第四十五話 花も嵐も踏み越えて






 例年になく異様に濃度の高かった今年も、12月に差し掛かった。


 今夜は奈智子に連れられて、都内のホテル内のレストランにやって来ていた。


 このレストランはビュッフェスタイルで、特にケーキの種類が豊富で有名らしい。

 ディナーの時間帯に訪れたけれども奈智子は料理を早々に切り上げ、テーブルに大量のケーキを並べ始めそれぞれを少しずつ交互に食べている。


「……そんなに食べられるの?」


 わたしはショートケーキとホットコーヒーを楽しみつつもその少女の無軌道な食欲を観察する。


「うん、余裕余裕。このために来たんだし、どんどん行くよ」

「……とてもじゃないけどわたしには無理ね」

「どれか食べたいのがあったらつまみ喰いしてもいいよ」

「なら……」

 わたしは奈智子の前に並ぶケーキ群のひとつ、チョコムースケーキの角をフォークで削ぎ取り、口に運ぶ。うん、美味しい。上品な甘みで、ほんのりと果実酒の贅沢な風味を感じる。果てしなく食べたくなる気持ちもわかる。


 奈智子は、そのデコレートされた若さに任せて遠慮無く食欲を発散する。「若い頃のいくら食べても太らない体質が戻って来てる」という殺意すら抱きそうになる発言の通り、何も気にせずホテルの高級ビュッフェのメニューを制覇していく。

 ただ、女子高生独りでこんな店に来ると悪目立ちして落ち着かなくなるということなので、わたしも連れて来られたという訳だ。


「結構さぁ、雰囲気は良いけど味はイマイチみたいなホテルのレストランってたまにあるじゃん? ここは辺りで本当に良かった! 味も良いし雰囲気良いし」

「まぁ、相応に値が張る訳だけどね……」

 わたし達のテーブルの横はガラス張りで、上空から東京の夜景を眺めることが出来る。ロケーションは完璧である。


「今日は12月の上旬だからまだギリ予約が取れたけど、来週からは平日もほぼ予約一杯なんだよ!」

「それは、そうでしょうよ」

「クリスマスはさぁ、どこもかしこも込んじゃうから、夕飯どうしようかって悩んじゃうんだよね」

「どこに行く予定なの?」


 もう慣れてしまっていたおかげで察せられたけれど、奈智子の話題がいまシームレスに『柏木とのクリスマスデートの計画』にシフトした。


「都内のイルミネーション見に行きたいって話をしていて、行くのはいいけどさ、クリスマスの都内のお店とかもう絶対込むじゃん? まぁ、行った先でお店に入れそうなら並ぶけど時間が掛かりそうなら一回地元に帰って来てお店探すのもアリかもなーって話してて」

「……都内のお店で並んでみるって選択肢は無いの?」

「どうかなぁ~。待ち時間は苦にならないと思うけどあまりにもエグいレベルの行列ばっかだったら臨機応変に考えないとな~って」


 ……非常に楽し気に、満ち足りた様子でクリスマスデートの計画を話す奈智子。

 その様子は、母親に幼稚園の片思いの男子の話をする童女のようですらあった。


「結局、ひなはその柏木くんを選んだのね?」

「うん?」

 フォークに付いたクリームを舐めながら、目を丸くして首を傾げる奈智子。


「玲くんのことを狙ってたんじゃないかってずっと疑ってたから」

「え~、あくまでも候補レベルだって言ってたと思うけどぉ?」

「……妙に思わせぶりな感じに見えてたから」

「あ~~……」


 奈智子はわたしから視線を逸らし、フォークを宙に彷徨わせながら何やら思案した。そして、フォークを静かに空いた皿の上に置く。


「まぁ~、もちろん? わたしと玲くんが好き同士になる未来っていうのもアリだとは思うんだけどね?」

「その未来を選ばなかった決め手とかあるの?」

「単純に巡り合わせだと思うんだよね。シンプルに柏木くんと仲良くなってなかったら玲くんと付き合ってたかもしれないけど、実際は柏木くんが居たわけだし玲くんは別の女の子と付き合い始めたわけだしね」


「……正直さ」

「ん?」

「長幸さんへの意趣返しのために玲くんを誘惑してるんじゃないかと警戒してたのよね」

 恐る恐るそう言うと奈智子はふふふと厭らしい感じでほくそ笑んだ。


「そんな酷いことしないよぉ~、って言いたいところだけホントはそれもちょっと考えた」

「やっぱり」

「でもさ、やっぱり玲くんは長幸くんとは別の人間なんだよ、長幸くんの面影は色濃いけど。色濃く影響を受けているゆえにそれはつまり別人でさ、長幸くんの所作や人格が時代や玲くんの境遇にフィルタリングされて別の何かになろうと足掻いている。長幸くんを見てきたわたしやみのりぃからすればなんとなく長幸くんの面影を見てしまうんだけど、自分の意志でひとりの人間に成ろうとしている姿は親心みたいな愛おしさの方が勝ってしまう」


