第三十一話 子供の恋バナ

 




 雨の中に閉じ込められた校舎。


 そんな中でしばらく、わたしは玲と他愛の無いお喋りをした。おもに文化祭での出来事について。


 お互い寛いで砕けたような様子だけれど、上手く距離を測ろうとするような緊張感が玲の言動から仄かに感じられ、わたしはそれに対して寄り添った、時々意図して半歩踏み込んでしまうような反応を返してやる。


 同級生の『女子』として意識されている感覚。


 玲の初々しい様子に狂おしいほどの甘酸っぱさを感じているが、そんなものはおくびにも出さないようにする。


「……これさ、訊いちゃうと嫌な気分にさせちゃうかもだから何にも答えたくないならそれで良いんだけどさ」

 話題が先日の文化祭に触れられていた辺りで、玲がやけに真剣な様子でわたしに尋ねてきた。


「ん、なに?」

「葉山は、バレー部の柏木先輩と付き合ってるの?」

「え、なんで?」


 あまり深いことを考えずに、反射的にそう答えてしまった。

 

 そして一瞬、妙な沈黙が雨音の教室内を支配する。


 玲の表情は、真剣でありつつも、後悔と困惑が静かに滲んだような表情に映り替わりつつあり、そんな表情を玲にさせてしまっていることが申し訳無い気持ちが湧き上がった。


「かしわ――」

「ぶんか――」

 わたしと玲が同時に口を開いて、また同時に黙ってしまった。


「いや、あはは、ごめん……」

 わたしは小さく笑った。玲も苦笑いをし、そっちから、とわたしに手を差し伸べ促した。


「柏木先輩とは付き合ってないよ、仲良くはさせて貰っているけど」

「仲良く……、友達ってこと?」

「うん、いやまぁ、友達って言っていいのか微妙だけど、まぁ、仲の良い先輩後輩の関係だよ」

「ああ、うん、なるほど……?」


 玲は、いまひとつ納得出来ていないと言った様子で曖昧に頷いた。

 バレー部の先輩男子と帰宅部の同級生女子が『ただの仲の良い友達』の関係を形成している状態がイマイチ巧く想像出来ないのかも知れない。


「てか、どうして柏木先輩の名前が出てくるの? そっちの方が驚く」

「……結構、色んな所で見掛けられてる。葉山と柏木先輩がつるんでるの」

「……そうなんだ?」

「柏木先輩がさ、まず有名なんだよ。バレー部のエースで、運動部の人間なら大体顔知ってるし。そんな人が一年の後輩女子と一緒に行動してたとなると」

「まぁ、目立っちゃうよね……」

「あと文化祭のときも、一緒に模擬店回ってただろ? それで各方面でまぁまぁどよめいてるし」

「各方面」

 玲のちょっと変な言い回しに小さく笑ってしまった。


「ま~、でもそれ完全に誤解だよ。確かに文化祭ではちょっと一緒に回ったけど、本当にそんなのなんにもないし、時々相手してもらってるだけだからさ」

「なるほどな……」


 わたしの言葉に首肯する玲。

 わたしの言葉を素直に信じてくれたかどうかは、その反応からはちょっと判断出来なかった。


 柏木とは文化祭の初日に少しだけ模擬店を見て回った。

 先輩風を吹かせながら三年生や二年生のこととか、学校についてのこととかも教えてもらいつつ積極的に話題を絶やさないようにエスコートしてくれて、終始非常に楽しかった。

 ただ、二日目はお互い自分のクラスの模擬店/演劇があり忙しく、結局会わなかった。後夜祭のキャンプファイヤーで同級生達と談笑している様子はちらりと見たが、それだけ。

 それ以上のことは柏木とは何も無かった。


 友達とも恋人とも付かない微妙な関係は未だに継続中。

 たぶんお互いに押せば簡単に倒れるような空気感を醸し出しているが、現状でもそれなりに楽しいので両方とも自分から踏み込もうとはしない空気感も同時に醸し出されている。


 そして、わたしの方から前に踏み出すことは決して無いだろうなと断言できる。


 いまの所は。


「やー、ごめんな。噂ソースで変なこと訊いて」

「ううん。噂が独り歩きしちゃうより良かったから訊いてくれて良かったかな」

「はは、オトナだ」

 一瞬爆笑しそうになったけど、にやりと控え目に微笑む程度に何とか止めた。


 でもまぁ確かに、いまのわたしが正しい意味で『大人』たり得るのかはかなり疑問があるかも知れない。


「じゃあさ、逆に教えてよ。瀬河くんは好きな女子とか居るの?」


 未成年が最も気軽に恋愛の話題に触れられるタイミングと言えばいましかないだろう。わたしは意地悪な好奇心を剥き出しで玲に話題を振った。


「あ、あー、居ない、なぁ……」

 細心の注意を払いながら注意深く答える玲。


「なぁに? なんだか奥歯にものが挟まったような言い方」

「……自分から積極性を見せたいほど気持ちが切羽詰まってない感じなんだよな」

「あー、なるほど……」

「現状部活は楽しいし、勉強もそれなりに大変だからさ。恋愛に……、そんなに積極的になれないよな」


