第16話 ウタは歌うもの

久志彦が、姉のミホコに試練を無事に終えたことを報告すると、大神神社まで迎えに来てくれた。


ミホコは久志彦の顔をじっと見て、

「何となく、雰囲気が変わったような感じがするわね」

「そうかなあ、自分ではよくわからないけど」

もちろん達成感はあったが、それが外見にも現れているのか、久志彦には自覚がなかった。


「それで、モトアケ図は消えたの?」

ミホコはヲシテ文字が本当に消えるのかどうか、それが気になっていたようだ。


久志彦はミホコにそういわれて、思い出したように着ていたシャツをめくり上げた。


しかし、モトアケ図は消えていなかった。ただ、中心の『アウワ』の三文字と、その周りにある『トホカミヱヒタメ』、さらに、その周りにある『アイフヘモヲスシ』は以前のままだったが、ミソフカミ(三十二神)と呼ばれる、外側の三十二文字は内側のヲシテ文字と比べてうすくなっていた。久志彦はうすくなった文字を指でこすってみたが、消えなかった。


その様子を見ていたミホコは、

「試練を終えても消えないじゃない。どういうことなの?」と久志彦に詰め寄った。

「そういわれても、僕にもわからないよ」久志彦には答えようがなかった。


久志彦は丹生都比売神社に連れていってほしいとミホコに頼んだ。ミホコはヲシテ文字が消えないことを、ぶつくさと文句をいいながらも運転してくれた。


「ねえ、丹生都比売神社の巫女さんが『ウタは歌うものですよ』といったのを覚えてる?」

久志彦が運転しているミホコに尋ねた。

「さあ、そんなこと、いってたかしら?」

ミホコは意外と抜けているところがあるようだ。


「あれはアワウタのことだと思う。ホツマツタヱにも、イサナギさんと、イサナミさんがアワウタで言葉を教えたとあるから、きっと歌ったんだよ。だから、アワウタを覚えるというのは暗記するんじゃなくて、歌えるようになることじゃないかな?」


「歌うって、どんな風に?」

「ホツマツタヱには、メロディやリズムは書いてないからわからないけど、五七調だから、和歌を詠むみたいな感じかなあ?」


「あーかーはーなーまー、いーきーひーにーみーうーくー、こんな感じ?」

「うーん、そんな一本調子じゃなくて、もう少し、歌らしくならない?」


「じゃあ、自分で歌ってみれば?」そういわれて、久志彦はアワウタを何とか歌おうと「あーかはなま、あかはなまー」と何度か繰り返した。実際に声に出して歌ってみると、意外と難しいと思った。




平日の昼間の丹生都比売神社は、参拝する人も神職の方も見当たらず、とても静かだった。久志彦はあの巫女さんに会いたかったのだが、いないようだった。とりあえず、神様に三輪山での試練を終えたことを報告しようと拝殿前で手を合わせた。


久志彦は斎戒のときに覚えた祝詞を奏上した。拝殿の奥に見える社殿が、来たときよりも少し華やいだような雰囲気になった気がした。久志彦は心地良さを感じながら、目を閉じて三輪山の試練で経験したことを報告した。


目を開けると、拝殿内の舞台にあの巫女さんがいて、神楽を舞っていた。久志彦と目が合うと、にこりと微笑んで、いつものように足音を立てずにスーッと近くまでやってきた。


「穢れが祓われた今のうちに、久次岳と御影山にも参拝してくださいね。それと、『竹の祓布』をちゃんと使ってくださいね」


「『竹の祓布』を使うって、どういうことですか?」

「あらっ、説明してなかったかしら? 要(い)らないものを祓う布ですから、お腹の辺りを『竹の祓布』で拭き清めてください」

久志彦がシャツをめくり上げて、『竹の祓布』でお腹の辺りを拭いてみると、うすくなっていたヲシテ文字が消えた。


「ただのお守りじゃなかったんですね。ありがとうございます」

巫女さんは笑顔で応えてくれた。


「もう一つ、教えてください。『アワウタ』は、どんな風に歌えばいいですか?」

「『アワウタ』は「ア」で始まり、「ワ」で終わるウタです。「ア」は天の意味で、太陽や男性を表し、「ワ」は地の意味で、月や女性を表します。『アワウタ』は前半を男性が、後半を女性が歌うことで、天と地、太陽と月、男性と女性という陰陽のエネルギーが調和するのです」


