第二十六話 鉄板の上
生徒との距離感、それは教育者の皆さんの永遠のテーマだと思う。
個人的な結論から言わせてもらうと「生徒ひとりひとりによって距離感は変わる」である。
生徒それぞれの状況によって使用するリソースの割り振りは変動させなければならない。この世に平等など無い、諦めて下さい。
それでも、『問題の無い普通の生徒』というある種のモデルを基準とした平均的な距離感はある程度規定する。生徒という『総体』とどういった立ち位置で接するのか、注意深く間合いを取っている。
わたしは、割りと生徒達との距離は遠い部類の教育者だと思う。
注意深く、距離を取っている部類の教育者だと思う。
わたしの中では、教育者は安定してサービスを供給し続ける機構であるべきだとする考えがある。
たぶん間違いなく他の教育者に訊けば全く違う持論が返って来るだろうし、わたしの考えを否定する者も現れるかもしれない。しかし、わたしにとって教育は淀み無い安定感を持って与えるべきものというのが結論だ。
これはわたしが職場環境に恵まれているからこそ至れる結論なのだろう。
私立の進学校、生徒達は勉学に対して直向きで真面目、学校側にもそれをサポートする体制が整っている。恐らくまた違った職場環境では、わたしを『システム』の枠に留まることを許さない別のタスクが要求される。
――もっとも、勉学に直向きな生徒達の需要に応える能力というのもそれなりに大変であるとは言わせてもらう。
ただ、注意深く距離感を保っているが故に、「もう少し歩み寄っても良かったんじゃないか?」と思ってしまう瞬間は多々ある。
例えば奈智子が食べたという焼きそばについてもそう。
茶道部の茶会や茶道部内で部員が話題にしていた模擬店の仮面カフェは教師の仕事の一環で顔を見せたという『理屈』が成り立つ。
しかし教師の立場として三年生の模擬店へ焼きそばを食べに行く文脈は特に無い。食べに行く理由が特に無いのだ。
学校行事の細部、わたしの仕事と関わりの無い部分には興味を示さないとするスタンスだ。
後日先程の生徒達の間で三年生の模擬店でソース焼きそばと塩焼きそばのどちらが美味しかったかの話題で盛り上がっていたといても、どちらも食べていないわたしはその話題に参加出来ない。
そこの話題に参加する義務は、無論教師には無い。
しかし、わたしが生徒達とは一歩引いた立ち位置を保とうとしている様子は、ハッキリと顕在化するだろう。
生徒との距離の取り方に問題があるとは思わない。
しかし、距離の近さを意識すれば、あるいは近い距離での関係を円滑に出来るセンスがあれば、わたしがこれまで取り零してきたものを見逃さずに済んだのではないかと時々考えてしまう。
特に生徒達とコミュニケーションを取る機会があると考えてしまう禅問答なのだが、奈智子と半同棲をするようになって、そのスタンスのメリットデメリットを常に突き付けられている状態にある気がする。
『生徒』の立場と『幼馴染』の立場を明確に両立させて懐に入り込んでくる。
内心、便利だなぁと思わなくない。
まぁ、そんなものわたしには再現不可能なのだが、色んな意味で。
テーブルに嵌め込まれた鉄板の上に、ステンレス製の皿が載せられる。
少女とおばさんは小さな歓声と共に何故か居住いを正す。
そこに盛られているのは話題の塩焼きそば。薄黄色の麺に、ゲソやベビーホタテやキャベツが魅惑的に絡まる。
器の方も大変熱くなっておりますのでお気を付けください。親切な定型文が口にされ店員は席を後にする。
――奈智子のリクエストで車を走らせた場所は国道沿いの郊外にある鉄板焼きの店。ファミリーレストラン型の大きな店舗に広い駐車場を有するチェーン店。鉄板焼き専門店と書いてはあるがメニューはお好み焼きと焼きそばが中心らしく、各座席のテーブルに嵌め込まれた鉄板の上に完成した料理が載せられていく形式だ。
