第二十四話 クリーム白玉ぜんざい




「え……、あ、はは、凄い偶然。お久しぶりです、高津さん」


「あ、あはは、本当、全然気付きませんでした。お久しぶりです」


 わたしと長幸は、お互い笑いながら頭を下げた。


 正直内心、予想外の人物の急な出現に頭が真っ白になって上手く動かなくなりそうになっていた。


 尋常じゃなく緊張している。


「その、誰か見覚えがあるなぁと思って実は気になっていたんですけど、どうしても思い出せなくて、予想外で、本当、吃驚しちゃいました」


 謎の義務感に駆られて早口でまくし立ててしまうわたし。

 喋り方が落ち着きのないおばさんみたいな感じになっちゃって、消えて無くなりたい。


「え……、偶然、なの……?」

 玲が困惑した様子で父親の方を見る。


「ああ、偶然偶然。生徒さんによく話し掛けられていたから先生なんだろうとは思ってたんだけど。

……ああ、先生。玲がお世話になっています。直接の受け持ちではないそうですが、今後もよろしくお願いします」

「あ、は、はぁ……」


 適当に相槌を打つわたしは内心ドキリとしていて、長幸が息子の玲に対する喋り方が(当たり前だけど)わたしに対するそれとは違い男親らしいちょっと高圧的なもので、わたしが見てはいけないものを目にしてしまった気持ちになった。


「せっかく燐高まで来たので先生にご挨拶に伺うつもりだったんですが、どちらにいらっしゃるかわからなかったし、そもそもお仕事中迷惑かと思いまして、どうしたものかなと悩んでいたんですが……」

「まぁ、そうなんですか? 前もって連絡して下さっても良かったんですよ?」

 とは言っても、文化祭の当日に瀬河長幸が尋ねてくると訊かされていたら、緊張して仕事に支障が出ていた可能性があるから(まぁ、今日やった仕事と言えば職員室の電話番と一時間弱の見回りだけだが)、このサプライズ訪問の方が心への重労働度合いから言えばかなり低い。


「この後お時間を頂けませんか? 先日の話の進展が一応ありまして」

「ええ、もちろん、それは問題無いですよ」


「えーと、あの……」

 四半世紀ほど前の卒業生2人の会話に、在校生の玲が恐る恐る割り入ろうとする。


「……出来たら、2人には相席してもらいたいんですけど?」


 父親と教師の顔色を探るように言う玲。父親の前で敬語を使う居心地の悪さを噛み殺しているような様子。

 いや、それより、相席?


「いや、店が混んでるからさ、知り合い同士なら出来るだけ相席してもらいたいんですが……」

 そう言いながら玲は、入り口の傍の張り紙を指差した。『注:混雑が予想されますので、相席をお願いする場合がございます』、マジックによる手書きの客に対する『お断り』が掲載されていた。


 わたしは思わず自分の背後を一瞥した。

 わたしの後ろには既に10人近い客が並んでおり、店側からすれば出来るだけ素早く多くの客を捌きたい状況であることは明白だ。繁盛していて何より。


 そして思わず隣の長幸の顔を一瞥した。同様にこちらを向いていた長幸と視線が合ってしまい、長幸は、困ったように苦笑いした。


 努めて、動揺がバレない様に唇をきつく結んでしまった。






 仮面喫茶の内装は外観よりも若干、普段の教室の雰囲気が残っていた。しかし、見慣れた教室を和風らしくみせようとする装飾、窓に嵌め込まれた障子を模した木枠、立てかけられた簾、机に敷かれた落ち着いた紺色のテーブルクロス、随所にちりばめられた折り紙や灯篭やお面の装飾などがある程度効果を発揮していて、非日常感を出すことに成功していた。なかなか良く出来ている。

 

 それはそれとして。


 視線が、普通じゃない。


 狐やオタフクのお面に作務衣や浴衣を着た店員達、そして客として入店している他の燐高の生徒達からちらちらと視線を集め続けている。

 比喩でなく、今この教室で一番注目を集めている。


「その……、申し訳ありません」

 わたしは、対面に座る長幸に思わず謝罪してしまう。謝罪せずにはおれなかった。


「こんな、悪目立ちさせてしまうようなことになって……」

 長幸はどうかお気になさらず、と気さくそうに笑う。


「むしろ先生の方に余計な気苦労を掛けてるんじゃないかって。申し訳ありません」

「いえそんな、お気になさらず」


 独身の教師が同年代の見慣れぬ異性(しかもハンサム)と行動を共にしていると、どうしても嫌でも関心を集めてしまう。

 ただ、気にしているのを表に出してしまうと、長幸に変に気を遣わせてしまうので、平静を装う。視線には気付いているけど気にしていない風を装う。

 対面する長幸も悠然とメニューを眺めていて自然体だ。

 もっとも彼の場合、こんな注目の集め方には慣れている可能性はあるが。


「注文はお決まりですか?」


 模擬店に入店していれば、店員に扮する生徒からこういう声を掛けられるのは当然だろう。しかしその声には異様に聞き覚えがあり、全身の体毛が逆立ってしまった。


 わたしと長幸の席の傍に立つ生徒、桃色の愛らしい浴衣に狐のお面を付けてメモとペンを手にする人物、顔が隠れていても声と髪型と背格好でわかってしまう、葉山ひなこと、緋山奈智子だ。


