第二十九話 世界遺産

 



 しばらく曇天の大都市を眺めたわたし達はそのまま回廊を進み、ひとつひとつ額縁に収められたイラストを鑑賞した。

 それ以降の絵は、ネットでよく見かけたジオラマ感を全面に押し出したイラストで、色合いが明らかに明るくなった。

 一枚ずつ目にするたび、わたし達は思わず感嘆の溜め息を漏らしてしまう。


 かつての同級生の絵画を楽しみながら回廊を進んでいくと、少し広いスペースの区画に入り込んだ。

 そこにはファミレスのテーブルほどのサイズの本物のジオラマ鎮座しており、子ども達が喰い入るように見詰めている。パンフレットによると、このジオラマは長幸のイラストを基に有名プラモデルモデラーが中心になって再現した作品らしく、そばに展示されている元ネタのイラストとジオラマを子ども達も周りの大人達も交互にイラストとジオラマを見比べている。


「長幸さんの絵が子どもにウケてるのはちょっと想定外だった」

「うん……。子供が多くてわたしもビックリした」

「でもまぁ確かに、子どもに好かれそうな絵なんだよね、キャッチーだし」

「男の子って玩具の街並みとか絶対好きだからね。それで怪獣を暴れさせて破壊するヤツとか」


 いまわたし達の目の前にあるイラストがまさにそんな内容で、どこか玩具めいた街並みを怪獣が闊歩している。ただし面白いのは、そのイラストの主役はあくまでも街の方で、怪獣はイラストを引き立てるための添え物として付け足されている点だ。予備知識の無い人間にも、そうとわかるような描き方をされている。


「長幸さんって、昔から絵が上手かった?」

 二人揃って長幸の絵を楽しんでいる。そんな状況なので、元彼女にその辺の踏み込んだ話題を自然に訊いても大丈夫な空気感があったので、さり気無い口振りで尋ねてみた。


「わたしは、見たことない」

 酷くきっぱりと答えてしまう奈智子。


「長幸くんの絵って、高校生の頃一度も見たこと無いかも」

「そう、なんだ……」

 何かを取り繕うように、今度は努めて無邪気な調子で呟く。


「元々絵が上手かったからイラストを描き始めたのか、全く絵心が無かったけど何かを描きたい欲求に突き動かされてここまで絵が上手くなったのか、それもわからない……」

「それは、ひな的に重要なの?」

「うん、それがわかれば、長幸くんが絵を描くことに対してどれだけ切実なのか、読み取れるんじゃないかと思って。

 そもそも、長幸さんが街ばっかり描きたがる理由ってなんなんだろう? それすらも、実はよくわかんない……」

「前に何かの雑誌のインタビューで読んだときは『自分が興味のあるモチーフを追求した結果』がこれだったとか、言ってたかな」

「……そう言えば、前に世界遺産なら自然遺産より文化遺産の方が好きだ、みたいなことを言ってた気がする」


 わたしはちらりと奈智子の表情を盗み見た。

 今のは、雑誌に載っていた情報ではなく、奈智子が直接長幸から訊いた話のようだった。


「自然の雄大さより、人間の秩序立てたダイナミクスの方に心惹かれるんだって」

「……なるほど」

「たださ、その時の話といま長幸くんが描いている絵に関係とか繋がりがあるのかどうかはわたしにはわからない」

「そうかな……、少なくともわたしは、長幸さんのイラストから建築物のダイナミクスは感じ取れる気がする」

「んーー」

 わたしの(特に含みの無い)言葉に奈智子は思い悩むような呻き声を上げる。


「みのりぃはさ、長幸さんの絵を初めて見たときって、戸惑わなかった?」

「……それはちょっとあるかも。こんな一面もあったんだなぁって思った」

「それ……、わたしもなの」


 奈智子の声が何故か、ひび割れた氷の上を歩くように痛々しく響いた。


「長幸くんの絵を始めてみたとき、なんていうか、わたしが知っている瀬河長幸と関連性が見出せなかったっていうか、地続きじゃない印象を抱いてしまったの。仕事にするくらい絵を描くような人って印象が全く無かったのはもちろんなんだけど、長幸さんの絵の、この楽しそうでキッチリした世界観が、高校生の頃の長幸くんの印象と全然繋がらない」

