コメツキガニ

あかくりこ

コメツキガニ

 異世界に飛ばされた。

 どうやってとかどうしてとかそんなことはどうでもいい。

 何故なら俺は今、米を、炊き立ての飯を丼によそって、梅干し、つくだ煮、塩気のある小魚、味噌汁、漬物、まぁ米のお供になればなんでもいい、とにかく米の飯を腹いっぱい掻き込みたい衝動に突き動かされていた。要は猛烈に腹が減っていたのだ。

 幸いなことに、そこに広がっているのは石造りの建物にオレンジ色の屋根、石畳の道、といった光景ではなかった。突き抜けるような青空。熱い日差し。湿った空気、ヤシの木が天に向かって葉を拡げ、巨大なシダがそこかしこに生え、秋の虫の音を想像の限り騒々しくしたような熱帯雨林を背景に、高床式の木造建築が十数棟並んでいる。集落の脇には水が張られた、泥が敷き詰められた区画が広がって、どことなく五月の日本を思わせる郷愁を誘うような光景だ。これがまた空腹感に拍車をかける。米が食いたくなるではないか。味噌汁がないなら麦茶でもいい。とにかく米を掻き込んで、腹を満たしたい。

 集落の近くで泥をこねて遊んでいた、麻っぽい生地のワンピースを着た女児に声をかけた。

「米を食わせてくれ」

 声をかけられた子供はぎょっとして俺を振り返り、甲高い悲鳴をあげて逃げていった。いや脱兎のごとく逃げ去るってあんまりだろう。困ってる人がいたら助けるってのが人情ってモンだろうが。仏頂面でたたずんでいたら、女児が似たようなワンピース姿の大人の手を引いて戻ってきた。なんだ、大人を呼びに行っただけだったのか。女児の母親か姉か、似たような顔立ちの女性だ。

 破顔一笑でもう一度「米を食いたい」そう訴え、箸で飯を掻き込む仕草をしてみせた。言葉での意思表示が怪しいならジェスチャーで示す。伝われ、伝わってくれ。

 女性と女児は顔を見合わせてコメ、コメと言い合い、今度は俺の方に向き直って同じようなジェスチャーを返してきた。

 やった。通じた。

 更に両手を合わせて拝む仕草をすると、女性が手招きをして歩き出した。女児も一緒に付いてきた。案内してくれるのか。有り難い。助かる。


 マングローブ林を抜けて着いたのは、干潟だった。

 干潮時なのか実に広大な。砂浜。波打ち際。海辺。ビーチ。砂州......ではないな。微小な何かが一面に蠢いているように見えるが至って平和な渚だ。

 ここに米を食わせてくれる人がいるのか。ここで待っていれば米を食わせてくれる人がやってくるのか。すると、女児と女性は満面の笑みを浮かべ「コメ、コメ」と足元を指し示す。そうか。有り難う、感謝する。君たちの未来に幸多かれ。大きく頷いて、もう一度手を合わせ頭を下げる。二人は嬉しそうに来た道を戻っていった。


 俺は待った。待ち続けた。

 陽が傾く頃には潮が満ちはじめ、干潟は浅瀬になり、夜には浜はすっかり水没していた。俺は仕方なくマングローブの木に登り、枝に体を預けるようにもたれかかって夜を明かした。


 更に待った。待ち続けた。


 だが誰も来なかった。


 おいどういうことだよ、俺は騙されたのか?くそ、米くいてぇな。暑い。喉が渇いた。空腹で目が回りそうだ。もう立っている気力もない。俺は砂浜に倒れ込んだ。


 目の前には小さなカニがかさかさと砂を取り込んではせっせと砂団子を拵えている。

 なんだこりゃ。ああ、コメツキガニか。お前らが吐き出す砂が米だったらなぁ。いや、お前らが米でもいいかも知れん。こんなにいっぱいいるのに、名前こそコメが付いてもコメ違いだもんなぁ。腹減ったなぁ。米食いてぇ。米。米。米。こめ。コメ。米。コメ。


 あ。


 不意に脳天に冷たい光が走った。


 コメ。米。


 あの二人はここに案内した後、「コメ、コメ」と繰り返し、足元を指さした。あの時一面にコメツキガニが群れていた。俺が二人の前でして見せたどんぶり飯を掻き込むジェスチャー。コメツキガニの摂餌行為に見えなくもない。

 ああ。とんだ、コメ違いだ。


 潮が満ち始めた。立ち上がる気力もない。

 ああ。腹減ったなぁ米食いてぇなぁ。




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