第二十三話 教師の文化祭




 文化祭当日2日目、午前、もうすぐ12時。


 わたしは職員室で待機していた。より詳しく言うと、職員室に待機する作業の実行中だった。


 文化祭そのものの運営は生徒会と文化祭実行委員会によって行われるのだが、普段の学校運営とは全く違う様相で、かつ学外から無数の来客を迎えてる状況は生徒達の権限・能力の限界を超えた事態が起こり得る。そういった場合の生徒の報告に確実に対応するために職員室を空ける訳にはいかない。

 文化祭の間、教員でローテーションして『職員室に待機する』役割が割り振られる。

 要するに、現在その役割をわたしが受け持っているのだ。


 ただ確実に職員室に誰かを駐在させるためだけの仕事。トラブルが舞い込んでこない限りは何もやることは無い。

 この合間に書類仕事や授業やテストの準備を前倒しすることも出来なくはない。出来なくはないけれども、やる気にはなれない。


 理由は、職員室の中からでも聴こえてくる喧噪である。


 放送やマイクの音がしばしば混じり折り重なるざわめき。それらは瑞々しい歓声で、時折笑い声が含まれていた。祭りの空気だ。

 物音ひとつ無い職員室が四方をお祭り騒ぎに取り囲まれている。

 昔映画で見た、デモ集団やら暴徒に囲まれた政府施設の内側に満ちた静けさにそっくりだな。なぜかそんな連想が湧いてくる。


 お祭りの賑わいに当てられてしまって日常の仕事なぞする気になれない。

 わたしは通勤時にコンビニで買っておいたサンドウィッチを開封しつつ、来客者用の文化祭のパンフレットと教職員用の予定表を眺めていた。


 わたしの受け持つクラスの出し物は合唱。

 文化祭初日、体育館でのイベントプログラムの最初の演目だった。担任教師としての一番の重大イベントはすでに終了してしまっている。


 一応各教師毎に『文化祭時の学校運営』の仕事が割り振られているが、最終日終盤の後片付けまで『待機』ないしは『見回り』くらいしか仕事はない。


「お疲れさまぁ~」


 歓声を遠くに聞く昼食にありつく中、入り口の扉が開き、妙齢女性の声が響いた。


「高津先生ごめんなさい。少し遅れてしまったかしら?」

「いえ、ギリギリセーフですよ」


 声の主、国語科の木之下東子とわたしは職員室の時計を同時に見上げながらそんな会話をする。職員室待機交代の時間までにはまだ2分ほど余裕が有る。


「あら、高津先生、昼食買って来てたのね?」

 木之下先生はわたしの机の上のサンドウィッチの形をしたビニール袋を目聡く見つけて尋ねる。木之下先生の手には発泡スチロールの使い捨てドンブリが収まっていた。


「ああ、生徒の出し物でお昼を食べようかとも考えたんですけど、去年すごい順番待ちの列に並んだのを思い出して、ちょっと大変だなぁって思っちゃいまして」

「ああー、わたしは思いっきり並んでしまったわ。それでギリギリになっちゃった」

 わたしと木之下先生はお互い何かを誤魔化すようにあははと笑い合った。


 まぁ、木之下先生を責められない部分もある。

 いまこの学校内を支配しているのは間違いなくお祭りの空気で。高揚感に浮かされる感覚はわからなくもない。


 木之下先生の場合、ある種の社交辞令として生徒の前で文化祭を楽しむ大人として振舞っている部分もあるのだろうけど明確に羽目を外してるなぁと思える場面もある。

 服装も少しだけ明るい色合いのちょっとドレスっぽく見えるワンピースで、『式典ほど格式張ってはいないが特別感のある服装』を綿密に選んでいる。ささやかにお祭りを楽しんでいることをアピールするチョイス。

 因みにわたしはいつものスーツ姿。一応プレミアムな状況に併せてタイトスカートを選んではいるが、まぁ仕事着の延長線上だ。


「……では、そろそろ行きますね。交代よろしくお願いします」

「はい、行ってらっしゃい。楽しんでらっしゃいね」

「あはは。はい、程々に」

 小さく笑い、軽く会釈して職員室から退室する。


 ……クラスや部活の模擬店や出し物が行われているのは教室の方で、そこから少し離れた場所に位置する職員室は祭りの喧騒からはまだ遠い。しかし室内と室外とでは音の質は明らかに変わり、フィルターがひとつ外されたようなクリアな騒めきが、わたしの耳にも届いてくる。