 ……積極的になれるような相手はまだいない、ということらしい。


「それに……、恋愛って大変じゃん? 相手に対して責任が伴うし」

「……お互いに期待しちゃうから、それに応える義務みたいなのはあるかもね。でもあれだよ?」

「ん?」

「好きな人相手なら義務を義務と感じない、というか、その義務が楽しいんだろうなっていうのはあると思う」

「なるほど、オレはまだその境地に至れてないな」

「瀬河くんも、恋愛をすればわかるんじゃない?」

「うわ、スゲェ恋愛慣れしてるヤツの意見じゃん、エグ」

「えー、そんなこと無いし」


 ……十代の少年少女にとって、恋愛話は興味深いんだけど多分刺激が強過ぎる部分があるんだと思う。

 好奇心は疼くけど、誰もがどうしようもなく当事者で、未成熟な内面や他者に対する心持ちを曝け出さねばならないのは多感な時期の彼らには中々辛くて難しい部分もある。

 そして、それに対して開き直れるようになるのが『大人』になる条件のひとつなんじゃないかと最近気付き始めていた。


 大人が恋愛に対してドキドキ出来ない、本気になれない構造的側面。


 そう、恋バナに積極的過ぎるのもまた若者らしくない。頃合いで話題を変えよう。


「文化祭と言えばそう言えばなんだけどぉ?」

 わたしは若干意地悪な笑みを漏らしながら話題のレバーを切り替える。


「模擬店の仕事終わったあと、お父さんと文化祭見て回った?」

「いや、無いわーそれ」

 途端に、玲は厭そうな顔を作る。


「親父と文化祭回るとかマジ無理」

「あー、まぁ、そうだよねぇ……?」


 親との同伴を厭がるのもまぁ、若さゆえの羞恥心なんだろうなと思う。


「お父さんが入店したとき、思いっきりバックヤードに隠れてたしねぇ」


 わたしがニヤリとしながら指摘してやると「ああ、まぁ……」と曖昧に頷きながら恥ずかしそうにした。


 模擬店に改装された教室の端、幕で仕切られたバックヤードはその狭さに関わらずキッチンスタッフの生徒達が忙しなく作業する、傍から見ていても大変そうな戦場に、ホールスタッフのはずの玲がバツの悪そうな顔をしながらバックヤードに入ったきり出て行かなくなって。

 何事かと訝しんでいるキッチンスタッフの面々に玲が苦々し気に自分の父親が来ていることを説明するとみんなこぞって幕の端や切れ目から客として席に着く長幸と実莉を覗き見た。「似てる~」「格好良い~」など女子達など黄色い歓声を声を落として上げていた。

 そんなタイミングでわたしは(お面と別人の名札を装備して)注文を取りに行き「声、メッチャ渋かった!」などと土産話をみんなに披露してやると玲はますます恥ずかしそうな表情を零した。


 いかにも、文化祭って感じで本当に楽しい一幕だった。


「友達から訊いたんだけど、瀬河くんのお父さん、美術部の展示を観に行ったらしいよ?」

 そう言うと玲は少し意外そうな顔をした。


「へぇ……、そうなんだ?」

「訊いてなかった?」

「まぁ、別に……、特に何も言ってなかったよ」


 ……そう言いながら玲は、何か煮え切らないような表情を浮かべた。

 自分の中の思考と、いまのわたしの言葉を繋ぎ合わせて別の何かを見つけ出そうとしているような印象を抱く。


「わたしはさ、瀬河くんのお父さんの作品が、美術室に保管されてるんじゃないかって思ってるの」


「え……、根拠は?」


「いや、ただの勘だけど」

 訝し気な玲に、子供っぽいあっけらかんとした様子で返事する。


「え、えぇ……?」

「そうだった方が面白くない? なんか宝物が隠されてるみたいで!」

 少女らしい、無邪気な勢いで適当なことを嬉々として口にする。


「どうかなぁ……。オレが言うのもなんだけど、ウチの親父、それなりに有名だぜ? もし学生時代の絵が保管されてるなら堂々と展示してありそうじゃね?」

「気付かれてない可能性もあるんじゃない? 過去何十年の作品の管理とか、完璧に出来るものじゃないのかもしれない」

「……もしかして、葉山がたまに美術部の展示を観に行ってたのって、親父の絵を探してたりとか?」

「いやまぁ、瀬河くんのお父さんのことを訊いたあとは若干そういう下心もあったけど、そもそも単純に絵を眺めるのが好きだったから。

 そうだ、とりあえずさ!」


 わたしは良いことを思い付いたとばかりに小さく手の平を叩いた。


「今から美術部に行かない? 展示物観に行こうよ!」


 流石に提案が唐突過ぎたか、ちょっと驚いた様子の玲。


 しかし教室の窓の外をちらりと一瞥。

 雨は未だに降りしきり、止みそうな気配は一切見られない。


「いいよ、行こうか……」





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