第19話 赤いガラスの宮殿

 りおたちがいたのは、空中の円形の広間だった。

 床も赤いガラスでできていて、宙に浮いている。

 ガラスのソファ、ガラスのかざたな天井てんじょうもすべてがガラスで、美しい夕焼けがそのまま見えていた。

 光りかがやく赤いガラスに照らされて、全てのものが赤く輝いている。

 りおたちは、不安げに辺りを見回した。


 突然とつぜんの、ぽよん、という音に緊張きんちょうの糸が切れる。


 みーくんは、ガラスのソファにびのっていた。

「このソファ、ガラスなのにふかふかだみよ」

 皆は、おかしくなって笑った。


 次いで 「おお!」と、言う、レヴァンの声がひびいた。

 レヴァンは、飾り棚から何かを取り上げている。

 手にしていたのは、ガラスのくつだった。

「シンデレラのガラスの靴!」

「すごいね。本物を初めて見たよ。けるかな」と、ひなのが言う。

「やめなよ!ガラスだよ」と、りおがあわてた。

「そーっともどして。そーっとだよ」

 ガラスの靴のとなりには、目覚めざまし時計がいてある。

「なんて変わった…目覚まし時計?ガラスなのね」と、りおの目がかがやく。

 それは、球体きゅうたいの目覚まし時計だった。つややかな赤いガラスで出来ている。不釣ふつり合いな大きな針が、むき出しについていた。トンボ玉の惑星わくせいが、その目覚まし時計を取り囲むようにして、太陽系がかたどられているのだ。太陽の周りを惑星が公転こうてんしている。

「こんなに小さいのに、すごく精巧せいこうだね」と、ゆたぽんが言った。


 魂手亀たまてがめが大きく首を動かしている。それから、首を伸ばしたりちぢめたり、かしげたり、いそがしく動いて見せた。

 りおは、しゃがむと魂手亀たまてがめに話しかけた。

「何か話したいみたいだけど。ごめんね、何言ってるか分かんないわ」

 しゃがんだりおの足元から、宮殿きゅうでんの下がかすかに見える。

 そこにいたのは、まぼろしのような人影ひとかげだった。

 若夫婦が幸せそうに語り、老人が座り、びっこの少女がたたずんでいる。

「下に誰かいる」

 みなが下をのぞきこんだ。

「さっきまではいなかったのに」

 たったそれだけの光景こうけい

 何もおそろしくはないのに、メロウは、ガタガタとふるえていた。

「メロウ、どうした、何を怖がっている?」と、レヴァンがたずねる。

「くる」

「くる?」

「赤いガラスの宮殿には、冥府めいふの王ハデスが住んでいる。ハデスが宮殿のかげに気付いた」

「ハデスって、鏡の国の王ではないの?」と、りおが言った。

「赤い夕陽を受けた、赤いガラスの宮殿は、冥府の世界になるの」


 赤い輝きは、突然、黒い何かにさえぎられる。

 大きなつばさが見えたかと思ったら、羽音はおとと共に羽のマントをまとった男があらわれた。頭上に黒曜石こくようせき王冠おうかんたずさえている。

「ハデス」

 そう言うと、メロウがレヴァンの後ろにかくれた。

「久しぶりだな、シルバードラゴン・メロウ。この者らに入国を許可したのはお前か」

「違う!かがみの国の王ハデスだ」

「何?鏡の国の王が?」


 天井の赤いガラスに、そのやり取りの映像えいぞうが現れた。事の次第しだいを理解したハデスが言う。

「ふむ、影の鏡か。ひなの、とか言ったな。本当に見るのか、お前ごと粉々にくだけるかもしれんぞ?」

 そう語るハデスのまがまがしさは、まるで死神のようだった。ひなのの背筋せすじに冷たいものが走る。緊張で足が震えた。のどの奥から、心臓しんぞう鼓動こどうが大きく響く。

