第二十七話 ご褒美




 ハッキリ言って。 

 『恋』に対して人生を捨ててまで追い求める程の価値があるとはわたしには思えない。


 たぶん奈智子サイドもわたしに共感を求めてはいないと思うが、『恋』に対する信仰の厚さの違いが、同じ時代を生きていたわたしと奈智子の間に絶対的な隔たりとして横たわっているのが最近分かってきた。


 『緋山奈智子』は恵まれ祝福された特別な美少女でわたしとは相容れない存在。

 しかし大人になり、世代や立場のせいで奈智子よりももっと相容れない相手とたくさん出会ってきた今でさえ奈智子に対して隔たりを感じる最大の理由は、たぶんその、『恋』に対する偏執のせいだ。


 男子高校生を誑かしている時の話をする彼女は、塩焼きそばを食べているときよりもずっと満たされた、陶酔したような口調になる。


「ああ、話は変わるんだけどさ、長幸くん、わたしに関して何か言ってた? 新情報があれば欲しいな」

「『恋』の話の次に長幸さんの話を始めるの、話しが変わっているというより完全に地続きじゃない? 絶対連想してるでしょ?」

 そう指摘すると、奈智子は悪びれずににやりと笑う。


 ……ただ、その『恋バナ=長幸』の方程式の発明が、文化祭でのわたしとのツーショットが切っ掛けなのか、奈智子自身と長幸の関係が切っ掛けなのかがハッキリとわからなかったから、これ以上話を膨らませるのは躊躇させられる。あるいは、その両方が発想の源泉かも知れないが。


 奈智子が魔法使いになってまで若返った経緯のひとつに間違い無く長幸との恋愛が関わっているのだが、その恋愛が奈智子の中でどのように消化されているのか今ひとつハッキリとしていない。

 奈智子があまり触れようとしないので、どうしてもわたしからは腫れ物を扱うような態度しか取れなくなってしまう。


「……長幸さん、わたし以外にもひなを知っていそうな人と何人か連絡を取っていて」

 仕方ないので、とりあえず奈智子の質問に素直に答えるのがここでは正解か。


「その中の誰かがひなと接点があって匿っていると思っているみたい。

 ひな、徳島から旦那さん宛に手紙を出したんでしょ? タイミング的に、長幸さんが電話が切っ掛けで手紙が送られてきたんじゃないかって言っていた」


 あー、なるほど、と奈智子は納得した風だがあまり狼狽えた様子は無さそうだった。


「もし匿っているなら、ひなによろしく伝えといて欲しい、って言われたわ」


 そう言うと奈智子は少し疲れたような苦笑いを零す。


 ……意識的か無意識かは知らないけれど、奈智子の振る舞いは実年齢を感じさせない。違和感無く『女子高生』に見えてしまう。その容貌に相応しい子どもっぽい言動で常に振舞っている。

 ただ時折、本来の性質と思しき側面が仕草や喋り方、表情から滲み出てくることがある。


 43歳の、一児の母の側面。


 先程の苦笑いなど正にそれで、昔を懐かしむ老け込んだ老婆のようですらあった。


「長幸さんがひなの旦那さんからどういう風に事情を訊いているかは知らないけどさ、長幸さんは両方が納得できる落としどころを見付けて欲しいって言ってたよ。その上でひなが姿を現したがらないのも事情があるなら仕方ないって言っていた」

 そう言うと今度はくすくすと楽しそうに笑い出す。

 今度は先程の『素』の笑いとは違い、努めて子どもを演じているような笑い方だった。友人の冗談に無邪気に笑うみたいに。


「うん、長幸くんの心配は、素直に受け止めるべきなんだろうね」

 わたしは、問い質すような気持ちを湛えたまま思わずじっと少女を見詰めてしまう。


「あー、わたしもさぁ、中途半端な感じで宙ぶらりんにしたままなのは良くないってわかってるんだよ!?」

 わたしの眼差しが思いの外奈智子を追い詰めてしまったのか、テーブルの縁の辺りに突っ伏しながら大袈裟に喘ぐ(もっと大袈裟に突っ伏しそうな勢いがあったが、テーブルの中心を占有する熱々の鉄板がそれを許さなかった)。


