パティシエのとっておき

馬村 ありん

パティシエのとっておき

 パティシエが、花火蝋燭はなびろうそくとてんこ盛りのメロンで飾られたバースデーケーキを運んできた時、卓を囲んだ加藤組の連中は歓声をあげたが、それは怒号に取って代わった。

 バースデーケーキが投げ捨てられ、コック帽も投げ捨てられた後、パティシエがその野太い手に拳銃ハジキ――デザートイーグルを握っていたからである。


「――何だぁてめえは!」

「――この野郎!」

 組員どもの罵声もパティシエには何の意味もなかった。言葉がわからなかったのである。


 花火の発砲音がすると同時に、加藤の親分の体はガクンと揺さぶられた。その頭に大穴が開いた。親分の背後にいた、ドレス姿のお客のむき出しの背中を真っ赤なグレイビーソースが濡らした――ほとばしる悲鳴。


 パティシエは中近東系特有のほり深い顔立ちを興奮や恐怖で乱すことなく、落ち着いた様子で引き金を引き続けた。

「野郎――!」

 反撃を試みた組員の銃を持つ右手を吹っ飛ばし、ジャケットの内側に手を突っ込んだ別の組員の右頬に穴を開けた。


 立ち向かってくる組員は少なかった。その大半はテーブルクロスの下に隠れ、頭を抱え身を守っていた。年寄りになればなるほどそうだ。一方で、若いやつもそうだ。命知らずのやつは得難いのだ。


 これ幸いとばかりにパティシエは発砲で牽制けんせいしながら、退却を図った。成功を確信した。報酬の百万円は俺のものだ。祖国くにの弟たちにようやく仕送りしてやることができる。大学に送り出すことだってできる。


 無人と化したテーブルの間をすり抜け、エントランスにつながる長い廊下を一心不乱に走り、外にいるはずの仲間のもとへ向かった。

 その途中で、こともあろうにパティシエは転倒した。Shit! 何かにつまづいた覚えはなかった。ただ、右足首が火傷ヤケドしたように熱い。見ればその先に弾丸が突き抜けた跡があった。


 ――


 パティシエは片足の痛みに悶絶しながらも、もう片方の足の力で逃げ切ろうと奮闘した。エントランスが近づいてきた。午後の日差しが照らす駐車場。バイクに乗った、黒尽くめのライダースーツが見えた。

 しかし――。

 背後から無数の発砲音がしたとき、彼はヒットマンとして最初のミッションをしくじったことを理解した。背中に、肩に、脇腹に、首に――鉄片がめり込んできた。視界が反転する。それとほぼ同時、仲間のバイクは逃げを打った。そのヘルメットに映る自分の姿を見て取った後、パティシエの意識は暗黒に沈んだ。


 ***


 加藤のオヤジの頭に穴が空いた時、坂田は絶望の悲鳴を上げた。

 ――オヤジ!

 坂田はこの世の誰よりも加藤を愛していた。囲っているどの女よりも愛していたと言っても過言ではない。本当の家族から捨てられ、振り込め詐欺の受け子をしていたとして投獄された後、すべての面倒をみてくれたのはこの世界でただひとり、加藤だけだったのだ。

 

 ――生かしちゃおけねえッ!

 怒りに燃える坂田だったが、ヒットマンの腕は正確無比だった。肝が座っていて、十人余りの極道を前にしておびえた様子もない。反撃を試みた連中が、その弾のえじきになった。正面からじゃ無理だと悟り、テーブルの下にもぐった。

 そこには幹部連中がいて、頭を抱えて貝のように身をすくめていた。――日ごろ威張りくさってる野郎ども、タマなしじゃねえか!


 坂田はうつ伏せになると、ジャケットから取り出した拳銃を構えて、ヒットマンに向かって狙いを定めた。野郎はもう退却を始めていて、エントランスに向かって走っていた。


 ロシア製の相棒の射程が届くことを祈りつつ照準を合わせた。ヒットマンまでの間にはテーブルやイスの足が障害物として幅を利かせていた。それでも、ヒットマンへと届く弾道がえた。坂田は祈る気持ちで引き金を引いた。


 拳銃が火を吹いた。

 次の瞬間、絨毯敷きの床の上でヒットマンが転倒した。

 弾が右足を撃ち抜いたのだ。

 ――命中しやがったぞクソが!

