桃太郎〈優しい鬼〉

@k_sakuraba

第1話

「大将はどこの生まれですか?」

 小さい抹茶色の鬼が、酒宴の真ん中にいる赤鬼に尋ねた。その者は大将と呼ばれ、まさに破竹の勢いを誇る鬼ヶ島の軍勢の頭領を務めていた。島の周りの森林から乱暴に伐採してきた樹木を適当に組み上げて焚き上げた火がごうごうと闇夜の空へと立ち上る。木の屑が黒い雪のように舞うのを大将は眺めていた。

「ばっか、何聞いてんだ! すみません、こいつ、礼儀がなってねえ酒も飲まねえ若い衆で。京に生まれた妖の化け物どもをねじ伏せて一番にのし上がった英雄殿に決まってんだろ!」

「そうだぞ、大将の伝説はいくらでも散らばってんだ」

「京の西方のここにだって轟くくらいにはな!」

 片目の鬼、右角しか生えていない鬼。下着のみで闊歩する者もいれば、服すら窮屈だと破いてしまう乱暴者まで揃っている。本来一匹一匹で活動し群れることのない彼らがこうして集結しているのはまさに大将のおかげであり、そのためにここまで戦力が肥大化した。今ではこうして人間に恐れられる小島に集落まがいのものを作ってお互いの命を守っている。

 鬼だって、生きている。

「俺ぁ寝るぜ」

「いちいち言うなよ。どうせみんな寝てんだから」

 燃え上がる焚き火が収まってきた頃、鬼たちは微睡みの中へ落ちていく。そのまま堕落を貪り昼まで起きない者がほとんどで、肉体的に強い彼らにとって焚き火などあってもなくても同じだし、雨が降ろうと関係ない。

「ちび。お前、新入りなのか」

 大将は地面に胡座をかいて、動物の臓物で作った水筒からぐびりと飲み物を飲んだ。全身返り血を浴びたような真っ赤な鬼に睨まれて、小さな鬼は縮こまって「はい……」と返事をした。

「来い」

「はい……」

「それしか言えんのか」

「い、いえ。喋れます。わたくし、喋れます」

「丁寧な口調だな。どういう生まれだ」

 大将はその辺りに転がっていた土まみれの肉塊をつまみ上げて渡した。恐らく女体の一部だ。ほとんど食べ尽くされているが、小さな鬼にはちょうどいい大きさだろう。彼は恭しく受け取った。

「はい。人間の見せ物小屋におりました。そこでは調教師という者がおり、わたくしが逆らうと折檻するのです。そしてわたくしの角を粉末にすると毒となり憎いものを殺せると嘯いたり、鬼は腕を切り落としてもすぐ生えてくるのだと何度も見せ物にするのです」

「それがどうしてここに?」

「兄上に……あ、兄上というのは先程の失礼を止めてくれた鬼です。わたくしが勝手に兄上と呼んでいるのですが、兄上が鬼何匹かを連れてあっという間に人間どもを食べ尽くしてしまったのです」

「そうか」

 大将は聞いておいて興味なさげに水筒の中身を嗅いだ。まだ酒気を帯びているか確認しているのか、単なる癖か。

「俺の生まれは下総だ」

「え!」

「慎め」

「あ、ごめんなさい」

「大声を出さなければいい。皆が起きるだろう。俺の生い立ちなんて安いもんだ。誰に言いふらしても構わん」

 それはどうせ誰も信じないという自信からではない。“どうでもいいから”だ。

 自分は誰よりも統率する才覚がある。自分がいなければ野蛮で傍若無人な鬼たちが徒党を組めるはずがない。自分なしではこの組織は成り立たないのだ。

「下総からふらふらと歩いてここまで来た。鬼の寿命は長い。人間の何倍もある。けれど、人間より長生きできる者は少ない。何故か分かるか」

「殺されてしまうからです」

「そうだ」

 この小さな鬼も小さいうちは見せ物として利用してもらえただろう。しかし大きくなったら? 手に負えなくなる前に彼は寝込みに心の臓をひと突き、殺されていただろう。

「俺たち鬼は弱い。人間を食い、手で大木を引き抜き、空の鳥を手で鷲掴めるが、弱い。誰もが人間より長生きしていないから、知識がない」

「大将は、知識があったんですね」

「人間の言葉で胡麻をすると言うらしいな。殊勝な心がけだが、鬼社会では意味を持たない。ただ腕力を持てよ。力を持てよ」

 小さな鬼は自分の腕の中でどの部位とも知れぬ肉をじいっと抱き続けていた。それを見る大将もまた水筒を一度も傾けなかった。

「大将は何歳ですか」

「人間の数倍か。数えるのも億劫でな、大体それくらいだろう」

「すごいです。色々な経験をすると賢くなり、深みが増すと聞きます。大将は、すごいです。わたくしは大将を目指したく思います。知識をもって大将を助けたく思います。それでもやはり力を持たねばなりませぬか?」

