第二十五話 振替休日





 土曜と日曜に行われた文化祭の翌日。月曜日は振替休日になっている。


 わたしはリビングのソファに深々と身を沈めながら洋書をなんとなく読んでいた。


 日曜の夜は奈智子はわたしの家には帰って来なかった。


 文化祭の後夜祭終了後にLINEに連絡が入り、「クラスの子達と打ち上げで近くのファミレスに行く」「今日は『自宅』の方に帰る」とのこと。

 相変わらず、青春の再演に余念が無い。


 奈智子がわたしの家に居候を始めてからも、(戸籍上)両親(ということになっている赤の他人)が住む自宅や、どこぞか(徳島とか)へ出掛けて数日くらい帰って来ないことは多々あった。まぁだから、休日に奈智子が居ない日は別に特別じゃない。


 そもそも奈智子と同居を始めて精々三ヶ月程度のごく最近のこと。しかしもう、奈智子の不在が日常の違和感になるほどにわたしの生活に馴染んでしまっている。

 現にいま、一人の時間を若干持て余している。


 一年に一度の行事である『文化祭直後の振り替え休日の月曜日』は、毎年のわたしにとっては先延ばしにしていた家事やら日常の手続き諸々を消化する日として利用してきたのだが、いま現在我が家にやり残している家事は無い。

 居候の奈智子が洗濯も掃除も日常的に小マメに行っているので休日にわたしがやることが無いのだ。

 簡単な昼食を摂り、片付けを済ませた後は、ただだらだらとした休日の午後に沈み込んでいくしかない。


 まぁ、奈智子が居たからといってお互い思い思いに過ごしていることの方が多いのだが、奈智子に家事を任せてしまえる『怠惰』と共に赤の他人と共同生活をする『緊張感』が両立する生活に慣れ始めていて、この『怠惰』だけが横たわる贅沢な午後を内心持て余していた。


 この何もしなくても許される感覚、実家で暮らしていた頃以来だな。


 両親共に未だ健在である。


 引退した父も母も高齢化の進むベッドタウンのコミュニティに根差しつつそれぞれ趣味人と化し悠々自適の生活を送っている。


 両親の家からここは自動車で30分と掛からない。

 稀にどこか高い店に外食に連れて行くことはあるが、わたしは極力、彼らの家に近付かないようにしていた。


 一泊するとかもってのほか。


 長時間一緒に時間を過ごすと、わたしの生活の在り方に何かしら文句を言われそうなので嫌なのだ。

 何を言われたところで自分の生き方を変える気にはなれない。

 そんな決まりきった結論に行き着くためにぐだぐだ両親と言い争う羽目になるのは耐えられない。


 ……他人の心配や愛情に背を向けている感覚、多分奈智子なら共感できるだろうな、そんな気付きがふと脳裏を過り、馬鹿馬鹿しい身勝手さに少し苦笑いをする。


 鳴り響くインターホンが、途切れがちだった読書とあまり楽しくない物思いを中断させた。






「ただいまぁ」


 程無くして、自ら入り口の鍵を開けた奈智子がリビングまでやって来た。

 高校の制服姿。明日もその格好で登校するので、そのまま自宅から着てきたのだろう。


「おかえり」

 親し気になり過ぎないように冷酷になり過ぎないように細心の注意を払いながら返事をする。


 ソファから身体を持ち上げ、ちゃんと座り直してから奈智子の方を見る。


 何か、変な表情だった。


 目を爛々と輝かせて嬉しさを押し殺しているようでありつつ、恐る恐るわたしの機嫌を見定めようとしているような恐れの気持ちがちらついている。


「打ち上げ、楽しかった?」

 仕方なく、水を向けてみる。


「うん、すごく。普段学校でしか会わないみんなとファミレスに行くのって新鮮で面白かった」 


 嬉し気に感想を口にするが、どうも気がそぞろで、わたしの一挙一動を観察するような様子を崩さない。


 ほんの一瞬だけ、お互いを牽制し合うような変な沈黙が我が家を支配した。


 決して刺々しくは無いが、お互いに出方を伺ってしまっている。


「みのりぃの方は……」

 意を決して奈智子が口を開く。好奇心を押し殺しているような弾むような声色。


「みのりぃの方は、何も無かったの?」

「へ、何か?」

 何かって、何さ?


