第6話

「体の調子はどうかしらん」

「今は、だれにも会いたくないの」


 私の顔をみるなり、アイラはアトリエのなかにもどってしまった。

 私は深呼吸をした。

 この空間にいると多幸感にみたされる。

 現実世界の空気は、ふたたびガスでよごれてしまったが、ここは澄み切っている。愛らしい夢生動物たちが、野原をかけている。空には人の魂が、風船のようにふくらみ、うかんでいる。


 胸を刺されたアイラは、一命をとりとめた。

 しかし、現実世界でふたたび目をさますことはない。

 刃は、彼女の「生命維持のための一部」を切断してしまった。

 人のかたちをしているが、ただ、呼吸をくりかえすだけの肉となった。

 彼女は「夢重ねシステム」の装置をとりつけられ、夢の世界に生きている。

 

 彼女の肉体が再起不能ときき、国の上層部の意見はすこし割れた。

 ひとつは、そのまま破棄しようというものだった。

 彼女の保護を図る国を、敵視する国民は多い。今回の事件の首謀者もそのうちの一人であった。彼らの反乱をおそれた者たちは、アイラを処分し、彼女のいない国政を取り計らうべきだと主張した。

 もともと、ひとりの少女の夢におぼれる国政こそが、幻想であったのだ――。

 だが、それは少数派であった。

 多くの者たちは、それでもアイラの力にすがりつこうとした。彼女なくして、いかに民をみちびくのか、少数派の者にそうたずね、だまらせた。

 

 けっきょくアイラの体は、生命維持装置をとりつけられ、むりやりに命を存続させられた。

 彼女は夢の世界で、延々と、国民にむかって、夢を描きつづけている。

 私は彼女の友達という特権を活かし、時々、彼女の様子を見に行くことが仕事の一部となった。

 だが刃物に刺されてから、アイラは、人を恐れるようになった。

 おびえるようにアトリエにとじこもり、私がおとずれても、なかなか会おうとしない。今日も特に収穫はないか……、そうおもって帰ろうとすると、ハーブティーのカップをふたつもって、アイラがでてきた。

「皆から死ねといわれる」アイラは、ハーブティーを一口飲むと、遠くの山をみつめた。銀色の粉が、つもっている。おそらく、現実ではふることのない、雪を描夢している。「私はいらない人間だ」

「なにをいっているの? アイラの夢がないと生きていけない人が多くいる」

「私はあなたになりたかった」アイラは、グレーの瞳で、遠くの山をみつめている。金色の髪が、風になびいている。

「……は?」

「私の作る夢生動物は、悪魔の化身だとよばれている。アイラは悪魔の創造主だと揶揄されている。たしかに私の描く夢生動物は、不気味で、愛らしさがない。あなたが描く夢生動物とは、おおちがいだ……。

 私は、あなたになりたかった」

 アイラはしばらくだまった後、うつむいたまま、アトリエにもどった。

 銀色の蝶が一羽、私の前をよこぎった。

 私はそれをにぎりつぶした。

 手をひらくと、蝶はすでに粉々になっていた。

 ハラハラと、銀色の粉末となって、地におちていった。

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