第四十四話 躍動






「瀬河くん見たぁ? あの写真」


 放課後、部活に行く直前の玲を見掛け、わたしは何気無く話し掛けた。


 12月も間近に迫り、『瀬河長幸、学生時代の未発表作品発見!』の報の賑わいを再点火するように、昨日、その噂の作品が美術室前の壁に展示されたのだ。


「ああ、見たよ」

 喜びも羞恥も感じられない、フラットな感情で受け答えする玲。


「瀬河くんのお父さんが美術部顧問と教頭と並んだ写真が一緒に飾られてた」

「……身内の写真が学校に飾られてるの大分嫌だわ。冗談じゃなくハズい」

「あはは」

 玲のうんざりした様子に、わたしは思わず笑みを零してしまった。


「そう言えば気になってたんだけど……」

「ん?」

「お父さんに聞いた? 高校生の頃に絵を描いていたの隠していた理由」

「あ~」

 そう感嘆符を漏らしながら記憶の糸を手繰り寄せるように天井を仰ぎ見る。


「親父の中で、高校の頃に描いた絵を経歴上はノーカウントにしてたらしいんだよ。あくまで独力で絵を描き始めたのは社会人になってからだからさ」

「社会人になってから一念発起した、みたいな自己プロデュースをしたかったってことか」

「身も蓋も無い言い方をしたらそういうことらしい」

「でも瀬河くんが子供の頃には『高校生のときに初めて絵を描いた』って教えてくれたんだよね?」

「まだ自己プロデュースとかちゃんと考えてなかった頃だったからじゃないかとか適当言われてはぐらかされたけど……」


 そう言いつつ、玲は忙しなく左右に視線を走らせ、周囲のクラスメイトと十分な距離を取れているか確認する。

 そしてわたしとの距離を詰め小声になる。


「親父本人はハッキリと認めないんだけどさ、どうも親父と一緒に絵を描いてた人と当時付き合ってたらしくてさ」

「……ぉ~~」

 玲の警戒に応えてわたしも小さな声で驚いた声を出して見せる。


「さっき言った自己プロデュースもそうだけどさ、初めての作品が付き合ってた女子との合作っていうのをあんまり前面に押し出したくなかったらしい。親父のイラストって子どもとかその親とかからの人気がかなりあったし、若い頃はその辺をターゲット層にタレント紛いの仕事とかしてたから、そういう『気配』をあんまり出したくなかったんだと思う」