「『アワウタ』のメロディも、教えてもらえませんか?」

「あなたたちは幼い頃に『アワウタ』をよく聞いていたはずですよ。しっかり思い出してください」

そういわれて、久志彦はミホコと顔を見合わせた。幼い頃の記憶はないが、二人が離れ離れになる前に、よく聞いていたということは、母が歌っていたのかもしれない。


久志彦は幼い頃の記憶を思い出そうとしたが、やはり何も思い出せなかった。しかし、小さい頃に、ばあちゃんが久志彦のために歌ってくれたのも『アワウタ』だったのかもしれない。久志彦はばあちゃんが歌っているのを思い出しながら、少しずつメロディを口ずさんでみた。


それを聞いていたミホコは、「なんとなく、聞き覚えがあるかもしれない」といって、一緒に口ずさみ始めた。二人で、何度も繰り返しているうちに、鼻歌レベルからしっかりと歌えるようになってきた。


二人の様子を黙って見守っていた巫女さんは、

「いい感じになってきましたね。では、前半を男性が、後半を女性が歌ってみてください」といわれた。


二人は拝殿前に並んで立って、まずは久志彦が歌い始めた。

「あ~か~は~な~ま~~ い~き~ひ~に~み~う~く~~

ふ~ぬ~む~え~け~~ へ~ね~め~お~こ~ほ~の~~」


久志彦がミホコに目で合図を送ると、ミホコは頷いて続きを歌い始めた。

「も~と~ろ~そ~よ~~ を~て~れ~せ~ゑ~つ~る~~

す~ゆ~ん~ち~り~~ し~ゐ~た~ら~さ~や~わ~~」


ミホコが歌い終わると、拝殿内に風が巻き起こり、巫女さんがその風の中心で手を広げて、くるくると回りながら美しく舞い始めた。すると、緋袴(ひばかま)の巫女姿から、キラキラと輝く羽衣を身にまとった美しい天女に姿を変え、拝殿の奥にある本殿の中に入っていくようにスーッと姿を消してしまった。


ミホコは自分が見た光景を信じられないのか、久志彦に「巫女さんは、どこに行ったの?」と不思議そうに聞いてきた。


久志彦は巫女さんの正体は女神ではないかと予想していたので、あまり驚かなかった。女神はホツマツタヱに『ワカヒメ』や『ニフのカミ』として登場する、丹生都比売大神であると久志彦は確信した。


久志彦は直感的に、自分の体のヲシテ文字が変化したのを感じた。慌ててシャツをめくり上げて、体の前面のモトアケ図を見た。消えずに残っているヲシテ文字のうち、一番外側の『アイフヘモヲスシ』の八文字がうすくなっていた。


『アイフヘモヲスシ』は『アワウタ』を表すとされる。


「あかはなま」の「ア」、「いきひにみうく」の「イ」、「ふぬむえけ」の「フ」、「へねめおこほの」の「ヘ」、「もとろそよ」の「モ」、「をてれせゑつる」の「ヲ」、「すゆんちり」の「ス」、「しゐたらさやわ」の「シ」と、『アワウタ』八句の頭韻(とういん)を並べたものが『アイフヘモヲスシ』といわれている。


久志彦が『アイフヘモヲスシ』の部分を『竹の祓布』で拭くとヲシテ文字が消えた。ミホコは驚いたまま、立ち尽くしていた。

久志彦が「シャツをめくって腰の辺りを出してみて」というと、ミホコは「えっ、あっ、そういうことね」といって、背中のヲシテ文字の下の方が出るように、シャツをめくった。


久志彦が、『竹の祓布』で拭くと、予想通りヲシテ文字が消えた。

「ちゃんと、消えたよ」とミホコに伝えると、

「良かったあ」と安心したようだった。

『アワウタ』は子守歌として、受け継いでいくようだ。

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