 テーブルの下から這い出し、立ち上がって狙いを定める。


 ヒットマンは片足だけでも動かそうと必死な様子だ。この期に及んで逃げようとしてんだから根性がある。

 だがそこを逃す坂田ではない。

 その背中に向けて狙いをつける。


 この頃になると我を取り戻した組の連中が一斉に銃を抜いた――遅いんだよこの野郎。いくつもの銃声と、客の悲鳴と、その後に続く沈黙。赤褐色に染まっていたパティシエの白服。そいつはもう微動だにしない。それでも坂田は発砲を続ける。弾が当たる度に揺さぶられる死体。


「もういい坂田」スキンヘッドの男が言った。「そいつは死んでる。それよりお前逃げろ。じきサツがくる」

「宮本の兄貴、守れなかったよ、オヤジを。俺のせいだ」

 坂田は目を真っ赤に染めながら、滂沱ぼうだの涙を流した。


「お前のせいじゃねえ。その場で仇討ちしてやったんだ。オヤジにはなによりの弔いだよ」

 宮本は言った。

「誰の差し金なんだ。か!」

「いいから行けよ。幹部会入って初日にパクられたくねえだろ。後の始末は俺がやる」

若頭カシラ、恩に着る」


 宮本は胸ポケットから携帯を取り出し、誰かにつないだ。知り合いのマル暴の刑事デカとわたりをつける気だろう。坂田を含めた組員たちは、宮本を背に駆け出した。


 赤色灯を光らせ、サイレンを響かせながらすれ違うパトカーを横目に、車中の坂田は涙を流し、上下の歯をきしませた。

 許せねえ。

 首謀者あぶり出してぶっ殺してやる。

 容赦はしねえ。

 腹ァかっさばいて公衆の面前でさらしてやる。


 ***

 

 夕陽を背に浴びて立つ大邸宅の前に、一台のバイクが停まった。黒尽くめの運転者はヘルメットを脱ぐと、スーツ姿のまま玄関へと歩みを進めた。


 玄関の両脇にいたジャージ姿の組員たちは、その人物を目にとめるなり、一礼すると観音開きの扉を開いた。

「芦原さん、お疲れ様です」

 葦原は無言でうなずいた。


 広い玄関に入ると、出迎えたのはヒグマの剥製。葦原は一瞥くれてやった。凶悪な面構えに、鋭い爪。ヒトの肉を食らったクマだという。真偽はわからないが本当だったらいい。。それから芦原は長い廊下の先にある部屋を目指した。


「入れ」

 ノックすると、男の声が言った。葦原は戸を開けた。

「芦原。加藤は死んだな?」

 洋室の客間には、二人の男がいた。ひとりは、髪を茶と黄色に染めた若い男だ。

「はい。ヒットマンも加藤組に殺されたのを確認しました」

 葦原はロングストレートの髪をかきあげた。


「上々だ。おい葦原、お前もくつろいでいけ」

 男は口角を上げた。

「酒だ。ついでやれ」

 ミニバーの前に突っ立っていたジャージの若い男が、ロックグラスにスコッチとブロックアイスを入れた。

 葦原は高木の隣に腰を下ろした。


「驚きましたよ、高木さん。まさか若い女性が組員とはね」

 高木の向かいに座っていた男が、葦原の姿をみとめて顔をほころばせた。

「いまは男女同権の時代ですからね。高木会としちゃ性別問わず有能なやつは出世させているんです。コイツは連絡役になります。以後お見知りおきを」

 酒が届いたので、葦原は口につけた。スコッチは嫌いだ。うまくない。


「こちらで用意したヒットマンも死んだ。死人に口なしだ。さて、これからのストーリーどうします?」

 高木は向かいの男を見つめた。

「九州からきたやつらがいるでしょう。あいつらに罪を着せる。そんで俺達で共闘して潰すんですよ。その恩で俺達は高木会の傘下に入ります」

「聞いたか葦原、きょうは歴史的な日になるぜ。長年のいがみ合いも今日で終わりってことだよ。なあ、宮本さん」


 葦原は目の前に腰かける宮本という男を見た。スキンヘッドに優男風の四十男――加藤組の若頭だ。

 宮本は口元に笑いを浮かべ、高木に相対した。

「非公式には、きょうが争いの終わった最初の日ってことになりますね」宮本はいった。「乾杯しましょう会長、の栄光に」

 三つのグラスがぶつかりあった。


終わり

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