「え……、ええと……?」

「もしこの絵が、長幸くんの本質的な部分に根差した作品だったとしたなら、わたしは、長幸くんについて何もわかっていなかったんだなってちょっと思ってしまう」

「いや。そ、そうとも限らないんじゃない?」


 わたしは否定を試みようとする。自分でもちょっと拙速過ぎるレベルで奈智子の思考に介入しようとする。

 何故か反射的に、これ以上奈智子に自虐して欲しくないように思えた。


「ひなと別れてから何かの影響でこういう絵を描くようになったって考える方が自然じゃない? 最初からこんだけ絵が上手いならひなにも何か言ってるよ」


 慌ててそう言うと奈智子は展示物から視線を外し、わたしの顔を見詰めた。

 その表情から、わたしや自分に対する何の感情も読み取ることは叶わなかった。


「あ、いや、まぁ、わたしは二人の関係について何にもわからないけどね、無責任に聴こえたらごめん……」

 思わずそんな予防線を張ってしまう。

「ふふふ、そんなに気を遣ってくれなくてもいいよ、ありがとう」

 奈智子は、小さく困ったような笑みを作る。


「……あっ、そっかぁ」

 奈智子は不意に両手を合わせ、嬉し気でずるっぽい笑みに表情を切り替える。


「なに?」

「みのりぃが今度長幸くんに会うときに訊いてくれれば良いんだぁ。みのりぃ、今度長幸くんと会ったときに学生時代は絵が上手かったのか、とか絵を描こうとした初期衝動とか、質問してみたらどうかなぁ?」

「……気軽に宿題が増やされた」

 そうボヤくと奈智子は楽しそうにふふふと笑う。まぁ、わたしもそれはちょっと興味があるから別に良いんだけどさ。


「その……、もしかしてなんだけど」

「なぁに?」

「それこそ気に障ったらごめんなんだけど、ひなは、今でも、長幸さんのことを好きだったりする?」


 そもそも、普段奈智子は意図的に長幸の話題を避けている節があるので避けてきた話題だが、それ故に、訊いてみるなら今しかないと思い、思い切って質問してみた。


「どうだろう? 微妙」

「微妙」


 かなり何気無い自然な様子で、そんな煮え切らない回答が返ってきた。


「でももういいんだよ」

 そしてやけにからりとした口調で続ける。


「女子高生がおじさんに恋するとか、中々難易度が高いよ」

「いや、見た目だけでほぼ同い年だからね」

 お道化て誤魔化そうとする奈智子にわたしはぴしゃりと言ってのける。

「うーん、でもわたしに関しては本当に気にしなくていいからね……。

 あー、でも……」

 奈智子は下唇を噛み、不意に険しい表情を作る。


「……みのりぃには話たっけ?」


「何を?」


「わたしと長幸くんが別れた理由」


 そのセンテンスを耳にした瞬間、自分の頬が引き攣ったのを感じた。次に頬を動かす時は、硬直した筋肉を再び動かす時のような抵抗感を伴うだろうな、という予感を抱かせる引き攣り方。


「長幸くんとの関係が進展する前に訊いてもらった方がいいと思うんだけど」

「……長幸さんとは『円満離婚』だったって訊いたけど?」

「……えっ? それわたしが言ったの?」

 案の定、硬直した筋肉を伸縮させるような抵抗感を抱きつつ口にしたわたしの言葉に、奈智子は少し大袈裟に驚いて見せた。


「え……? 違うの?」

「いや、円満離婚……。まぁ、お互いに後腐れが無いようにしたと考えてたけど円満ではあるのかなぁ……? いや、わたし、円満離婚なんて言っちゃったんだ……」

 最後の呟きは、明らかに自嘲気味な苦笑いが含まれていた。


「円満離婚じゃ、ないの?」

「あはは、その円満離婚って言語チョイス面白いな」

「……ひなが自分で言ったんだよ?」

「だよね、無駄に爺むさいというか、あんまり具体的に説明したくない当時のわたしの心境がありありと見て取れるな」

「あー……、それは何となく読み取れたかも。言語チョイスで」


 わたしが冗談めかして口にすると、奈智子は小さく笑ってまた視線を持ち上げた。


 視線の先には都市を破壊せんと暴れる怪獣の姿。


 脇から首を伸ばす男の子が喰い入るようにそれを見詰めるのでわたし達は一歩引いて男の子にスペースを譲った。

 




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