「あー、別に教師サイドでは打ち上げとか無いよ? 教師にとって文化祭ってそれほどプレミアムなイベントでも無いし」

 質問の意味が解らず、一応当てずっぽうで返答してみる。質問の意味は解らないが、たぶん教師の打ち上げなど興味ないだろうなと思いながら。


「じゃなくて、長幸くんの方」

「え……」

「長幸くんと何か無かったの?」

「いやいやいやいや、何言ってんの!?」

 わたしは思わず思い切り否定してしまった。しかし奈智子の眼差しからは期待を抱く輝きは消えない。


「ある訳ないでしょ!? そんなの!?」

「え~~~?」

 心底不服そうな奈智子。

 目が若干笑っている。


「でも雰囲気は悪くなかったじゃん?」


 え、なに? 模擬店で相席したときの話をしてんの?

 奈智子は、わたしと長幸の気まずそうな様子を最前列で観察していたのだ。


「普通だし、普通の会話しかしてないから! 高校時代の同級生が久しぶりに出会ったらするような感じの」

「えー、何話したの?」

「そりゃ、今の燐高のこととか、玲くんのこととか、あとひなが徳島から手紙を出した話とか」

「おお、わたしの話題も出たんだ」

 ……そもそも、長幸がわたしに関わってきた理由が奈智子の所在を探していたからであって。


「いやー、ウチの模擬店で相席になってたときの2人がさ、すごい絵になるツーショットで、何かあったら良いのになぁって思っちゃったの」

「いやだから、何かってなんなのよ……」

「邪魔しちゃ悪いな~と思って昨日はこっちに帰らなかったのに」

「ちょ……、ちょっと待ってよ……!?」


 余りにも無茶苦茶な奈智子の空想にわたしは思わず笑いが込み上げてきてしまった。


「ひなは……、わたしが長幸さんを部屋に連れ込むとか思ってた訳!?」

「何事も可能性はゼロじゃないでしょ? いやむしろまあまあ有り得そうだと思った」


 奈智子は胸元に両手を添え、ハートを押さえる仕草で小首を傾げる。


「無いよ! 有る訳無いよ! あっちは妻帯者だよ!?」

「ん~~~? みのりぃは、そこ気にする人?」

「いや気にするよ! 大事でしょ!?」

「うん、そっか。そこを大事にしたい価値観はまぁ、一般的だしね」


 奈智子の恋愛観の異常性は、いまさら注釈を入れるまでもなく今に始まったことではない。しかし、そういうオーラルセックスな思考を周りにまで巻き込むのは辞めるべきだ。

 誰もかれも、そんなに見境が無い訳じゃない。


「……そういう考え方良くないって。そのちょっと関わりがあった男女のカップリングを期待しちゃうような何でもかんでも恋愛に結び付けようとするヤツ。噂好きのおばちゃんの勘繰りみたいな感じで、ちょっと嫌らしい」


「噂好きの、おばちゃん……?」


 わたしの一言に、奈智子は笑顔を硬直させた。


「いや、恋愛に結び付ける発想、発想おばちゃんっぽい……? う、え、えーと、そうなのかな……? 確かにそうかも……」


 視線を泳がせながら急にしどろもどろになる女子高生姿の少女。

 噂好きのおばさんと言われた奈智子、想像以上にショックを受けている。

 わたしがそういうおばちゃん達に持つネガティブなイメージが、ダイレクトに奈智子の心に突き刺さってしまったようだ。「木之下先生がよくやるヤツだよ」とセンテンスが続く予定だったが、余りにも心の無い追い撃ちになりそうだったので流石に黙っておくことにした。

