第19話 重大なミッション
初めての家族会議を終えて、久志彦は自分の部屋に帰ってきた。今までに感じたことのない疲労感でぐったりしていた。久志彦にとっては、今まで知らなかった新しい情報が多過ぎて、何も考えられない思考停止の状態だった。
久志彦はとにかく横になりたいと思って、ソファで寝転んで目を閉じた。少し体を休めようと思っただけで、寝るつもりはなかったが、そのまま眠ってしまった。
電話の着信音で久志彦は目を覚ました。どうやら3時間ほど寝ていたらしい。電話はミホコからだった。
「もしもし」寝起きのせいで、しゃがれた声になった。
「何よ、寝てたの?」ミホコの機嫌の悪そうな声が耳に飛び込んできた。
「あまりにも疲れていて、いつの間にか眠ってしまったみたいで」
久志彦は、まだ完全には目覚めておらず、頭がぼんやりとしていた。
「私が重大なミッションを遂行している間、あなたは寝てたのね。まったく緊張感がないわね」ミホコの機嫌はさらに悪くなっている。
「ということは、社長に嘘の報告をしたんだね。どんな反応だった?」
久志彦は徐々に頭がはっきりしてきて、ミホコが電話してきた理由を理解した。
「特に反応はなかったわ。驚いた様子も、焦っている様子もなく『わかった』の一言だけだった」
「それだけ?」久志彦は、意外に思った。住吉社長が物事に動じない性格とはいえ、すぐに誰かに電話したり、学会のことを詳しく聞いたり、何らかの反応があるだろうと予想していた。
「私に言ったのはそれだけだったけど、『あいつも終わったな』って、ぼそっとつぶやいたのを確かに聞いたのよ。その言い方がとても怖くて、父に裏の顔があるような気がしたの。やっぱり噓の報告なんてしない方が良かったのかなあ」
もちろん、ミホコも真実を知りたいと思っている反面、太田教授の命を危険に晒すことになって、真剣に後悔しているようだった。
「今さら嘘でしたとも言えないから、しっかり準備しておくしかないよ。どんなことが起こるかわからないけど、ミホコは先生の一番近くにいるんだから、訪問者をチェックするとか、何かあったらすぐに警備員を呼ぶとか、できることをやるしかないよ」
「そうよね。私は、私にできることをやるしかないのよね。とにかく、来週の学会で、古代文字について発表する準備をしていると伝えたから、もし本当に、父が組織の連絡係をしているなら、今週中に動きがあると思うの。何かあったらすぐに連絡するから、久志彦もそのつもりでいてね」
そういって、ミホコは電話を切った。久志彦にできることは、連絡を待つ以外には、無事を祈ることぐらいしかない。
ミホコは後悔しているようだったが、久志彦もやはり太田教授の作戦に賛成したことを後悔していた。よく考えてみれば、せっかく実の父親と巡り会えたのに、最悪の場合、もう生きて会えないかもしれない。
久志彦は東京で突き飛ばされたが、殺意のようなものは感じなかった。あれは、命を狙われたのではなく、警告の意味だったのかもしれない。本当に殺すつもりなら、もっと確実な方法を選んだはずだ。
なぜか、太田教授は自信がある様子だったが、もし本物の殺し屋に襲われたら、とても撃退できるとは思えない。やはり強く反対しておくべきだったが、もう後戻りはできない。
久志彦が太田教授を心配するのは、実の父親を失いたくないのはもちろんだが、聞きたいことが山のようにあるからだ。それは久志彦を身ごもった頃の母親のことだ。お母さんはどんな人だったのか、お母さんとは、どこで、どんな風に出会って結ばれたのか、なぜ、二人は結婚しなかったのか。
久志彦には母の記憶がない。墓参りをして思い出したのは、記憶にフタをしていた母の最期の瞬間だった。だから、母の顔や声だけでなく、その眼差しや温もりなど、何も覚えていない。
じいちゃんとばあちゃんには厳しく育てられたが、愛情があるからこその厳しさだとわかっているし、感謝もしている。それでも、母の愛情を知らずに育ったことは、心にぽっかりと穴があいていて、人として何かが足りないような気がする。
突然現れた実の父親には、正直なところ、戸惑いしかない。母がシングルマザーだったことは聞かされていた。しかし、その理由や父親については何も教えてもらえず、聞いてはいけないことだと思っていた。
おそらく、じいちゃんも、ばあちゃんも本当のことは知らなかったと思う。母は、火に包まれながら我が子のために身を投げ出して、自分の命を犠牲にできる人だから、とても強い人だと思う。だからこそ、シングルマザーとして子どもを産む理由を、親には説明しなかったのではないかと思う。
久志彦は自分が思い描く母親像が正しいのかどうか、太田教授に確かめたいと改めて思った。そのためには、太田教授には生きていてもらわないと困る。
翌日は、いつも通り出勤したが、仕事にまったく集中できなかった。大事件が起こるかもしれないのに、自分には何もできない。これほど、もどかしいことはない。いつミホコから連絡があるかわからないので、ポケットの中の携帯電話が気になって仕方がなかった。
仕事の合間に、何度かミホコにメッセージを送ったが「何もない」と素っ気ない返事しか返ってこなかった。安心はしたが、その短い返事からはミホコの心理状態がわからず、少し不安になった。
連絡を待つだけの久志彦は、不安な気持ちを抱えたまま、いつも通りの日常生活を送るしかなかった。
翌日の昼過ぎに、ミホコからメッセージが届いた。
「変わった刺客が現れたけど、見事に撃退しました。詳しくは会ったときに」という短いものだった。久志彦は状況を詳しく知りたかったが、撃退したというのだから慌てる必要はないだろうと思った。
しかし、ミホコが簡単に撃退できるような刺客を、組織が送り込んでくるだろうか。そして、失敗に終わったのなら、新たな刺客が送り込まれるのではないか。太田教授とミホコは、そこまで考えているだろうか。久志彦の不安な気持ちは消えるどころか、ますます大きくなっていた。
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