「ああ。忘れるな、力を持てよ」

 小さな鬼は最後まで肉を食べなかった。

 大きな鬼は最後まで酒を飲まなかった。

 水筒の中身は、ただの水でしかない。


 色々な戦士を見てきた身には、自分を討ちに来た仇敵がいつどこからどうやって侵入するか手に取るように分かっていた。いくら鬼が作った砦とはいえ、砦の元にしたのは人間の建造物だ。砦の裏手に小さな扉がある。それこそ大将は通れないくらい小さな。

 そこのつっかえ棒が鳥の長い嘴によってかたりと落ちた時、棒が立てる音を防ぐために棒をはしりと取った者がひとりいた。それは紛うことなく、赤い鬼の大将だ。

 ぎい、とゆっくりと開く扉の向こうに、そいつらはいた。

 人間、犬、猿、鳥。珍妙な組み合わせの四人組が鬼退治に出向いていたというのは本当だったのか、と驚くより先に納得が来た。徒党を組んだ鬼を何とかするのに人間だけでは心許ない。というより不可能だ。

「ここを通りたいか、人間」

「ああ。俺たちはお前たち悪鬼を全員殺しに来た」

「ほう、大きく出たな。誰ひとり逃さぬというか」

「当たり前だ。お前たちの悪逆非道、ここへ来るまでにいくつも見てきた。命を何とも思っていない化け物、生きている価値もない」

 鬼は人間に視線を合わせるように、窮屈そうに体を折り曲げた。猿たちは反撃の構えを見せたが、人間だけは臆さず鬼と見つめ合った。

「俺のこともそう思うか? 『命を何とも思っていない化け物、生きている価値もない』と」

「ああ」

「全く、人間様は見る目をお持ちらしい。いいだろう。命をどうとも思わない俺から取引だ。俺が今ここで音声おんじょうを上げれば瞬く間に鬼が集まりお前たちは全員八つ裂きだ。けれどひとつだけ救う道をくれてやる」

 鬼は指を立てた。節くれだった棍棒のような太さの指の先に、汚らしい鉤爪が付いている。

「ひとつだけ命を置いていけ。そうしたら俺はお前らを通してやろう」

「仲間を売れと言っているのか」

 人間は肩を怒らせた。これだから若いのはいけない。すぐ血気盛んになる。こんなにも美味しい条件、他にないというのに。

「話にならない。そもそも鬼と取引をする気はない。悪いが押し通るぞ」

 細い通路だ。猿たちの援護は期待できない。しかし人間は勇敢にも腰から下げた鉄の棒、つまり刀を抜く。夜のぬるりとした月明かりを反射した。こんな薄くて細いもの、大将の皮膚一枚破れるはずもないのに。しかし一箇所だけ、一箇所だけある。

「来い、真っ直ぐだ。俺の体のど真ん中、真っ直ぐ貫いてみせろ」

「言うまでもない」

 刀を振りかぶる。しかし、それを鬼は容易く握って押さえた。人間は慌てて刀を抜こうとするがどうしようもない。ぐ、ぐ、と一方的な力比べが続く。

 鬼はずいと人間の顔に自身の顔を近付けた。その息は酒の味も肉の味もとうに忘れた、綺麗なものだった。

「ここだ、愚か者」

 言うが早いが刀の先端は鬼のへそへと吸い込まれていく。人間が握る凶器が、鬼の手によってゆっくりと、蛇が穴へと滑り込むように。ぱあっと鮮血が散ることはなかった。ただ穴の隙間からだらりと粘液のような赤い血が垂れてぽたりぽたりと地面へと落ちていく。夜の闇では血も水も区別がつかない。まるで清流でも流すようにして鬼の大将は笑った。

