第20話 シャングリラの夜

 ひなのの影も又、形と色を成し始めていた。

『おお、ひなの、お前も始まったか。お前も来るか?扉を開けて待っていてやるぞ』

 そこに現れたのは、白い羽もうろこもない、元のひなのの姿だった。


 ひなのに戻ったその瞬間しゅんかん、彼女は頭を抱えて、口を開け、声を出さずにはげしくさけんだ。そして、そのままうずくまると、石のようにかたまったのだ。


 無数の糸がどこからか生まれ、ひなのの周りを取り囲み始める。

「ひなの!」

 そう言って、りおがった。

「なぜ?またまゆになるつもり?なぜかえすの?」

 長いりおのはなが、ぴたりと、ひなのの耳にい付いた。

 鼻が夢を思い出す。


 りおは、いたみのバクたちとのやり取りを思いかべていた。

「おいらたちは、かなしい夢を食べてるんだ」

「お前、いわいのバクだろ?」

「バクなら自在じざいに大きさを変えられる」


 そうだ、耳から夢の中に入れるんだ。私は祝いのバク。夢に祝福しゅくふくを与えられる。


 りおの体はみるみるちぢんで、羽虫のような大きさになった。

 そしてひなのの耳から、夢の中に入っていくのだった。


 ◆◆◆


 夢の中で、始めに見たものは、薄暗うすぐらいいばらの道だった。

 進むたびにそこここをひっかき、腕も足も傷だらけになってゆく。

 少し先に明かりが見えた。出口だろうか。


 そこにいたのは、生まれたばかりのひなのだった。

 お父さんとお母さん、おばあちゃんにかこまれて、幸せそうに手足をばたつかせている。

やわらかい平仮名ひらがなの名前がいいな」

「そうね、女の子だから、やさしい名前がいいわ」


 少し先に明かりが移った。りおは、そちらへ急ぐ。


 そこにいたのは、3歳に成長したひなのだった。乳幼児健診にゅうようじけんしんで、健診員が首を横に振っている。

「もう一度丸を書いてみようか」

 ひなのは、紙に鉛筆を走らせた。

 丸はいびつゆがむ。

「このはしと端をぴったりくっつけられないかな」

 ひなのは、何度やっても丸を描く事が出来ない。


障害しょうがいとまでは言えませんが、発達に問題があるようですね」


 明かりは、次々に移った。


 小学校の教室。先生にお父さんとお母さんが相談している。小さなひなのが、心配そうに両親の顔を見ていた。

「なるほど、支援学校しえんがっこうですか。当小学校は、全面タブレットでの授業です。文字が書けなくても、問題なく授業についていけますよ」


      『文字?ひなのは、文字を書くことにハンディキャップがあったの?』


 帰り道。ひなのの手をつなぎ、歩く父と母。ひなのは、しょんぼりしていた。

「かなり授業料じゅぎょうりょうが高いわ」

「いいじゃないか、公立では勉強について行けなくて、ひなのに良くないよ。いじめられるかもしれない。あきらめるのもいやだ。文字が書けないだけなんだよ。かわいそうじゃないか。俺、頑張がんばって働くから」

「わかった、じゃあ私も、働くわ。うちには、おばあちゃんもいてくれるし」

    

      『そう言えば、ひなのがさぼる授業は、たいてい国語だった』


 車両事故現場しゃりょうじこげんば。水色の車、右側に激しい損傷そんしょうがある。そばに止る救急車。運び出される男性と、高齢の女性は意識がない。ひなののお父さんとおばあちゃんだ。ひなのは、小学…4、5年生ぐらいだろうか。母親とふたり、傷ついた体でタンカを追っている。

「お父さん!おばあちゃん!」


 病院。医師の説明。包帯だらけのひなのの母が座っている。

「残念ですが、ご主人は多臓器たぞうき損傷そんしょうしており、手のほどこしようがありません。お母さんは、脊髄せきずいを損傷しておられます。ほとんどたきりになるでしょう」


 家。寝たきりのおばあちゃんの体勢たいせいを変えているひなの。

「ひなの、ごめんね。お母さん、今日仕事、早番だから」

 ひなのは、れた手つきでクッションをはさんでいる。

「いいよ、やるから、行って」

 ひなのは、時計を見上げる。

遅刻ちこくか」

     

      『遅刻の常習犯じょうしゅうはんって、このせいだったの?』


 学校。ひなのは、着くなり保健室に転がり込む。

つかれた」


     『泣いている?ひなの?ああ、眠りながら泣いている』


     『知らなかった。悪ぶってたし』


 家。眠る祖母。

「優しかったおばあちゃんの、あの面影おもかげなんか、どこにもない。こんなの知らない人よ。いつまで続くの?もういやだ」


 病院。

「おばあちゃん!」

誤飲性肺炎ごいんせいはいえん?」

「ひなののせい?」

「ちがうわ」

「ひなのの食べさせ方が悪かったの」

「違うわ、ひなの」

「違わない。ひなのがおばあちゃんをうとましく思ったからだ。それで、おばあちゃんは・・・」


「おばあちゃんが、亡くなった。もう、いない。お父さんも、おばあちゃんも。全部ひなののせいだ。もう、嫌。もう」


 そこが抜けたように、ひなのが丸くなって落ちてゆく。優しく糸がからまり、弱ったひなのを包み始めた。柔らかい優しいクッションの中で、ひなのは赤子のように安心して見えた。


「赤いガラスの宮殿には、幸せしかないのだよ」

 ハデスの声だ。

 いたみのバクは、この哀しい夢を食べ続けた。でも、いつまでもあふれ出て、もう、たましいを取り除くしかなかったのか。


 だけど本当に?本当に?


「助けてって言って!ひなの!」

「誰か助けてって!言うのよ!ひなの!」


 ひなのが、りおに気付いた。

 ひなのは、言葉がよく聞こえていないようだった。


 深くなる繭の中から、ひなのはただ、ぼんやりとりおに視線を向けている。

 ひなのは、りおの方に手を伸ばした。そして図らずも、その言葉を口にするのだ。


「たすけて」


 りおは、必死で繭をぐ。いつの間にか、みーくんが現れて、ひなのの右手をつかんでいた。そして左手を、ゆたぽんが引っ張っている。

 ひなのが繭から出されると、レヴァンが4人をまもるようにつついた。


 いつの間に夢から出ていたのだろう。

 りおの鼻は短くなり、大きさも、元の大きさに戻っていた。球状の鏡も又、透明とうめいなガラスの広間に戻っている。

 玉手亀たまてがめが、少しはなれた所から5人を見ていた。

 辺りは、すっかりむらさきに落ちている。

 東の空にニュクスが見えた。

 赤いガラスの宮殿にいた人たちは、もうどこにもいない。

 ガラスの宮殿が、淡いムーンライトのように、ぼんやり光った。

 黒い羽のマントを羽織はおっていたハデスは、美しいモザイクのマントに身を包み、青年のように若返わかがえっている。


 そして、「ハデスは行ったよ」と、ハデスが言うのだ。


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