「……いまさら質問なんだけど、その姿って、元に戻せるものなの?」


 学園生活が上手くいかなかった場合の保険のために、旦那さんに気を持たせるような手紙を送っていたと言っていたから、多分元に戻ることは出来るのだろうなと勝手に納得していたが、そう言えば、そういう部分奈智子から直接聞いたことは無かった。


「あー……」

 コミカルに突っ伏した奈智子はおずおずと上体を戻し、ちょっと困ったように視線を逸らす。


「その辺は……、気軽には教えられないのよねぇ、魔術の秘儀は妄りに口外するなかれ、というか料理人が秘伝のレシピを明かすみたいなもんだから」

「あー、なるほど……?」

 急に創作の魔法使いが言いそうな台詞を口にした。


「ただ、元に戻れるかどうか訊かれたら、出来なくは無い、かも、くらいは言えるかな?」

「『かも』?」

「かも」


 『かも』の部分に妙な力強さが加わってきた。『元に戻るのは物凄く難しい』くらいのニュアンスが隠しようも無く滲み出てしまっている。


「その辺はまぁ、何とかしようと思えば何とか出来るよ、たぶん……」


 たぶん、と言う語尾が弱々しい。しかしそれは自身が無いというよりも何か別の思索が割り込んで会話が途切れたようで、視線を伏せて自分の頭の中に意識を集中させているよう。


 そして、ちらりとわたしの方を見る。


「みのりぃさ、長幸くんにわたしのことを相談してみればどうかな?」

「……ん?」

 え? 急に何言い出すの?


「虚実織り交ぜてさ、例えば、居候しているわたしの人生相談に乗ってはいるけどどうすべきか結論を出せないから相談したい、みたいな」

「それぐらい、問題無いけど……、それでどうするの?」

「ああ、もちろん、会って話すんだよ?」

「え、ええ? いやなんで……」

「電話や文章ではニュアンスを伝えにくいとかそういう口実でさ」

「ちょっと、ちょっと待って……!」

「はい?」


 奈智子のプランを制止してみたけど、奈智子の目が完全に笑っていることに気付いて、戸惑いがより強くなってしまった。


「どうして、ひなはわたしと長幸さんをくっつけたがるの? いちいちそういう方向へ誘導しようとするのはどうして?」

「まー、わたしの中だけでの交換条件かな?」

 何それ? 自分の中だけで交換条件?


「亮治さんと、夫とこれからのこと話し合うのは、必要だと思うけどそれなりにエネルギーが要る。正直話し合いそのものを放置したい。だからさ、自分を追い詰めたいんだよね。自分にとって楽しいことをたっぷりやってから義務に専念する、みたいな」

「……スイーツかなんかのご褒美を用意してから勉強を頑張る、みたいな話?」

「そう、そんな感じ!」


 わたしと長幸さんを勉強終わりのご褒美スイーツにするために引き合わせようとしているのか……。

 どうしてそんなに自分に正直に生きられるのだろうか?


