第四十三話 魔女が生まれた日
わたし専用の魔法である『恋のおまじないを極大化させる魔法』を開発し、若返りを成功させた矢先に、わたしの師匠は蒸発した。
『蒸発』という言い回しは『失踪』を意味する言い回しでもあるが、本当に魔女ゆえに本当に跡形も無く『蒸発』した可能性も捨てきれなかった。
ほんの少しは心配だったけれど、それ以上にわたしは、修行の成果を実現させ若い肉体を手に入れて有頂天になっていたので、師匠が帰って来るにしても来ないにしても、わたしにはどうしようもないだろうとアッサリ思考を放棄し、魔法で形作られた新しい生活を謳歌することに意識がシフトしてしまった。
最初にやったのが、渋谷でのナンパ待ちである。
今風の、過剰過ぎない程度に男好きするファッションとメイクで若返った身体をコーティングし、猫撫で声で寄って来る若い男達とはしゃぎだしたい内心を押し殺しながら男のエスコートに委ねる形で一夜を過ごす。そんな馬鹿みたいなお遊びを一か月ほど続けた。
ホテル以外の寝泊まりは、主が居なくなった師匠の自宅で過ごした。
外観こそ古めかしい平屋の一軒家だが、中には多言語の古書や怪しげな器具や小物が満載していて、いかにも魔女の隠れ家然としていた。
そんな中で、夫と子供のその後について考えることもあるにはあった。
実際、元々の家とこの『魔女の隠れ家』はそれほど離れた場所にある訳ではない。
電車を乗り継いでいけば2時間も掛からない。
しかし、わたしが自分に掛けた魔法『恋のおまじないを極大化させる魔法』は、自らを(自分が望む)恋に最適化させる代償に、『恋』と関係の無い行動に強い規制を掛ける。
夫と子供の元へ行く行動を、わたしは、『恋』のための行動と真逆のものと認識してしまっているので、わたしは戻れないのだ。
わたしは『恋のおまじない』と一体化してしまっている。
『恋』に反する行動を取れば、骨と筋肉がそれぞれ別々の方向に動こうとするようにわたしは引き裂かれてしまうだろう。
後悔は無い、ただ考えてしまうだけだ。
恋のおまじないと一体化することは家族との別れを意味すると魔法を習得する前の段階でよく承知していた。
それほどに、わたしには、『恋』を全ての中心にしてしまう生活に焦がれていたのだ。
無軌道に過ごした一ヶ月。
そんなとき、師匠の家に来訪者が現れた。スーツ姿の屈強な男が数人。
師匠の友人があなたに会いたがっている、と代表のひとりがわたしに言う。
無理やりにでも連れて行くという雰囲気が彼らには会った。
師匠の友人、に関しては一応心当たりがあった。
『蒸発』する前の師匠が「わたしに何かあれば頼るように」と連絡先を残していた。
この一ヶ月若返った自分自身に夢中でそれどころではなかったし、特にまだ困っていることも無かったのでシンプルに連絡する予定が無かった。
どうも、先方が先にしびれを切らしたらしい。
わたしは、素直に黒服の男達に従い彼らの車に乗ることにした。
一時間強ほど車に揺られて連れて来られた場所は、冗談みたいに大きな洋館。
かつての華族の邸宅をそのまま利用しているらしくでたらめな立派さ。
ホテルかあるいは公共施設かと思ったが、どうやらイチ個人の所有物らしいその建物に面喰ってしまった。
厚底の靴で、生まれてこの方踏み入れたことの無いようなふわふわなカーペットが敷かれた室内を進み、応接間らしき部屋に通された。
内装も非常に豪奢で異様に広く、壁に絵画なんかも掲げられたとんでもない部屋。
そんな部屋で、一人の長身の中年男性が待ち構えていた。
「初めまして緋山さん、私は芦間耀と申します。あなたの師である
「……初めまして、芦間さん」
低く良く通る声でにこやかに丁寧な口調で挨拶する芦間に気圧されながら返事をする。
芦間耀、ナイスミドルとかイケおじとかそういう呼び名が似合いそうな清潔感のある人物である。顔の皺や白髪から(実年齢の)自分より一回りくらい年上だと思われるが、『師匠の友達』というのがどうも引っ掛かる。
師匠は70歳手前のおばあちゃん然としていて、『友達』と言うには目の前の男性はどうも若い気がして、年齢が釣り合わない。それに、師匠に前もって聞かされていたこの人物の印象は、師匠にとっても目上の人物だという印象が与えられていた。