 文化祭において、自分の『教師』としての立ち位置を適切に見定めるのが苦手だ。 

 自分が直接の主役ではない祭りとの丁度良い距離感が掴めない。

 わたしも少なからず浮かれてしまっているのだが、あくまで監督・指導する立場で参加しているのだ。仕事としての態度を崩したくない。


 主役はわたしじゃない、生徒達だ。かなり努めて自重している。


 しかし奈智子は。


 わたしと同じ『大人』でありながらいけしゃあしゃあと生徒達の側に入り込んでいる。


 いやまぁ彼女は名実共に燐高の生徒だから何の問題も無いのだが、意識的に子どもと大人の間に一線を引いているわたしを尻目に厚顔無恥に垣根を飛び越える。


 例によって前もって、居候する奈智子に文化祭での活動内容について質問してみた。

 ひなのクラスで『仮面カフェ』っていうのをするって訊いたんだけど、仮面カフェってどういうもの?


「まぁ~、基本的には和風カフェなんだけど、スタッフが全員お面を付けて接客するの。ひょっとことかおたふくとか狐面とか」

「……コスプレ喫茶?」

「身も蓋も無く言えばそんな感じ」

「ひなも何かするの?」

「ええ。わたしはホールスタッフ担当、ウェイトレスだよ」


 奈智子のウェイトレス。

 まぁ適任である。給仕に徹する女子高生奈智子、想像するだけで口元が緩みそうだ。


 しかし仮面カフェか……。

 折角の生徒達(奈智子)の頑張る表情を仮面で隠してしまうのは余りにも勿体無いように思えた。どうして、そんな企画になってしまったんだろう?


「発案者の子は『被雇用者への没個性を求める社会の在り方へのアイロニーとしての仮面カフェ』とかそういうことを言ってた」

「ああ……、そんな社会風刺みたいなコンセプトなの?」

「発案者の子がそう言ってたけど、クラス委員の志野さんが和風要素を加えたのがみんなにウケてそれに決まった感じ。本来の意図が形骸化してしまったと言えるかも」

「へぇ……。でも正直、和風要素を加えた方が多分良かったよう思える。イメージしやすいし」

「あはは、わたしもそう思う」


 今回の文化祭の密かな楽しみが、模擬店でウェイトレスをする奈智子の様子を観察することだ。

 わたしと同い年の彼女が、どんな風に十代の少年少女達の中に溶け込んでいるのか、前から確かめたいと思っていた。上手くやれているのかいないのか、そしてどういう距離感で『同級生』達と接しているのか、浮かんでは消える無責任な妄想にいい加減終止符を打ちたかったのだ。


 では、とりあえず学内を見回りつつ、休憩がてらを装いつつ奈智子のクラスの模擬店に向かうとしようか。

 わたしは逸る気持ちを押さえつつ、朗らかな喧騒の響く方へと足を運んだ。






 文化祭当日は学校関係者以外も生徒達が配布した入場チケットを持っていれば校内に入ることが出来る。普段の学び舎が宣伝のポスターや出し物のオブジェや装飾で飾られる中を、私服姿の大人や学生で溢れていた。年に一度しか見られない光景に否が応にも高揚感が湧き上がる。


 そんな人々の合間を縫うように忙しく速足で、時には駆け足で移動する燐高の制服姿。体躯間の発表や出し物のタイムスケジュールに沿って先を急ぐ彼ら彼女らの表情は真剣でありつつ溌溂としており、内心眩しく感じられた(廊下で走るのは注意しておいた)。


 見回り当番と言いつつも実質的には自由時間である。

 しかし多くの場合この時間は関わりのある生徒達を労う『仕事』に消費されてしまうので、個人的には結局仕事の延長だと考えている。

 もう少し年齢とか教師としての経験値を積めば『生徒と共に楽しむ』とかそういう境地に至れるのかも知れないが、今のわたしはそんな風に捉える自信は無い。

 ……それはそれとして、どこかのタイミングで、茶道部にも顔を出さねばならないだろう。それはあくまでも『仕事として』だ。


 一年三組の模擬店『和風仮面カフェ』に訪れた動機は、たぶん『教師としての義務感』でも『生徒達と共に楽しむため』でもない。強いて言えば『魔女を野放しにしている故の責任感、と野次馬根性』である。


 

……奈智子の様子を窺いたい気持ちは少なからずあり、そういう意味では普段の文化祭よりも『楽しめている』のかもしれない。




 その『和風仮面カフェ』はかなり活気があるようだった。


 教室の外側の窓には木枠に白い画用紙を貼った障子風の飾りが嵌め込まれ、紙製の灯篭やすだれで装飾され中々雰囲気が出ている。


 入り口の傍の受付に浴衣に狐のお面を身に付けた女子生徒が常駐しており、そこで食券を買い入場するシステムらしい。その生徒の胸元には名札が付けられていた。誰が誰だかわからなくなるのを防ぐための措置だろうか?

