第三十七話 ラベリング






 美術部一年生の雪岡さんに相談をした2日後の放課後、わたしと玲は雪岡さんから呼び出しを受けた。


 燐高を取り巻く天気は相変わらず雨が降ったり止んだりの繰り返し。グラウンドの状態はスポーツに耐えうるような状態とは言えず、グラウンドを利用する運動部の面々は開店休業を余儀無くされていた。

 玲のサッカー部も例外ではなく、どんよりした空模様の放課後、わたしと玲は連れ立って美術室へと向かっていた。


「こんにちは、2日ぶり」

 美術室に入ると、温和に笑う雪岡に迎え入れられた。相変わらず、美術室には彼女一人だけだった。


「前の話の続きなんだけど」

 早速、話を切り出す雪岡。


「美術準備室に保管された分類されていない作品をどうするかって話、顧問の先生に相談してみたの」

「……ほぉ」

「……へぇ」

「実はわたしも、片付いていない準備室の作品のことが前から気になっててね、何とかしたいなってずっと思ってたの。それで、この前2人が瀬河長幸さんの絵を探してるって話を訊いて、思い切って美術部の顧問に相談してみたの、未分類の作品の整理とラベリングをさせて下さいって」

「…………ほぉ」

「…………へぇ」

「そしたら許可を貰えることになってね。でも一人でやるにはちょっと大仕事過ぎるから、良ければ、2人にも手伝って欲しいんだけど」

「え……、ああ、部活が無い日ならオレは問題無いけど……」


 雪岡の勢いにやや気圧されながらも同意する玲。

 雪岡はふわりと嬉しそうな表情で「ありがとぉ~」と返す。


「いやでも凄いな、そんな許可貰えるとか。生徒に保管物の管理を任せるとか普通は無くないか?」

 感心したように呟く玲に雪岡は「自分で言うのもなんだけど、担任の先生からは信頼されてるから」とにんまりと笑う。


 葉山さんはどうかなぁ? と訊かれたのでわたしもすんなりと同意。


「でも、作品の整理とか、わたしどうすればいいか全然わからないよ?」

「まぁ……、とりあえず探り探りかなぁ」


 朗らかにそう呟くと雪岡はわたし達を美術室の教壇の脇の扉、美術準備室への入り口に誘導した。


 意外と片付いている。

 美術準備室の中に入ったわたしが抱いた感想はそれだ。


 部屋は美術室と同じくらいの広さ、つまり普通の教室よりやや大きい程度のサイズで、もっと乱雑に散らかっている様子をイメージしていたが美術室に繋がる出入り口の周囲は広めのスペースが確保されていて、壁際に並べられた棚や入り口すぐ傍のテーブルは、それなりに整理されているように見える。


 そして目を引くのは準備室の大部分を占める大きな棚。

 木製のしっかりとした造りで、スペースひとつひとつが横長かつ縦が短く、奥行きが深い。

 それらの棚それぞれにキャンパスのサイズがバラバラな絵画がぎっしりと収められている。それらは全て油紙で梱包されており、側面に番号と年代やタイトルが書かれたシールが貼られている。


「入り口の手前の棚にある絵は割と素性がハッキリしている絵でさ」

 棚の様子を物珍し気に眺めていたわたしと玲に雪岡が説明する。


「未分類の正体がわからない絵は奥の方の棚に全部押し込んであるんだよね」

 そう言いながら雪岡は教室の奥の方を指差す。

 割と小綺麗な入り口周辺と比べて、壁際の棚の周囲には段ボールの山とか年季の入ったイーゼルや布を被ったオブジェのようなものが雑多に押し遣られており、そもそも問題の棚までアクセスするだけでも骨が折れそうだった。