 わたしは思わず息を呑んでしまった。


 長幸との遭遇の驚きで当初の予定を忘れていた。

 高校生:奈智子の振る舞いを観察しに来たのだ。


「何にするか決まりましたか?」


 しかし同じく狐面の奈智子に見下ろされる長幸はメニューを片手にわたしに尋ねる。


 全く気付いている様子は無い。


 いやまぁそもそもどうゆう発想力があれば傍に立つ仮面浴衣女子高生が魔法で若返った高校時代の恋人だなどと思い付くことが出来るというのだ?

 それは常人の思考回路じゃない、多分日常生活に支障が出るレベルだ。


「……ええと、クリーム白玉ぜんざいと抹茶ラテを頼もうかと」

 わたしから何かを言うつもりにはやはりどうしてもなれないから、とぼけるしかない。


「ああ、さっき生徒さんが教えてくれたやつですね。

 じゃあ、クリーム白玉ぜんざいと抹茶ラテをふたつずつ、お願いします」


 自然な振る舞いで元カノに注文をする長幸。

 元カレの注文を淡々とメモする奈智子。

 いや、ホント何やってんの奈智子?


 因みに奈智子の名札には『羽田野瑠璃』という全く心当たりのない謎の人物の名前が書かれており、その点から、一応長幸から正体を隠そうとする意図は感じられた。


「それではご注文を繰り返させていただきます」

 だからと言ってそのギリギリのスリルを楽しもうとする行動は許されないぞ。そこ別に律義に復唱しなくても支障は無いでしょ! ワザとでしょ!?


「クリーム白玉ぜんざいふたつ、抹茶ラテふたつ、承りました」

 奈智子の凛とした声でこの短いフレーズが唱えられている間、わたしは長幸が何かを勘付くのではないかと気が気ではなかった。しかし長幸は言葉にならないレベルの同意の唸り声と共に静かに首肯するだけだった。

 奈智子の狐面に真っ直ぐ視線を向けているが、表情は平静そのものだ。

 完全に、彼女が『見知らぬ女子高生』だと認識している。日常生活に支障が出ないレベルの常人の思考回路が正常に機能し続けている、らしい。


 注文を受けた自称羽田野瑠璃の葉山ひな(本名:元村奈智子、旧姓:緋山)は教室の隅の幕で仕切られた区画に入り込んでいった。どうもそこがキッチン兼バックヤードらしい。


「玲のやつ、あそこから出てこないな」

 その幕のスペースはわたしの丁度の背後に存在し、そちら側に視線を向けるとそのまま振り向く形になり、長幸に当然指摘されてしまう。


「……まぁ、お父様がいらっしゃると気恥ずかしい、というのはあると思いますよ?」

「恥ずかしがる気持ちは痛いほどわかるけど、実際こう、逃げられてしまうと少し寂しく感じてしまうね」

「あはは……」


 それから、わたしは妄りに振り向けなくなってしまい、バックヤードの傍とその中の様子を想像するしかなくなってしまった。

 狭いスペースの中で他の高校生達と一緒に仕事をしている奈智子と玲の様子を想像してしまうと非常に落ち着かない気分にさせられてしまう。


 その後、長幸が「母校の雰囲気、意外と変わらないなぁ」とか「体育館って、改装したんですね」とか感慨深げに話題を振ってくれてはいたのだけれど、申し訳無いけど全然頭に入ってこなくて、何とか脊髄反射でそれらしい返事をしていただけになってしまった。


 ちなみに、クリーム白玉ぜんざいはとても美味しかったです。






 ひなの旦那さん宛に、ひなから手紙が届いたそうですよ。


 和風仮面パフェを出たあと、長幸がわたしに教えてくれた。


 カフェを出たわたし達は人込みを避けて移動し、廊下の端の方の人気の少ない辺りまでやって来た。

 この辺りの教室では生徒達の出し物は行われておらず、生徒や来客達の喧騒を廊下の果てに望むような形になり、先程の歓声の只中に居たときと比べれば非常に静かだ。


「高津先生に電話をした一週間後くらいに届いたそうです。内容は元気で過ごしているみたいだけど具体的に何をして過ごしているかは全然書いてない、いつもと同じ風な内容だったそうですけど」

