第21話 家族会議の結論

朝早く、久志彦はミホコからの電話で目を覚ました。ミホコは「すぐにニュースを見て」とだけいって電話を切ると、ニュースサイトのアドレスが送られてきた。久志彦はそのニュースのタイトルを見て、予想外のことに驚いた。


「白鳥大学の時計台が全焼」


久志彦はまさかと思いながらも、それが組織のやり方だとすぐに納得した。命が狙われることばかりに気を取られて、放火される可能性を考えていなかった。久志彦の母親も太田教授の父親も火事で亡くなっているのだ。


ニュース記事は、昨夜未明に時計台で火事があり、煙を吸い込んだ男性1名が病院に搬送された、としている。出火原因は調査中のようだが、おそらく放火の証拠は残されていないだろう。


記事には病院に搬送された男性以外の死傷者は書かれていないので、久志彦は少し安心した。しかし、病院に搬送された男性が太田教授の可能性がある。久志彦はすぐにミホコに電話をかけたが、ミホコも詳細はわからないらしい。


数時間後、ミホコから電話がかかってきた。病院に搬送されたのは太田教授で間違いないらしい。久志彦は仕事中だったが、すぐに病院に向かった。


病室に入ると、太田教授とミホコの笑い声が聞こえてきた。どうやら元気そうだ。

「陶邑君も来てくれたのか、申し訳ないね」

太田教授は見た目にも元気そうだったので、久志彦はホッと胸をなでおろした。


「入院の必要はないと断ったんだけど、念のために検査をするというので、一泊することになったよ」


「とにかく無事で良かったです。やはり放火なんですか?」


「火事の原因は調査中だけど、タバコの火の不始末かもしれない。酔って寝てしまったから、記憶もあいまいなんだよ」


「油断しないでくださいって何度も言ったんだけど、先生は緊張感がないから」

ミホコは呆れているようだが、怒っているわけではなさそうだった。


「じゃあ、命を狙われたわけではないってことですか?」


「そうだね、社会的に抹殺されかけたけど、住吉さんが撃退してくれて助かったからね」そういって、太田教授はミホコを見て苦笑いしている。


「そうね、予想外の刺客を送り込んできたから、対応が難しかったわ。若い女性が突然、事務所に『助けてください』って叫びながら飛び込んできたのよ。


その女性は、太田教授に突然押し倒されて乱暴されたって、大きな声で説明するのよ。それが舞台女優の大げさな演技みたいに見えて変だなと思ったの。確かにシャツは引きちぎられていたけど、怯えた様子はなくて違和感があったのよ。


それにどう見ても、うちの学生じゃないのよ。だから、学生証を確認したいっていったら、その女性の顔から血の気が引いて『もういいです』って事務室を出て行ったの。


それで、すぐに先生に確認したら、まったく身に覚えがないっていうから、組織から送り込まれた刺客じゃないかって話していたの」


「たまに大学教授が痴漢で逮捕されたってニュースがあるけど、おそらくそれと似たような手口だと思うんだよ。濡れ衣を着せて、社会的に抹殺するのが目的だろうね。住吉さんが対応してくれなかったら危なかったよ」


「じゃあ、その女性が放火した可能性もありますよね」


「いや、それは午前中の話で火事になったのは夜中だから、結局のところ、私の不注意かもしれない。昨日の夕方に私の同級生が訪ねて来てね、久しぶりの再会だったから学生時代の話で盛り上がってしまった。


彼は手土産だといって、銘酒「千利休」をテーブルにドンっと置いたもんだから、すっかり彼のペースに乗せられてしまってね。いつも以上に酔ってしまって、記憶もあまりないんだよ。