 魂手亀たまてがめが、ひなのの足元にすりって見上げた。


    『浦島太郎さんは、意志を持ってフタを開けたのだと思います』


 そう、そうなんだ。私もそうなんだ。

「私は、見ます」


 ハデスは、宮殿の天井まで飛び上がった。

「いいだろう!鏡を見よ!」

 赤い広間は、瞬く間に球状になる。ソファも飾り棚もアールにゆがんだ。


「いやよ!やめて!私は出して!」と、メロウが叫んだ。

「影に何も持たぬ者には、何も起こらぬ」

「だめよ!いや!影があらわになる!」


 ひなのとメロウの影が、突然反転とつぜんはんてんして二人をのみ込んだ。


 球状の鏡に何かが映し出される。それはメロウだった。


 幼いメロウ。

 ウミヘビの兄弟たちにいじめられている。

「なんだよ!お前!短い尾っぽ!みにくい醜いメ・ロ・ウ」


 兄弟たちが、友人たちにいじめられている。

「ウミヘビめ!なんだよ!おまえら!こっちくんな!」

 醜い醜いウミヘビの中で、一番醜いのが自分。

 醜い醜い私。


 ハデスの声が響く。

「メロウよ。お前はどうしたいのだ。醜い醜いと連呼れんこして。シルバードラゴンとして人々を威嚇いかくし、誰も寄せ付けず。ウミヘビにもきらわれ。それでも自分の姿が受け入れられない」


 メロウの影が形を作っている。

 影は、やがて色を成し、中から現れたのは、クリスタルの人魚だった。

 神々こうごうしいほどに美しい。

 誰もが息をのんでせられた。


「クリスタルメロウ。その姿が、お前にとって、もっともなりたくない自分。決して直視ちょくしできない、おのれの姿」


 メロウは、かたまったまま動くことが出来ない。

 わずかに視線しせんをレヴァンに向けた。おどろく表情のレヴァンを見ると、彼女はそのままたおれ込んだ。美しさに驚いているのではなく、醜さに驚いているのだと思ったのだ。


 メロウは、意識いしきがなかった。だが、声だけは聞こえる。

『メロウ、メロウよ』

 メロウは、ピクリとも動けずに、その声をただ聞いていた。

『メロウ。そのうでにあるのは、クリスタルレインのうろこ。彼は言ったはずだ。その姿を影の鏡に映せと。お前は恐れた。そばまで着きながらも、進むこともはなれることもできず、宮殿に来るものをこばみ、勇気を否定し、そしてけた。それがお前の望むことなのか』


 メロウは、心の中で答えていた。その声は、よどみなくひびいた。

『恐れ。そう、恐れた。人から馬鹿ばかにされることを、醜いと否定されることを。怖くて、かくれて、威嚇いかくして、けて。だけど、そんなことを望んでなんていない。それでも、怖いの!だってそうでしょう!』


『なぜ、人の言葉を恐れる。お前はずいぶん見栄みえりだな』

『見栄っ張り?醜いことの何が見栄なの』

『自分はこんなにもかわいそう。こんな自分でさえなければという、おごりがあるのだ。』

『おごりなんてない。私は・・・』

 メロウは、後の言葉が続かなかった。


立派りっぱかしの木も、邪魔じゃまだと言って切る者もいる。咲く雑草を、美しいとでる者もある。なのにお前は、自分が全てでなければなければならないのだな。だが望むならいつまでも、ここにおいてやろう。美しくほこり高きシルバードラゴン。赤いガラスの宮殿の、住人としてな。ここにいれば、もう幸せだ。立ち向かわない者よ』


 メロウは、突然目覚めると体を起こした。ハデスの視線をしっかりと受け止めてから、わずかにレヴァンを見たような気がする。


「ありがとう」

 そう一言だけ言うと、ざぶんという波音と共に、メロウは消えた。その先には、かすかにクリスタルの海が見えた。


「メロウ」

 レヴァンが小さくつぶやく。

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