 木之下先生にもまあまあ失礼だし。


「でもさ、女の子ってみんな恋の噂話で大好きでしょ!? おばちゃんっぽくは無いでしょ? それだけだと?」


 主語を巨大にしてわたしまで巻き込んで来た。いやまぁ、もちろん興味のあるケースは多いけど、わたしを主題に勝手に盛り上がるのは困る。


「わたしと長幸さんが会話していたの、ひなはそんな風に見ていたの? てかひなが注文取りに来たとき、気付かれたらどうしようって気が気じゃなかったんだけど」

 昨日の今頃辺りからずっと奈智子に言ってやりたかった言葉を遂に吐露する。

 途端に、待っていましたとばかりにくすくすと笑いだす奈智子。


「どうしてもいたずらしたくなっちゃって。驚かしてごめんね」

 そうして一瞬だけ舌を出してすまなそうに笑う。

 くそ、百面相のバリエーション全部可愛いな。


「でも、顔隠したわたしに気付かれるよりもみのりぃがわかりやすく狼狽えてた方がよっぽど危なかったよ?」

「だって、長幸さんと再会しただけでもいっぱいいっぱいだったのに、あんなベタな悪戯仕掛けてこられるの予想外過ぎて……」

「いっぱいいっぱいになってたんだ、長幸くんと再会して」

 眉毛を吊り上げながら言葉尻を捕らえてくる奈智子、そんなわかりやすい揶揄いにわたしは、思わず、言葉に詰まってしまった。


「いや、いっぱいいっぱいだったのはそうだけど、二十年以上ぶりの同級生と再会とか多少なりとも緊張するでしょ?」

「そう、かなぁ?」


 指摘されるまで大して意識していなかった。

 長幸と面と向かっていたときに抱いた緊張感の正体。

 少なからず、わたしは長幸の前で取り繕っていた。ちゃんとした、大人の女に見えるように。


 ただそれを、長幸を男として意識しているとか曲解されると堪ったものではない。


「まー状況は違うけど、わたしもみのりぃに正体を明かしたときは結構ドキドキしていたかな、そう言えば」

「……あのとき、緊張していたのそんな風に見えなかった」

「うん、どうなるのか他人に委ねないといけないときって怖いよね。でもそれが楽しいんだけど」

「……楽しい? 共感できない感覚かも、それ」

「そっかぁ。わたしは他人からのサプライズ、求めちゃうかな」

 わたしの顔を覗き込みながら目を細めて笑う奈智子。

 見透かそうとしているような顔、素敵な百面相のバリエーションのひとつ。


「ねぇ、今日の夕飯ってもう決めてあるの?」


 そしてその貌を不意に輝くような爛漫な笑顔に切り替えて手の平を合わせながらわたしに尋ねる。


「いや、まだよ? ひながどうするか確定してから買い出しに行くか決めるつもりだったし」

「塩焼きそばが食べたい!」

 急に率直に具体的なメニューを提案してきた。


「塩焼きそば?」

「うん。三年生の模擬店でね、焼きそば屋さんをやってたんだけど、塩焼きそばがすごく美味しかったんだって」

「へえ」

「わたしもそのお店に行ったのは行ったんだけど普通のソース焼きそば食べちゃって。昨日の打ち上げでも食べ比べた子達の塩焼きそばの方が美味しかったって話で盛り上がってて。それでわたしも塩焼きそば食べたくなっちゃった」

「塩焼きそば……」


 食べたことの無いことは無い食べ物だが、まあまあ馴染みの無い料理だ。模擬店でも見回りで三年生の教室の傍を通り過ぎてその匂いだけは楽しませてもらった。

 長蛇の列が出来ていたし昼食は自前のもので済ませていたのでそもそもソース焼きそばの方すら、わたしは食べなかったのだが。


「……正直馴染みが無さ過ぎて、材料すらちょっとピンと来ない。取り敢えず焼きそばの麺はウチに無いよね」

「外食しよう! 塩焼きそばが美味しい店調べてあるし!」


 そう言いながら奈智子は自身のスマートフォンを操作し、飲食店の紹介ページを見せて来た。抜かりないな、というか奈智子はかなりはしゃいでいる? 

 文化祭での高揚感がまだ抜け切っていないのかもしれない。


「……ちょっと遠いけど、知ってる店ね」

「どう? 行こうよ」

「まぁ……、行きたいなら、行こうか?」

「やった!」


 奈智子はにっこり笑いながら小さくガッツポーズをした。もうなんなのそのいちいち可愛い顔は?





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