「ある種の脱臭か……」


 思わず呟いたわたしの声は想定よりも冷酷に響いて、自分で自分に少し驚いた。


「脱臭……、的確過ぎて怖い言い回しだな」


 玲はわたしの声と言うより、その言い回しに若干引いているようだった。


「あ、うわ、なんかごめん! 瀬河くんのお父さんを酷い風に言っちゃって!」

「いや、大丈夫大丈夫、オレも同じ風に思ったから……」

 玲は苦笑いしながら手を振る。


「でもわからなくはないんだ。自分の作品に余計な情報を加えないために外に出す情報をコントロールしないといけないって事情はさ」

「大人ゆえに、何から何まで正直であるべきではない」

 神妙にわたしが呟くと「そうだな」と玲は頷く。


「大人って大変……」

「だな……」


 そして玲は深い溜息を吐く。


「いやさぁ、親父が美術部の人と付き合ってたらしいって知ったとき、正直スゲェハズい、じゃないけど、『おいおいそれは止めてくれよ!』って思ったんだよ……」


 急に、過剰な様子で父親への不満を嘆く玲。


「あ、それ自分から言っちゃうんだ。一応触れないように気を遣ってたのに……」

「ああ、気を遣わせるのも悪いなと思ってこっちからぶちまけることにした」

「でもそれは……、絶対瀬河くんが気にすることじゃないと思うよ。雪岡さんのことを好きになったのは瀬河くんの意志なんだし、お父さんの過去は関係無いでしょ」

 そう言うと玲は、沈痛な様子で小刻みに頷き、「まぁ、もちろんそうなんだけどさ……」と呟く。


「そこ気になるのはすごくわかるけど、気にしてるの雪岡さんに気付かれたら絶対良くないよ」

「ああ、それは、それもわかってるよ……」


 教室に他のクラスメイトはすっかり居なくなっていた。まぁ、誰も居なくなっていたから踏み込んだ話題にシフトしていた、みたいな部分もある。


「そろそろ部活に行かなきゃな」

 そう言いながら鞄を背負う玲。


「葉山はどうすんの?」

「あー、わたしは自習室で宿題をしていく予定」

「……柏木先輩を待つ感じ?」

「そう」

 わたしは屈託無く頷いた。


「結局、付き合ったんだな……」

「まぁ、心境の変化は常に起こり得るよ」


「…………葉山ってさ」

「ん?」

「いや、もしかしてなんだけど……」

「うん?」


 わたしは、非常に人懐っこい様子で、純真な疑問符を向けながら玲の反応を待った。人生の後にも先にも深い淀みなど無いと根拠無く信じている少女を演じながら。


「いやごめん、なんでもない。忘れてくれ」

「そう?」

 玲は顔を背け、そこから先を話すことはもうなかった。


 わたし達は、お互いに荷物を背負い、無人になる教室を後にする。


「じゃあね」

「じゃあ」


 そしてお互い廊下の反対側へ歩いていった。






「おつかれ~」

「あ、お疲れ様ぁ」


 自習室での宿題に飽き、図書室で時間を潰していたわたしの元に、いま漫研か美術部に居るはずの西崎と羽田野が現れた。


「どうしたの?」

「ああ、漫画の資料集めという名の散歩。外の空気を吸いたくなった」

 西崎がそう明かすと羽田野も静かに首肯する。


「葉山さんは……、あれか時間潰し」

「そうだよ」

「バレー部が終わるまでの?」

 ニヤリとしながら言う西崎に、わたしははにかみながら頷く。


「あのさ……、葉山さんに訊いておきたいことがあるんだけど」

「なに~?」


「美術部に瀬河くんを連れてきたのって、ワザとなの?」


 周辺に利用者が居ない図書室の中で、声を落としながら西崎が質問する。


「ワザとって……?」

「最初から、雪岡さんと瀬河くんを会わせるために連れて行ったの?」

「いやー、それは無いよ?」

 わたしは、困ったような笑顔を作りながら答える。


「確かに、西崎さんに、『雪岡さんは瀬河くんが好きだ』って話は聞いてたけどさ、二人が付き合うようになったのは完全に偶然。そもそも、瀬河くんがお父さんの絵が美術室にあるかもって言ってたのが切っ掛けでさ。二人をくっつけるためにやったわけじゃないよ。いやでも、頭の隅には、もしかしたら何か起こるかも、みたいな期待は正直常にあったからそういう意味では作為的かもしれない。30%くらい作為的」

「作為率30%」


 神妙な顔のまま小さく首肯する西崎と、特に意味も無く意味深にリフレインする羽田野。


 これは嘘である。


 100%作為的に玲を美術室に連れて行った。


 かつての長幸の絵を見つけたいだけならば一人でもやりようは幾らでもあった。

 でもその上で玲を巻き込んだのは、玲と雪岡をマッチングさせるためである。


 雪岡が玲に好意を寄せている話は同じ美術部の西崎から前もって聞いていたし、彼女から玲に向けられている好意は実際2人が相対するのを見て確実に感じ取れた。

 ただまぁそこから先は何もしていない。

 わたしはただ切っ掛けを用意したに過ぎず、仲良くなって付き合い始めたのはあの2人の事情である。


 まぁ傍目に、あの2人なら仲良くなりそうだな、という予感はあった。


「というか、雪岡さんと瀬河くんくっ付けてもわたしにメリット無いし?」

「……そうだね」

 納得してくれたらいい西崎。


 これはどちらかと言うと本心かもしれない。

 恋の応援やら恋心を刺激するあれこれ全般はメリットの有る無し関係無く、生き方の支柱になってしまっている。

 『恋愛感情への奉仕』はもはやライフワークだ。


「……しかし、雪岡さんといい葉山さんといい、わたし達の周囲にも華やいだ話が増えてきたね」

「まぁ……、だよねぇ……」

 感慨深そうに唸る羽田野に西崎も同意する。


「余談だけどわたしは、カップル2人が並んでいるシルエットが大好きなんだ」

「シルエット?」

「体格の違うふたつの人影が寄り添っている姿からその体格差から必ずしも想起され得ない関係性を想像するのが面白くてね」

「相変わらずの肉体の躍動に対する偏執かよ。恋愛にはそういう風に持ち込むんだ……」

「んー、『恋愛における肉体の躍動』と……? それはなにかセンシティブなニュアンスを感じ」

「もー! そういう方向に話持って行かないでよ! いらないからそういうの!」

「前から聞いてみたかったんだけど、西崎さんは恋愛で肉体が躍動しないの? 力になれそうなら相談に乗るけど?」

「葉山さんも! 便乗しないでよ! その言い方エグいから!」

「ふ、ふふ……、『恋愛で肉体が躍動』って言い回し、じわじわ来るな……」

「自分から言い出したんでしょ!?」

「いや、後になってからボディブローのように効いてくる……」


 こうして、少女3人の他愛の無いお喋りは、常駐の図書委員に注意されるまで続いた……。






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