「みのりぃが、長幸くんと会う勇気を出してくれたらわたしもそれに誠意で応えざるを得なくなるでしょ?」

「いや……、わたしは」

「わたしさ、こういうチャンス見逃せない人間だからさ。みのりぃ的にも口実があった方が楽じゃない?」

「いや……」

「もちろん、長幸くんにもう会いたくないって言うならこの提案は無かったことにしよ。亮治さんと話をする勇気とモチベーションは別の方法で調達するよ」

「……どっちなの?」

「ん? 何が?」

「わたしが長幸さんのことをどう思ってるかわかったのって、いつからなの。最近になってから? それとも、学生時代からなの? つまり、『わたし達』の学生時代」


「ああ……、ふふ」


 その少女は、とても小さく、そして清楚で愛らしい笑い声を漏らした。


 映画のワンシーンなら、リピートして何十回も再生したくなるような密やかな愛らしさ。


 しかしそれは、嫌でも滲み出る意地悪で厭らしい本性を全力で押さえ付けるために生み出した笑みだと、直感的に理解出来てしまった。


「あの頃はさ、周りの女子の気持ちのベクトルに結構敏感だったんだよ。長幸くん凄くモテるから」

「……気付いていてわたしに長幸さんのこと話してたの?」


 学生時代、わたしは奈智子から、長幸についての惚気話をぽつぽつと訊かされていた。

 嬉しそうだったり、少し物憂げだったりその時々で語調は違ったが、総じて奈智子が満たされていることが、ハッキリと感じ取れた。


「気付いたのは結構後になってからだったからさ。割と頻繁に話題にしてたのに急に話題に出さなくなったら、なんか変でしょ?」

「まぁ……」

「それにさ」

「うん?」

「わたしの話、喜んでくれてるみたいだったから」

「…………」


 絶句させられた。途方も無く恥ずかしくなって、正直悲鳴を上げたくなった。


 やはり、わたしと奈智子では見えている領域が違うのだ。


 わたしと彼女では、恋愛や、異性と同性が織りなす相関関係への理解や思索への注力が、わたしとは格段に違う。


 確かにわたしは奈智子から長幸の話を聞くのが好きだった。それについて惨めに感じなかったのは奈智子と長幸の在り方、ツーショットが余りにも完璧で、わたしが関わる余地など全く無かったように思えたからだ。


 わたしの内心を奈智子が見透かしていたからと言って、律義に憤る気持ちにはなれなかった。

 いまお好み焼きと塩焼きそばを囲むわたし達は学生時代のわたし達とはあまりにも違う場所に来てしまったのだから。


 片方は生徒との距離感すら煮え切らない教師で、もう片方は自分の人生すら捨て去った魔女なのだ。


「それで、どうしよう?」


 長い道程の果てに、女子高生の姿になった奈智子はずるっぽい笑みと共にわたしに迫る。


「…………」


 下唇を噛むわたし。

 一瞬、結論を先延ばしにしようかと思ったが、多分それを先延ばしにしても結論は変わらないだろうなとボンヤリと確信出来たし、この件についての決断を先延ばしにしたくないと、何故か奈智子に対して対抗意識のようなものが湧いてしまった。


「また、会いたいかな……」


 対抗意識は湧いたが、口についた言葉は非常に恐る恐るといった感じになってしまった。


 途端、奈智子は満面の笑みと共に嬉しそうにくすくすと笑い出した。恋人にくすぐられているような笑い方だな、と思ってしまった。


「やった! いやヤバい、ヤバいテンション上がってきた!」

 奈智子ははしゃぎながら、座ったまま身体をぴょんぴょん跳ねさせた。

 楽しさを押さえられない様子、子どもっぽい動き。


 わたしの消え入りそうな恥ずかしさはその奈智子のテンションの高い可愛過ぎるはしゃぎっぷりで搔き消えてしまった。


「じゃあ、じゃあさ、さっそく作戦会議しよ! ファミレスで二次会がてらにさ!!」

 大学生みたいだな、それは……。


「いや、明日も仕事だしさ。買い物も帰りにしたいし」

「うん、じゃあ家に帰ってからだ!」


 ……わたし達の、文化祭の二次会はまだもうちょっとだけ続くらしい。


 他人の恋バナで高揚感が増す感じ、確かに学生時代にはしばしば感じていた気がする。奈智子の有様を見てずっと忘れていたそれを思い出した気がする。


 最近、奈智子のせいで/奈智子のお陰で忘れていた記憶や感性を呼び起こされるケースが多い。


 高校生の頃、瀬河長幸に片思いしていたこともそのひとつだ。





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