「そこのイーゼルは修理するか廃棄するかするみたいだから外に出さないと」

 そう指示されわたし達は隅の方に押し込まれていたイーゼル群を持ち上げて運び出す。それだけでも動線は多少スッキリして奥の棚に進みやすくなった。


「この壊れたイーゼル、ずっとどうにかしたかったからさ、絵の整理をするついでに顧問の先生に頼んだの」

「えー、敏腕じゃん」

 わたしが褒めると、雪岡は照れたように柔らかく笑った。


 そんな訳で、未分類の棚への道は確保された。


「本当だ、奥の絵にはラベルが貼ってないのもあるね……」

 わたしは並んでいる絵を確認する風を装って、棚に詰め込まれたキャンバスを順に眺めていった。


「……結構、量がある?」

「あ、もちろん手伝ってくれるのは手が空いている間だけで良いよ。全部やるには時間が掛かると思うし……」

 玲と雪岡の会話を耳にしつつ、棚と壁と雑多な荷物と微かなカビ臭さに囲まれた暗い一角でわたしは神経を研ぎ澄ませた。


 結界内で鋭敏になったわたしの知覚は、棚の中から、感情の残滓を探し当てる。


 もちろん、ターゲットは『恋心』。

 わたしは、それしか使えないのだから。


 そんな風に神経を集中させてキャンバスをひとつひとつ凝視し続けて、奥まで進む。


 途中でわたしは踵を返し、光が零れる若人達が居る辺りに戻っていった。


「これさ、手前から順番に片付けていく感じなの?」

 わたしは棚のごく手前を示しながら雪岡に尋ねる。

「そうだね。手前の方は分類出来てる絵も何枚かあるからとりあえず楽かも」

 雪岡も屈託無く同意する。






「じゃあ早速、一枚出してみようか」


 そう言いつつ雪岡は棚の手前から一枚のキャンバスを引っ張り出し、準備室から隣の美術室へと運んでいく。

 そしてそのラベルの付いていない絵を前もって布を敷いてあったテーブルの上に載せる。


 そして躊躇無く油紙が取り外される。


 露わになった絵画を持ち上げ、油紙を引き抜く。


「おぉ……」

 わたしは小さく感嘆を漏らす。


 注意深く敷かれた布の上に置かれたキャンバスに描かれていたのは恐らくいわゆる抽象画で、昏い水溜りの波紋を描いたような波打つ黒と藍色の濃淡が印象的な作品だった。


「案の定、データベースに無い絵だ」

 恍惚感を滲ませる溜息交じりの声で呟く雪岡。


「こういう、誰にも知られていない絵を見つけ出す感覚って、想像以上にワクワクするかも」

 ハイテンションを押し殺したような弾む声色で呟く雪岡に「わかる気がする」と玲も同意する。


 その後、雪岡は年季の入った(高校の備品らしい)デジタルカメラを取り出し絵画を撮影。


「それから……、絵の正体がわかる情報があればいいんだけど……」

「この白いの、サインだよな?」

 玲は、絵画の端にある白い文字のようなものを指差した。


「ARUTA……? 名前で良いのかな?」

「過去の在籍部員のリストとか調べたら誰だかわかるんじゃね?」

「あ、そっかぁ! 頭良い!」

 雪岡は目を輝かせながら手を叩いた。大袈裟で素敵なリアクションだなぁ……。


 キャンバスの裏や側面を調べたがそれ以外に絵に関する情報が得られなかったので、雪岡は前もって用意していたシールのラベルにシリアルナンバーと作者名の欄に『ARUTA』とだけ書き、今度は絵画の上にラベルを乗せて撮影、そしてシールを剥がしてラベルを絵画の裏に貼る。製作年度やタイトルの欄は白紙のままである。


「部員の過去の名簿で誰が描いた絵か調べてから貼るんじゃないの?」

 玲がそう訊くと、雪岡は困ったように小さく呻く。


「んー、それも少し考えたんだけどぉ、仮に似ている名前の人が名簿に居たとしても、本当にその本人かどうかって断定出来ない気がするんだよね。もし高確率でそれらしい部員を見つけた場合はアーカイブの補足説明で書いとくぐらいで良いんじゃないかなって思って」