「ほら、言ったろう。命をひとつ置いていけと。さあ、お前たち人間の番だ」

「何を言って」

「集めてやったと言ったのだ。悪鬼どもをひとつの牢屋に。暴れてくるがいい」

 人間の手の震えが刀から伝わる。けれどこの刀はここで潰えるわけにいかない。これからたくさんの鬼の血を吸うのだから。思い切り抜いてやるとぐぽ、と嫌な音を残して急所から鉄の棒が抜けていった。火箸でも突っ込まれていたかのような感覚だったのに、今度は嘘みたいに寒い。鬼はどおっと地面に伏した。地響きが辺りに響き、遠くの焚き火から上がる黒い雪のような燃えかすが彼の躰の上を舞う。ざり、ざり、と嫌な音を立てながら爪で地面をかいた。早く行け、と言えたかすら怪しい。ただ人間たちは自分の横を無事通り過ぎていったらしい。軽快で足早な四つの足音を聞いて、口で弧を描く。

――なあ、約束は果たせただろうか。人間が好きで仕方なかった、お前との約束を。


 下総では人間が少なかった。いたとして貧乏な身なりで、遊ぶ相手がいないとか村から離れたところに住んでいるとかで、面白いことに鬼の遊び相手をしてくれた。一緒にすすきをいっぱい持って肩車をして走り回った。木が登れないというから木に足を引っ掛ける穴を空けてやった。そうして遊んでいたから彼らが大きくなってからも交流は絶えず、そして寿命の短い彼らは死んでいった。

 その場所に飽きていた大将と友人は旅に出ることにした。西の方にはたくさん人間も鬼もいるのだと聞いた。ともに笑い杯を交わし話に花を咲かせようとしたのだ。けれど現実は残酷だった。

 小柄な友人は突然武士に斬りかかられて死んだ。本当に突然の出来事だった。けれどもし大将が、今、大将としての力を持っていたならば武士が刀を振るうより先に相手を殺せたかもしれない。

 大将は暴れた。そこら中が血の海になった。引き抜いた大木で辺りの建物を壊し、武士を原型を留めぬほど叩き潰し、大将は泣いた。友人の傍らで泣いた。

 けれど友人はどうしようもなく馬鹿だった。いや、同じくらい人間が好きな大将も逆の立場だったら同じことを言ったかもしれない。

「真実を見極めてくれ。人と鬼、どちらが正しいのかを」

 それから幾年も経った。

 鬼は死ぬべきだ。それは自分を含めて。

 それが人間の寿命以上の時間をかけて出した答えだった。

 いや、もしかしたらこれはただの壮大な後追い自殺なのかもしれない。人間たち一行が来ていることを知っていながら対策を講じず、わざと裏門を通し、大将を倒したという事実で身内を混乱させ、そうすれば鬼たちはあっという間に殺されるだろう。ただひとつ、心残りがあるとすれば。


「桃太郎、この子はまだ若い」

「だが鬼はみな人間を食う。他のものでも腹を満たせるのに人を食う。そういう種族だ」

「……従うけどさ」

 桃太郎と呼ばれた人間と、その肩に乗る猿。ひとりと一匹の前にいるのは、抹茶色の小さな鬼だった。

「ただ腕力を持てよ。力を持てよ」

 鬼はぶつぶつとそう呟き続けていた。何の役にも立たないだろう、ひょろひょろとした細枝に石で削った刃を付けて、それを両手で抱えるように構えている。全く戦い慣れしていない、震える体。しかし瞳は殺意に溢れていて、わなわなと震える唇からは何度も同じ言葉を繰り返す。

「力を持てよ。力を持てよ。力を持てよ。そうじゃないと、そうじゃないと……大事な人を守れないから」

「人?」

 桃太郎は眉を吊り上げた。その顔は静かな怒りに満ちていた。桃太郎の鬼への憎悪は人一倍だ。道中、今まで一体どれほどの惨状を見てきたことか。それが、何の権限を持って、

「鬼が自分たちのことを“人”だって? 馬鹿げてるな」

 言うが早いが桃太郎は片手で逆袈裟斬りをしてみせた。まるで見せ物のような軽さで、小鬼は真っ二つに切り裂かれた。

「え」

 自分の体がどうなっているか分からない。ただ視覚が斜めにずれていって、最終的にぼとりと地面をはらわたで感じた。血が込み上げて口を占める。ごぼっごぼっ、と何とか空気を確保しようとするが、もう既に何もかも終わりなのだと分かっていた。

 分かること、ただひとつだけ。

 口いっぱいに広がる芳醇な血の匂い。味。血肉とはかくも美味いものか。鬼のそれがこうならば、人のそれは、

「ああ、わたくしはどうして」

 こんなに美味しいものを今まで一度も食べないで生きて来てしまったのでしょう。

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