第15話 陶邑家のお役目

久志彦は「神を知る」ために、ホツマツタヱを学び続けた。わからないことは古代文字研究家の伊藤先生に質問して、とにかく大神神社(おおみわじんじゃ)の神様について理解しようとした。


神話では大物主神(おおものぬしのかみ)とは大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂(にぎみたま)を神として祀ったとある。また、古い書物には大神神社のご祭神は、倭大物主櫛𤭖魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)とある。


ホツマツタヱでは『オオモノヌシ』とは右大臣を意味する役職名で、初代が『オホナムチ』、二代目が『クシヒコ』、六代目が『クシミカタマ』とある。ソサノヲ(神話ではスサノオ)の子がオホナムチ、その子がクシヒコで、若い頃はオオモノヌシの代理を務める役職名の『コトシロヌシ』と呼ばれた。


クシヒコの母『タケコ』はアマテルカミ(天照大御神)の娘で、現代でいう宗像三女神の長女である。亡くなると『タケフカミ』として、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に祀られる。つまり、クシヒコはソサノヲの孫であり、アマテルカミの孫でもある。


クシヒコの妻は『ミホツヒメ』で、二人は出雲の美保神社にも祀られている。オオクニヌシと呼ばれたのはクシヒコで、三輪山に洞を掘ってその中で亡くなる。これが、三輪山をご神体とする理由で、じいちゃんが墓参りとして三輪山を手帳に記した理由だろう。


アマテルカミ(天照大御神)とトヨケカミ(豊受大神)は久次岳で亡くなり、建国の父、クニトコタチ(国常立神)は、出雲大神宮の御影山に眠るとされる。


久志彦はミホコの背中のヲシテ文字のことが気になりながらも、忌明けまでは自分がやるべきことに集中した。


四十九日法要も、ばあちゃんの指示通りに行った。ミホコも親族として参列してくれた。無事に忌明けを迎え、久志彦は再び、三輪山の試練のための斎戒を行うことにした。


斎戒を始める前日、久志彦はミホコと一緒に丹生都比売神社に参拝した。姉弟であることは理解しているが、まだ完全には納得できていない。どことなく、会話もぎこちないような気がする。


拝殿の前まで来ると、『竹の祓布(はらいぬの)』をお守りとしてくれた、あの巫女さんが舞っていた。久志彦に気づいた巫女さんは、微笑みを浮かべて会釈をしてくれた。久志彦が慌てて会釈を返すと、巫女さんはスーッと足音を立てずに近くまで来て声をかけられた。


「少し雰囲気が変わりましたね。いろいろと経験して、成長されたみたいですね。努力はいつか報われますから、諦めずに頑張ってください」巫女さんに励まされて、久志彦は恐縮した。この巫女さんには、すべてを見透かされているようで、畏(おそ)れのようなものも感じてしまう。


「それと、ウタは歌うものですよ」そういうと、巫女さんは再びスーッと足音を立てずに、拝殿内の舞台に戻り舞い始めた。何を意味するのかは、わからなかったが、気になる言葉だった。


翌朝、久志彦は大神神社の若宮社で、加茂仲彦と再会し斎戒を始めた。前回同様、まずは三日間、水汲みや滝行、祝詞奏上、瞑想を行う。四日目の朝、試練に挑んでも良いか、フトマニの占いで神様の判断を仰ぐことになる。


前回は初めてのことばかりで、体力的にも精神的にも限界を感じていたが、今回は要領がわかっているので余裕がある。瞑想では、神様からのメッセージ「己(おのれ)を知り、神を知るべし」について、ばあちゃんが亡くなってから知ったことや学んだことを振り返った。


ミホコが双子の姉であることには驚いた。それと同時に、結婚する運命ではないことに失望し、ヲシテ文字の後継者がもう一人いることには少し救われたような気持ちになった。この複雑な感情は、三日間の滝行と瞑想ですべて受け入れて、落ち着いて考えられるようになった。


また、陶邑家はかつて陶邑に住み、ホツマツタヱをまとめ上げた『オオタタネコ』の末裔で、そのご先祖は三輪山の神様である『クシヒコ』であると確信した。それが「神を知る」ことの答えであり、陶邑家がヲシテ文字を受け継ぐ運命(さだめ)にあることの意味だと納得していた。


四日目の朝は快晴だった。滝行を終えた久志彦に、フトマニの占いの結果が伝えられた。結果は、仲彦の笑顔を見れば明らかだった。ようやく、神様のお許しを得ることができた。


午後四時、一般参拝者の登拝が終わってから、久志彦は仲彦の案内で山頂を目指した。新しい真っ白の褌(ふんどし)を締めて、白装束を身につけて裸足で山道を歩いて登る。中津磐座(なかついわくら)で試練に挑むことを報告し、山頂の高宮(こうのみや)神社にご挨拶して、ようやく奥津(おきつ)磐座にたどり着いた。


仲彦は久志彦を加茂家だけに伝わる場所に案内して下山した。久志彦は翌朝まで独りで、ここで瞑想を行う。試練の内容は加茂家も知らないため、久志彦は少し不安だった。


日が暮れて東の空に月が現れ、やがて満天の星空になった。静かな夜の山頂は怖いだろうと想像していたが、実際には心地良くて眠ってしまいそうになる。夢と現実の区別がつかない、ふわふわとした状態で瞑想を続けて真夜中を迎えた。


南の空の月と北の空の北極星が、久志彦を照らし続けていた。やがて、目を閉じている久志彦の脳裏に、おぼろげな映像が浮かび上がってきた。大きな爆発が起こり、その爆発が広がっていく。その映像が何なのか初めはわからなかったが、太陽や地球らしきものが形成され、宇宙の始まりだと確信した。


その後、ホツマツタヱに書かれていたことが、次々に映像として脳裏に現れた。文章を読んで想像していたものを映像として観ることで、そのまま脳裏に焼きついていく。小説が映画化されたときのような感覚に似ていた。


壮大な歴史物語を観終わって目を開けると、空が明るくなってきた。久志彦はしばらくの間、呆然としていた。映画館で衝撃的な映画を観た後、椅子から立ち上がれないような感覚だった。


東の空が、ひときわ明るくなってきた。山頂で迎える日の出は、今までの人生の中で、もっとも美しい光景だった。太陽が地平線から、その姿をすべて現した頃、仲彦が山頂にやってきた。心配そうな顔で近づいてきた仲彦は、久志彦の満足そうな顔を見て安心したのか笑顔になった。


登拝口の狭井神社(さいじんじゃ)まで、二人は黙ったまま、ゆっくり下山した。薬水(くすりみず)と呼ばれる湧き水を飲んで、久志彦はようやく安堵した。若宮社の社務所に戻り、仲彦が作った温かい粥をいただくと、体の隅々にまで染み渡っていくようだった。


社務所を片付けて帰り支度を終えたところへ、仲彦の父がやってきた。

「久志彦さん、無事に試練を終えられて、おめでとうございます。私も、これで、ようやく引退することができます」

仲彦の父は、とても嬉しそうだった。


陶邑家の当主が代替わりして試練を無事に終えると、加茂家も代替わりする。これを古代から連綿と繰り返し、この先も続いていくのだろう。


試練とは何だったのか。改めて振り返って考えてみると、斎戒を行って神様のお許しを得ることが試練だったのだろうと思う。そして、陶邑家当主の「お役目」は、穢れを祓い、ホツマツタヱの世界を映像として記憶するための『器(うつわ)』になることだろう。この役目を何のために受け継ぐのか、それは、いつか明らかになるだろう。それまでは、この「お役目」を果たし、受け継いでいくのみだ。

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