「あー、なるほど。不明確な情報で断定はしない方向性なんだな」


 それから、別のテーブルに絵画を運び、前以て敷いてあった緩衝材(ポリエステル製のプチプチできる空気入りクッションが敷き詰められているアレ)とその上の油紙に絵画を乗せ、手早く梱包していった。


 瞬く間に、油紙とプチプチ緩衝材に包まれた梱包済み絵画が完成する。


「手際良いな……」

「すごい……」

「実は、昨日ちょっと練習してたの」

 素直に褒めてしまった玲とわたしに、雪岡は照れたように笑う。


「……基本的にはこの流れの繰り返しだよ。梱包を剥がして、写真を撮って出来るだけたくさん情報を集めて、ラベリングして、また梱包し直す」

「……確かにこれは手間だなぁ。準備と覚悟が結構必要そう」

 玲が感心したように呟く。


「うん、前からやりたかったんだけどね、踏ん切りが付かなくって。瀬河くんの話が丁度良い切っ掛けになったの」


 そうは言っても思い立った二日後までに担任から許可を取り付けて絵画管理の一連の手順を確立して実行に移すなんて尋常じゃない情熱と言うかバイタリティーである。

 わたしはそんな内心をハッキリ口に出して雪岡に伝えると、雪岡は照れたようにはにかんだ。果断でありつつも、可愛い人だ。


 そんな訳で、美術部の過去の作品を整理するついでに瀬河長幸の存在しているかもしれない幻の作品の探索が始まった。


 玲が準備室の棚からラベリングされていない絵画を美術室のテーブルまで運び開封。

 雪岡は絵画の写真を撮りつつ絵画の情報を調べ記録。

 わたしは調べ終わったテーブルに緩衝材と油紙を敷き絵を再び梱包する。


 とは言え、まず絵画の梱包方法を教えてもらう所からのスタートなのでそれほど機敏には作業は進まない。

 まぁ、そもそも過去の学生の作品を開封するたびに3人集まり、はしゃいで感想を言い合うような状況なので、効率性どうのと言う次元の話ではない。


 ……そんな感じでこの日は、作業進行のたどたどしさと忘れ去られた時代のタイムカプセルを開封するような楽しさのお陰で、結局4枚の絵しかラベリングすることが出来なかった。


「……サインとか日付とか、なんにも無い作品って意外と多かったな」


 美術室を片付け、雪岡が戸締りをしたあと、今日の放課後を思い返し呟く玲。わたしと雪岡も頷いて同意する。


「基本的に、いまの美術部は自分で描いた作品は自分で持って帰りなさいって方針になっててさ、完成度の高い作品は担任の先生が寄贈するよう申し出る場合があるみたいだけどそれ以外は各生徒が持って帰るか処分するかしないといけないの」

「じゃあ、いま残ってる作品は?」

「卒業生が黙って置いていった作品が多いかな。それも名前とかが書いてあれば元の作者に送れたりちゃんと管理対象に組み込めたりするんだけど、それが無いと管理を後回しにされて正体がわからないままどんどん倉庫の肥やしになっていっちゃって……」

「……未分類の作品に情報が少ないのはその辺りが理由か。親父の絵もそんな理由で取り残されてたりして」

 そうして、玲は沈痛な表情でわたしと雪岡を見る。


「もしかして、親父の絵が見つかっても、それが親父の絵かどうかわからない可能性がある?」

「それはあるかもー……。今日見た作品にもしかしたら瀬河くんのお父さんの作品があったかも、っていうのは有り得るぅ……」


 そんな話題で、ちょっと気まずい空気になる二人。


 ただわたしからすれば、とりあえずその問題は杞憂だと思っている。


 あの部屋の中に、目当ての絵は確実にある。




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