 親心。


 ……あまり言及しない方が良いような気がする単語が出て来た。


「わたしとしては玲くんも柏木くんも子どもにしか見えないんだけどね……」

「柏木くんの親のことなんか知らないからさ。ただの『年上男子』として接するのは楽なんだよ?」


 25歳ほど年下の男の子を『年上』と言ってしまえる魔女に、もはや呆れる気にすらなれない。


「そもそも、告白してきたの柏木先輩の方からなんだよ?」

「そうなのね」


 体育祭、文化祭に次ぐカップル大量発生イベントである『クリスマス』を控えてのアクションかも知れないが、それは指摘するだけ野暮なので何も言うべきではないだろう。


「多分さ、先輩に玲くんのことを話したのが最後の切っ掛けだと思うんだよねぇ~」

「……なに?」

「柏木先輩が告白に踏み切った切っ掛け。わたしのクラスの運動部員の男子の話になったときウチのクラスに玲くんのことを教えてあげて、落ち着きがあってすごく話しやすいよ、とか美術室の片付けを一緒にしてるよ、とか話してたら先輩ちょっと動揺していたかな、みたいな感じがあって、多分アレわたしと玲くんが付き合うかもとか思って焦ってたんだと思うんだよねぇ~」

「…………」


 久しぶりに。


 奈智子の話でわたしはドン引きしてしまった。


 奈智子は、玲を当て馬にして、柏木に自分から告白をするように仕向けたのだ。


「先輩が告白してくれたとき、もちろん嬉しかったのはあるんだけど、明らかに玲くんを意識してる焦りとか独占欲みたいなのが見え隠れして、バレバレなのにそれを格好付けて隠してる感じがホント可愛くてさ。これはちゃんと向かい合ってあげなきゃダメだなぁって思ったの」


 恋の駆け引き、と言えば聞こえはいいが、子どもに対して意図的に嫉妬心を嬉々として煽るのは、傍から見ていて正直ゾッとする。


「……悪い大人」


 わたしは、極力冗談めかして呟く。

 しかし、内心の慄きが声色に乗ってしまい、少しだけ声が震えた。


「『恋』のためなら、どんな手でも使うに決まってるじゃない?」


 そんなわたしに、女子高生の美少女は酩酊したような艶やかな笑みを浮かべる。


 そう、これが彼女の望み。

 大人の知識と感性で子ども同士の恋愛を貪り喰うためにこんな姿をしているのだ。


 それはわたしの常識や社会的規範のサンプルからあまりにも外れていて、どう止めれば良いのか、そもそも止めるべきかどうかすら判然としていないのだ。

 そして結論を出せないまま、ずるずるとわたしも奈智子の世界観に飲み込まれつつあるのだ。


「みのりぃの方の経過も聞きたいなぁ」


 そしてその妖女の表情は、徐々に裏表の無い少女のリラックスした物へと移り変わっていった。


「長幸くんと本当に何もなかったの?」

「無いわよ。ある訳無いでしょ?」

「え~? そう?」

「前も行ったけど、長幸さんにそういうの期待するの、ちょっと失礼じゃない?」

「そうは言われても、実例がある訳だし……」

「言っとくけど、長幸さん、すごく家族を大事に思ってるわよ」

「まー、だよね。でないと子供の文化祭とか観に来ないだろうし」

「前に食事したときも、むしろ玲くんの進路とかについて相談されたし」

「えー、そんな話するんだ? それはそれで気にはなる……」

「いや待って。これ結構踏み込んだ話だし? 保護者や生徒のプライベートの話は出来ないわ」

「えー、ちゃんとした教育者じゃん、すごーい」

 非常に不服そうに賞賛する奈智子。


「じゃあ交換条件で何か教えてくれない? 玲くんが美術部の女子と付き合ってるのが父親と被って嫌そうにしてるのを長幸くんに教えてもいいからさ」


 その言葉にわたしは、(悪いとは思っていたが)手を叩いて爆笑してしまった。


「そんなこと……! 長幸さんに話せる訳無いでしょ……!! ていうか玲くんそんなこと言ってたの…………!!」


 その後、奈智子は別に聞いてもいないのに玲の恋愛についての話題を嬉々として披露し始めた。


 玲の恋愛事情が赤裸々にされたのと引き換えに、瀬河家の個人情報は無事死守されたのだった。


 結局現状としては、『わたしに不倫は向かない』というのが結論のひとつとなっている。

 

 若かりし頃の奈智子と別の女の子と二股を掛けてしまったことがちゃんとトラウマになってしまっていたし、親らしく自分の息子のことをちゃんと心配している様子を見せられてしまうと、わたしは馬鹿正直に、物怖じさせられてしまう。


 ただこの年齢になって、かつての憧れの男子と接点が持ててしまっている事実は、間違い無くわたしをそわそわさせている。


 また何か口実も無く、食事に誘いたいなと思ってしまっている。

 その先に何かあるかなんて考えもせずに、ただ少しそわそわしたいがためだけに。





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