「どこから送られた手紙かはわからないんですか? 消印とか」

「今回は徳島の方からだそうです」


 えらく遠出したな。本州ですらないのか。


「毎回、手紙の消印はバラバラだそうです。全国色んな場所から毎回違う」

「……自分がどこにいるかわからないようにしている、とかですか?」

「日本中を旅している可能性もありますけどね。ただ、手紙の内容から見つかりたくないニュアンスは感じられるそうです」


 確かに、奈智子がわたしの家に帰って来ない日はしばしばある。

 丁度、長幸からの電話の話をした次の土日にも姿を消していた。黙って日帰りで徳島旅行をしてどこかのポストに夫への手紙を投函していたのだろうか?


「ひなさんが帰ってきそうな気配はまだ無さそう、なんですか?」

 白々しく話を合わせてみる。


「まだそういう気配は無さそうですね。連絡が来ただけですが旦那さんはそれでもかなり安心していたみたいでしたけど。

 ただまぁ、もしかしたら、私が知り合いに連絡して回ったのが切っ掛けかもな、とは思いますね」

「そう……なんですか?」

「心当たりがある範囲でひなと接点がありそうな相手に連絡してみたんですが、その連絡をしていた時期とひなから手紙が来たタイミングがほぼ合致していて、実はひなの所在を知っていた誰かが私のことをひなに話したんじゃないかなと思えるんですよ」

「えと、でも心当たりがある人はいなかったんですよね?」

「ええ、だから、誰かが意図して黙っているんでしょうね」


 そう話す長幸は気軽そうではあるが真剣で、視線は窓の外のグラウンドに向けられていた。グラウンドでは後夜祭用の櫓とキャンプファイヤーが準備されており、文化祭実行委員の生徒達が何やら作業を始めている様子。

 眼前に広がる、今はもう手の届かない果てへと過ぎ去った光景。


「だから本当は、こんな話を高津先生にしてしまうのもちょっと良くないかもですね」

「わたしが、ひなを匿っているかもしれないですからね」

 わたしは、努めて朗らかに冗談めかした。


「でもそれならそれで良いと思うんですよ。ひなにも何か身を隠さなければならない理由があるということでしょうからね。取り敢えず無事は確認できましたから、あとは当人達で納得できる落としどころを見付けてもらえれば」

「その……、ご苦労様です」

「あはは、でもこれ、殆ど買って出た苦労と言いますか、私のエゴですからね」

「エゴ……、ですか?」


「はい、わたしが関わった人に息災でいて欲しいっていうエゴです。高校時代のひなは凄く良いヤツだったし、私も救われていた部分が多分にありましたからね。恩の有る相手には幸せな人生を送って欲しいと思うお節介なエゴです」

「いやでもそれって、ごく自然な善意なんじゃないですか? 褒められこそすれ後ろめたく感じる必要は無いと思います」

「ありがとうございます」


 気恥ずかしさを多少含んだ、困ったような笑みを浮かべる長幸。

 わたしも少し恥ずかしくなってしまう。

 ちょっと踏み込みすぎたわたしの物言いにお礼を言われてしまったから。


「ただまぁ、ひなが無事だとわかって良かったですよ」

「ええ、それは、本当に……」


 もしかして長幸は、奈智子に会いたかったのではないか?

 そんな、多分有り得ない可能性がちらりと脳裏を過った。

 多分有り得ないんだけど、ラフでありながらもしっかり整っている服装や髪のセット、そして母校へ帰ってきたノスタルジーに浸りながらも『大人の男』の洗練された所作を崩そうとしない様子がどこか何らかの『準備』を感じてしまう。


 いやまぁ、瀬河長幸の『普段』が全くわからないので今の彼の出で立ちがどの程度異常なのか判断しようが無いのだが。


「……そろそろ失礼させてもらいます。お時間を取らせて申し訳ございません」

「いえ、今は休憩時間のようなものでしたから」

「校舎を久しぶりに少し見て回ってから、仕事に戻ることにしますよ。

 ああもし、ひなを匿ってらっしゃるようでしたら、わたしがよろしくと伝えておいて下さい」

「あはは、はい、匿う機会が有れば」


 お互い会釈をしてから、来た道を戻り、喧噪溢れる模擬店と人込みを搔い潜り、別館への渡り廊下へと進む長幸の後ろ姿を見送った。


 自身が付き合っていた頃と全く同じ年齢の恋人との再会に全く気付かなかったシュールさに内心苦笑いしながら。


 もちろん長幸は何も悪くない。



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