夜中に目を覚ましたときには火に包まれていて、なんとか時計台から逃げ出すことはできたけど、火の回りが早くて、どうしようもなかったよ」


「そうですか、同級生が放火した可能性はないんですか?」


「いや、まさか、それはないだろう」

太田教授はその同級生のことを信用しているようだった。


「私も帰るときに、その同級生を見かけたけど、先生とは正反対の、いかにもデキるビジネスマンという感じで、人柄も良さそうだったわ」

ミホコも疑う余地はないと思っているようだ。


「じゃあ、火事は別として、その若い女性が組織から送り込まれたとすれば、やはり住吉社長は組織と通じていることになりますね」


「そういうことになるが、人殺しをするようなヤバイ組織ではないのかもしれないね」


「私もそう信じたいわ」

住吉社長を信頼しているミホコにとっては、潔白ではないが真っ黒でもない、グレーで落ち着いて良かったと思っているのだろう。


「ということは、僕が東京で突き飛ばされたのも、命を狙われたのではなく、警告の意味だったのかもしれませんね」久志彦にも住吉社長を信じたい気持ちがあったので、自分に言い聞かせるようにそういった。その結論に二人も納得しているようだった。


そこへ病室のドアをノックする音がして、担当医が入ってきた。背は高いが痩せていて、薄っぺらな体型の若い男性だった。


「太田さん、血液検査の結果が出ました。血中酸素濃度は正常値なので、一酸化炭素中毒の心配はありません。コレステロール値は高めですが、これは火事の影響ではないでしょう。それ以外に、特に問題はありませんが、一点だけ気になることがありました」


「えっ、何ですか?」

太田教授がそう尋ねても、担当医はどう伝えることを迷っているのか、難しい顔をしている。


「実は、血液からチオペンタールが検出されました。麻酔薬として使われるものですが、自白剤として使われることもあります。何か心当たりはありませんか?」


「心当たりといわれても、昨夜は酔って眠ってしまったから記憶がないんですよ」


「通常、注射によって投与されるものなので、体のどこかに注射痕があるかもしれません。確認してもいいですか?」そういって担当医は、太田教授が着ている入院着の袖をまくり上げて念入りに調べ始めた。


「ないですねえ、足も確認していいですか?」そういって、今度は足の指の間を調べ始めた。


「あっ、ありました。この右足の親指と人差し指の間の赤い点が注射痕です。これは素人が打ったとは思えませんね。かなり手慣れている人が、注射したことを隠すために打つやり方です。麻酔薬で眠らされていたとなれば、事件性も考えられるので、念のため、警察には私から伝えておきます」


そういって担当医はスマホを取り出して、太田教授の足にある注射痕の写真を、角度を変えて数枚撮ると、病室から出て行った。


しばらくの間、三人とも口を開かず、それぞれに考えを巡らせていた。


久志彦は頭の中で整理したことを、思い切って口に出した。

「麻酔薬であり、自白剤でもある薬物を打たれたということは、太田教授がどこまで知っているのか自白させて確認した上で、眠ったところを火事で殺そうとした、ということですよね」


先ほどまで、住吉社長が通じている組織は黒ではなく、グレーということで話がまとまりかけていた。しかし、プロのやり方で始末されかけた可能性が濃厚になったことで、真っ黒と考えた方がいいだろう。


太田教授も同じ結論を考えていたのか、顔が青ざめている。しっかりと命を狙われた放火の可能性が出てきた。しかも、おそらく犯人は同級生なのだ。今回は無事に逃げられたが、この先、誰を信用していいのか、まったくわからない。


隣にいるミホコの顔も青ざめていた。恐れていたことが現実になった。実の父親以上に信頼していた住吉社長が、人殺しをする組織と通じていることがほぼ確定したのだ。ミホコも、この先、誰を信用していいのか、わからないのだろう。


久志彦にとっても住吉社長は信頼していたリーダーであり、父親代わりでもあった。東京で突き飛ばされたのも、住吉社長が組織に連絡したことで、やはり命を狙われたのかもしれない。


ここまで、三人はゲーム感覚で、送り込まれた刺客や時計台の火事について分析していたが、自分たちがいつこの世から消されてもおかしくない存在なのだと改めて気づいて、急に無口になっていた。


久志彦は居心地の悪さを感じて、「職場に戻ります」とだけ伝えて病室を出た。しかし、実際には職場には戻らず、自分の部屋に帰った。今後のことを考えるつもりだったが、どうすればいいのか何も思いつかなった。


その夜、ミホコからメッセージが届いた。

「家を出ます。探さないでください」

久志彦はあわてて電話をかけたが、つながらなかった。


翌日、大学に問い合わせたが、ミホコはすでに退職の手続きをしていて、太田教授もミホコと連絡が取れないらしい。


ミホコは姿を消してしまった。

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