……店に入った直後に店内に視線を走らせて客の中に燐高の生徒・関係者が居ないかどうか確認した。
知り合いに生徒と一緒にレストランに来ている理由を説明するのは随分骨が折れる。それでもこの店に来ようと決めたのは燐高やその生徒達の行動範囲、そしてわたしの家から車で数十分はかかる程度には遠い場所だからだ。
文化祭の熱が冷めやらない奈智子に影響されてしまった部分もあると思うが。
早速、件の塩焼きそばを小皿に取り分け、食べてみる。
「んー、結構オイリー!」
至福の笑みを零す奈智子。
なるほど……、確かに油の存在感がある、オイリーだ。
ごま油と塩コショウが麺をしっかりとコーティングし、一口ごとにジャンキーな満足感を与えてくる。味が薄過ぎても濃過ぎてもかなり食べ辛い料理になりそうだが、この塩焼きそばは非常に慎重に調整されている。食べやすいけど、多分味以上に脂っこい料理だぞ、これ。
「どう? 満足?」
黙々と箸を進める奈智子に促してみる。
「う~ん、美味しいよ? 美味しいんだけどね……」
「うん?」
「今これを食べた所で昨日の打ち上げでみんなの話題に乗れなかった事実は覆らないなぁって……」
「ここまで連れて来といてそれは余りにも今更過ぎない!?」
「自分が信じた代償行為を完遂した果てに本当の心の空白に気付いた、とかそういう気分、今は」
「まぁ、やるべきことをやり切らないとわからないことってあるよね……」
何か神妙な空気で満たされそうになった会席は続けて店員によって運ばれるお好み焼きの登場により同年代の女性2人の小さな歓声に変わった。
保温設定の鉄板の上で美味しそうな匂いと音を上げるお好み焼きをステンレスのヘラで両サイドから切り分ける女子高生と教師。
ソースの香りをたなびかせるそれは塩焼きそばとは違い甘辛く刺激的。それがお好み焼きの生地とキャベツで程よく中和される。
「……お好み焼き食べたのとか何時ぶりくらいだろう?」
塩焼きそばとはまた違う味わいでジャンキーなお好み焼きを前に箸を止めつつわたしは思い返してみる。
「関西に旅行に行った時に食べた記憶はあるな、たしか」
「それっていつ頃?」
「二十代前半? くらいの頃」
「……結構前だ」
「結構前ね……」
結構前だ。改めて再確認して密かにショックを受けている。
『時間は残酷』って言い回しがあるけど、どっちかと言えば突然背後から殴りつけてくるような無軌道な暴力性があるよな、ってたまに思う。
『時間は暴力』、である。
残酷かどうか判断させる以前に鈍痛が襲ってくるような。
「わたしは……、五年位前にも食べたよ、関西で」
「旅行?」
「うん、家族で」
「…………」
うん、急に奥さんしていた頃の話をされるとどんな表情したらいいか一瞬わからなくなる。
「大阪で入った店は面白いんだよ。店員さんがテーブル席まで材料を持ってきてその場で作ってくれるの」
「……実演ってこと」
「うんそうそう、お好み焼き作りがエンタメなんよ。
あと、USJにも行ったよ、ハリーポッターメチャクチャ並んだ」
オーバーサイズ気味のトップスとハーフパンツの少女は休日の出来事のようにそれを語るが、それは妻としての立場で、夫と息子と旅行した思い出に他ならないのだ。
「家族の中って、決して悪くは無かったんだよね?」
「うん?」
「いや、家族のこと話したくないなら別に話さなくていいんんだけどね」
「んー、前にも言ったけど、わたしが『こう』なったのはわたし自身の欲求が原因だからさ」
そう言いながら奈智子は両手を花のように広げて少女になった自身に手の平を向け、指し示す。
「夫にも子供にも不満は無かったんだよ。ちゃんとした家族を出来ていたと思う。
まぁ……、でも」
「でも?」
「『恋』を出来てなかったのがいけなかったんだよね、今から思えばだけど……」
「恋……」
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