爵家に引き取られてから言語の壁には苦労したものだ。


 同じ名前でも、国が違えば発音が変わることがある。ティモシーもだが、シンシアの祖父オラースもそうだ。オラースはネンガルドではホレスと発音する。ちなみにシンシアという名前はネンガルド王国でもナルフェック王国でも同じ発音であった。


「そうね。他の国の言語は難しかったりするものね」

 イローナはクスッと笑った。

「それで、シンシアは……いずれその彼に会いにネンガルド王国へ行ってしまうのかしら」

 サファイアの目がほんのり寂しさに染まるイローナ。その表情を見たシンシアは胸がギュッと締め付けられた。

「……ええ。……いずれは会いに行きたいと思っています。体も元気になりましたし。ですが、もうしばらくはここにおりますわ」

 シンシアは少し困ったように微笑んでいた。

「そう。まだいてくれるのね」

 イローナは嬉しそうに微笑んだ。

「お祖母様、そろそろ家庭教師が来る時間なので、失礼しますね」

 シンシアはふふっと微笑み、イローナの部屋から出た。その瞬間、シンシアのアメジストの目はほんの少し憂いを帯びる。

「シンシア」

 不意に名前を呼ばれ驚くシンシア。

 そこにはオラースがいた。

「お祖父様……」

「いつもすまぬな。イローナの話し相手になってくれてありがとう」

 眉を八の字にし、口角を上げるオラース。

「いいえ。お祖母様の嬉しそうな顔が見れましたし」

 シンシアはふふっと微笑む。

「ああ。イローナはお前さんが来てから明るくなった。ただ……」

 オラースは真剣な表情になる。

「シンシア、お前さんの人生はお前さんのものだ。もしネンガルド王国に行きたいのなら、そうしたら良い。イローナに遠慮することはないんだぞ」

 眼鏡の奥から覗く、オラースのアメジストの目は真っ直ぐシンシアを見据えていた。

「ありがとうございます、お祖父様。……色々と考えをまとめてみます」

 シンシアは柔らかな笑みを浮かべ、離れの屋敷を後にした。


(ティムに会いたい。だけど、お祖母様のことも心配だわ……。どちらかを選べば、どちらかを手放さなければいけない……。私、どうしたら良いのかしら?)

 シンシアは無意識のうちに左胸のエメラルドのブローチにそっと触れていた。

 ティモシーと祖母の間で板挟みになるシンシアであった。

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