師匠曰く、『日本魔術界のフィクサー』とのこと。
だから、彼のこの見た目は、わたし同様に魔法で年齢を改変しているのではないかと疑ってしまう。
師匠の話を聞いていた印象では、明らかに年上に対する話しぶりだったし……。
テーブルを挟んだソファにそれぞれ座る魔法使い2人。
給仕の女性が運ぶティーカップやお茶請けの焼き菓子のお皿も見るからに高級品で、それを手にするわたしの『ティーンエージャーの女の子が繁華街へ出掛けるためにちょっと大人びたファッションをしてみました』みたいな服装が、TPOに合わな過ぎてまぁまぁ浮いている(実際、師匠の家に黒服の男達が来なかったら、今日も繁華街でナンパ待ちをしていただろう)。反面、テーブル越しに向かい合う芦間は、設えの良いドレススーツを普段着のように着こなしていて高級そうなソファや食器に全然負けてない。
「あなたのことは横海さんから聞かされていますよ」
わたしが一口、紅茶に口を付けて味を楽しみ終えたのを見計らって、芦間は話を切り出す。
「指向性のハッキリした魔法を短期集中的に習得したと伺っていたのですが、なるほど、非常に強固で、強力だ」
ちなみにわたしには、芦間の姿が妙に『落ち着きなく』見えた。
寛いだ様子でソファに座ってはいるものの、身体の輪郭が、常にブレているように見えるのだ。顔と空気の境界がぼやけて無くなりそうになりそうだと思ったら、次の瞬間には、漫画のように黒いペンで線を引いたように境界が過剰にハッキリするような瞬間がある。
常習的に『自分』と『世界』の境界を跨いでいる、そんな印象を直感的に抱かされた。
かつて占いブースで師匠がわたしを見出したときのように、わたしにも『普通の人間』と『魔法使い』の見分けがつくようになってしまっているようだ。
「ところで、横海さんはいまどうされていますか? ここ最近連絡が取れないようなのですが……」
その口ぶりから、多分わたし以上に師匠の現状がどうなっているか知っているなと察せられた。わたしは、一カ月前に姿を消したことを芦間に明かした。
芦間は、小さく「ふむ」と溜息を吐く。
「緋山さんは、彼女の死期が迫っていたことを知っていましたか?」
「はい、聞かされていました」
……わたしが若返りの魔法を習得する一年位前から、師匠は若干身体を悪くしているようだった。
医学的には命に別条の無い慢性的な体調不良だそうだったが、師匠はいつも、もうすぐ自分は死ぬだろう、と口にしていた。
魔女が自分の死期を悟ったなら、それは恐らく医学よりも正しいのだろう。
「横海
わたしは静かに頷く。
「全人類の、或いは神の合意により『斯く在るべき』の見做されたものの結末を改変する魔法。復水を盆に返し、人生にIFを捻じ込み、神話や物語の段取り上命を落とすしかないような者を生きながらえさせる魔法。人類の大半が『不可能』だと見做している認知を利用して魔術儀式の成功率を向上させる魔法だとわたしは訊いている。何とも捻くれた魔法を研究するね」
「師匠は、もしかしたら『死』を克服したのかもしれません。でもそれを確認する方法はわたしには無いんですけど」
「『
「…………」
どちらにしろ確かめようが無いのでわたしにはどうしようもない話だが、芦間の説は腑に落ちた。
まさにわたし自身もそんな風に若返ったのだから。
「彼女が死の道理を曲げて私達の居ない場所へ旅立ったのなら、私達には彼女の無事と息災を願うしかないよ」
わたしは、ほんの微かに首肯する。
「そして、あなたは横海さんの最後の弟子という訳なのだけれど……」
そう言いながら芦間は、不躾にわたしの顔をじっと凝視する。
「あなたの魔法には、横海さんの影響が非常に色濃くある」
「……原理的に有り得ないことを無理矢理実現する魔法」
そう、わたしは道理を曲げたのだ。
人間の老いは不可逆的なものだし、40過ぎのおばさんにいまみたいなティーンエージャーのファッションは似合わない。にも拘らず無意識的に『恋』に飢えていたわたしに、『道理を捻じ曲げる魔女』が手を差し伸べ、わたしの叶わない祈りを実現してしまったのだ。
