第三十二話 記憶と記録





「……うわ、暗っ。ちょっと怖いかも……」


 雨に沈んんだ学校の校舎。

 渡り廊下を抜け別館の二階にやって来たわたしは、光を取り入れる窓の少ない別館の廊下の夜と殆ど変わりの無いレベルの暗さに、少し慄いて見せた。

 玲は面白がるように小さく笑った。


 目的地である美術室の前は幸いにも明かりが点けっぱなしだった。

 わたしと玲は、並んで掲げられた絵画群を鑑賞する。


「文化祭のときから、絵の配置が変えられてるよな」

「うん」


 文化祭の際には美術室は解放されており、美術部員の直近の作品を中心に展示されていた。それに伴い、過去の作品も幾つか引っ張り出され、配置替えされていた。


「あ、これウチのクラスの子の絵だよ。こっちが西崎さんでこっちが羽田野さん」

 わたしは隣り合う、全くコンセプトの違うふたつの絵画をそれぞれ指差した。この2人は漫研部と美術部を掛け持ちしている。


「文化祭で展示してた絵を見やすい位置にしてるみたい」

 文化祭終了に伴い再びまた絵画の配置替えが行われたらしく、在校部員の最新作は美術部の外の目に留まりやすい場所に飾られているようだ。


「へぇ……。こっちの絵は、抽象画? 意図して落書きっぽいというか」

「なんか、『芸術性の無い壁の落書きがエモく見える要素を抽出して再構成してみた』とかそういう説明をしてたよ、製作者は」

「あー、言われると何となくわかるな……」

「本人曰く、失敗作らしいけどね」


「こっちは、砲丸投げの選手?」

「うん、『陸上大会の砲丸投げの選手の動きをコマ送りで観て、一番キレッキレの瞬間を描いた』とか言ってた」

「筋肉の書き込み、エグいな……」

「うん、肉体の躍動に対しての偏執が普通じゃない人だから……」


 などと、ラインナップの変わった絵画群をまたお互いにコメントをしながら眺めた。それはそれなりに楽しいひとときではあったけど、やはり『瀬河長幸』の作品と思しきものは掲示されてはいなかった。


「無いと思っていたけど、やっぱり無いよねぇ……」

 わたしは脱力した笑顔と共に呟いた。

「……有ればもっと大袈裟に飾ってると思うぜ」

 玲は、改めて持論を口にする。


「文化祭のときも、それらしい絵は無かったんだろ?」

「うん無かったよ」

 因みに、わたしが美術部の展示を観たのは文化祭の一日目で、柏木くんと一緒だった。まぁその時の話を細かくする必要は一切無いだろう。


「となると、倉庫の中でまだ眠ってるか……」

「いや……、あー、どうだろうな……」

「……瀬河くん的には、完全に無いと思ってる? 倉庫の中に眠ってる説」

「あー、実はそれ、オレの中でも微妙にあるんじゃないかと思ってるんだよね……」

「そうなの……?」

 わたしは、目を丸くして驚いて見せる。


「え、え、え? お父さんが何か言ってたとか?」

「むしろなんか、親父がハッキリしない気がするんだよな……」

「え……? 何それ?」

「オレが小さかった頃、8歳くらいの頃かな? それくらいに、親父に『いつ頃から絵を描き始めたのか?』って聞いた記憶があるんだよ。そのときさ、親父は『高校生の頃に書き始めた』って言ってたんだよ」

「うん」

「小さい頃に訊いたときはそう言ってたんだけど。最近同じような話を親父に振ったとき、親父は、何故かその辺ハッキリ答えようとしないんだよ」

「……Wikipediaでお父さんの記事読んでみたときには、社会人になってから絵を描き始めたって書いてあったよ」

「そうだよな。本人もそう言ってるんだけど、どうも煮え切らない雰囲気って言うのかな? そういう空気感がどうも気になって……。てか、そもそも、高校生の頃に描いてたっていてた記憶がハッキリ残ってるからさ。矛盾っていうか、なんか釈然としないんだよ」

「……公式記録から抹消しなければならない理由が、何か隠されていたりして?」

「ははは、ミステリー染みてるな」

 玲は、ちょっと引き攣ったような乾いた笑いを零す。


「何となく美術部の展示をちょいちょい観てたのもさ、しれっと親父の絵が飾られてないかなって思ってた部分もあったんだ。でもとりあえず観た範囲ではそれらしい作品は無かった。まぁ、例えばペンネームを使って今と全く違うジャンルの絵を描いてたならわからないかもしれないんだけど」


「いっそのことさぁ!」

 わたしは、あくまで無邪気に玲に提案してみる。


「美術の先生に訊いてみるとかどう?」

「いや、そこまで本格的になるのは、面倒と言うか、なんか違うし……。そもそもガキの頃のオレの記憶違いの可能性もまあまあ高いから……」

「えー、でも、そのモヤモヤ抱えたままなのもしんどくない? なんとか解消してあげたいな……」

 不意に、わたし達に近付く足音と、ヒトの気配を感じた。


「あ……」

 玲も気付いたらしく、その気配がする方向に視線を写した。


 音源は絵画を掲示する壁の向こう側、美術室の中からだ。


 美術室の扉がガラガラと開けられ、中から女子生徒の顔が現れ訝し気にわたし達を見ていた。


「あ……、うるさくしてすいません……」


 玲が、いかにも申し訳無さそうに謝罪した。





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