「魔術の秘儀を他者に明かすのはあまり賢い行いではないし、妄りに他人の秘儀を暴くのもご法度だ。ただ、あなたの魔法はまだ『完成していない』」
「完成していない、ですか?」
わたしの眉間に皺が寄ったのを感じた。
「気を悪くしないで欲しい。ただね、横海さんがわたしにあなたのことを託したというのはつまりそういうことなんだよ。彼女は『道理を曲げる魔法』の技術を伝授してあなたはその魔法を完成させた。ただ、彼女は調和を乱す方面の魔法のスペシャリストだから、カオスに新たな調和をもたらす方面には若干疎い。逆に私は調和を整える方の魔法が得意だからね、横海さんから詰めの作業を任されたんだと思う。むしろ、私の調整が前提でデザインされた魔法である可能性すらあるよ」
「……なにを、するんですか?」
「いや、多分ただの助言になると思う」
「助言?」
「…………恋のおまじないをここまで強力にするとは、とんでもないね」
「……わかるんですね」
わたしは体温がかっと高くなってしまった。
魔法使いとしての在り方で、自分の本性をそのまま見抜かれてしまったような気分になる。
「習慣事や生活に制約を加えることで呪術の力を高める技術はポピュラーだけどこれは制約も効果も尋常ではないね。たしか5年だったかい? 魔術の訓練を始めて5年でこの境地に辿り着けるのはすごい才能だと言わざるを得ないよ。ただ、余りにも生き急ぎ過ぎた魔法という印象を受ける。強力過ぎる呪いに術者自身が呑まれて、術者を破滅させてしまいかねない」
「…………」
「ならそれをどうすれば良いか。私はその魔術の骨子に利用している『恋のおまじない』の原理的な部分に立ち返る必要があると思う。
世の少女達の間で口伝されてきた『恋のおまじない』や恋愛成就の祈願などは、基本的に、『恋』という概念に非常にポジティブな立場を取っている。無論、中には恋敵を蹴落とすような呪いの類もあるが、術者のあなた自身が、恋を非常に肯定的に捉えていることが重要で」
そこで、芦間は身を乗り出し、世界の秘密を明かすかのように深く落ち着いた声で口にする。
「あなたの選んだモチーフは根本的に、自分一人のものではなくて、『恋』をする人総てに向けて恩恵が与えられるべきものなんじゃないかな? あなたが『恋のおまじない』と一体になることでその力を得たのなら、あなたの力は、あなた自身だけのためではなく、世に満ちるあらゆる『恋』に対して向けられるべきだ」
その言葉に。
わたしは夜明けを見てしまったような気持ちになってしまった。
そもそも、いま自分が立っているこの場所が暗い場所だと意識出来ていなかった。この場所に光が差し込んで初めて夜の暗さを意識したような光明だった。
「あなたの魔法は構造的に、自分のためだけではなく他人のために使われないといけないんだと思う。それは必ずしも魔法を使って何かをするという訳ではなく、他者の恋のために、少しでも助けになる行動をしなければならない。あなたが『恋のおまじない』をそして『恋』をヒトの人生を豊かにするものだと信じているなら、その化身であるあなたは、あらゆる恋のために尽くす者でなければならないはずだ」
この言葉に、わたしの瞳から全く意識せず涙が流れていた。
一筋の涙が呼び水となり、嗚咽と共に涙が止まらなくなった。
嬉しかった。
希望に満ちた朝焼けを迎えるような歓喜が込み上げていた。
もう二度とこんな気分になれる日が来るとは思ってもみなかった。
真っ当な人間として、母親として大切にすべきものを捨てて自分のためだけに生きる恋の獣になってしまった自分、まだ人のために何かが出来ると示された瞬間だった。
また誰かの役に立てる、誰かの人生を満たすために出来ることがあるのだと、そう教えられただけでわたしは、救われた気持ちになったのだ。
そしてこの出来事がまさに、わたしが『恋の魔女』としてどうしようもなく完成した瞬間だった。
それを思うと、芦間耀の言葉は紛れも無く『魔法』であった。
ただ諭しただけで、『人間』としての未練や後悔が解け去りわたしを『魔女』としてこていしてしまったのだから……。
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