 一応名前を確認してみたが、茶道部の部員でも奈智子でもなかった。


 仮面カフェの入り口にはすでに順番待ちの列が伸びていた。人数は8人ほど。想像よりも人数は少ない。

 メニューのラインナップからして和菓子が中心らしいので書き入れ時は正午近くより15時辺りか。茶道部が混雑するのもその辺りの時間帯なのでそちらには店仕舞い間際に顔を出すつもりだ。

 このカフェに立ち寄るタイミングは今が一番適切だろう。

 順番待ちの列の最後尾に並ぶことにした。


 学校における教師の言動というのは否が応にも目立ってしまう。

 列に並んでいるとどうしても廊下を行き交う面識のある生徒達の視線を集める。


 授業を受け持っている生徒、前年度に受け持っていた生徒から時折挨拶や会釈をされる。生徒達から挙動を注目されるのは職業柄仕方が無いが、通り過ぎる生徒達に注目されている人物に列の前に並んでいる父兄らしき人物は迷惑に思っていないだろうかと、少し心配になる。わたしのすぐ前に並んでいる人物の様子を不躾にならない程度に観察する。


 列の前に並ぶ人物は成人男性。年の頃はわたしと同じくらいか、少し若いか?


 仕立ての良いジャケットとスラックスとシャツ。そんなカジュアルなメンズファッションを着込んだ体躯はスマートで、ファッションと相俟って非常にすらりとしたシルエットを作り出していた。

 ちらりと見せる横顔がその人物像に対する予想をかなり混乱させる。

 三十代中盤くらいではないかと思わせるほど若々しい。中年的な丸みも無いし目立つ皺も無い、目鼻立ちがしっかりしたかなり端整な顔立ち。


 身なりからして生徒の親だとは思うのだが、高校生の子供が居るにしては少し若過ぎるんじゃないだろうか? だが、父兄ではないとしたらどういう経緯で高校の模擬店の列になど並ぶのだろうか?


 その男性の正体の糸口を掴めないだろうかとちらちらと顔を窺うが視線が合って観察をしているのがバレると失礼極まりないので気付かれないように細心の注意を払いながら凝視していた。


 客の出入りが繰り返され順番待ちの列が短くなってきた辺りでわたしが並んでいるのが教室内の模擬店スタッフ達に察知されたらしく、茶道部の部員が出入り口から現れ、わたしの元に駆け寄ってきた。来てくださったんですか、先生!


 彼女の出で立ちは制服にエプロンに三角巾。

 お面は被っていない。

 そこを指摘してみると、お面の数には限りがあるのでホールスタッフが優先的に付けてるんですよ、と教えてくれる。因みにわたしはキッチン担当です。


 どう、楽しんでる? そんなある種の教師用定型文を口にする予定だったけれど、止めておくことにした。彼女の様子は忙しそうだが充実感に満ちており、わざわざそんなありきたりな質問をするのは無粋に思えた。客観的には、どう見ても謳歌している。


 クリーム白玉ぜんざいがおすすめなのでぜひご賞味下さい! そんな宣伝文句を残し速足で教室内に戻っていく茶道部部員。

 ……そんなわたしと生徒のやり取りを前に並ぶ男性がちらちらと気にしているのが視界の隅に入っていた。まぁ、気になってしまうだろう。

 何となく申し訳無い気持ちになってしまい一声かけた方が良いかなとちらりと思ったがいよいよ変に思われない自信が湧いてこなかったのでこのまま黙ってスルーをしようか……。


「よお」


 不意に、その男性が列の前の方に向かって手を上げた。


 その先から作務衣を着て狐のお面を被った男の人がやって来て、手を振り返していた。


 その作務衣の胸元には名札が付けられている。

 そこに書かれている文字は『瀬河玲』。

 前の列の男性はそんな玲に「似合ってるじゃん」と言って嬉しそうに笑う。


 お面を外した玲はわたしの方を一瞥し、

「え……、高津先生?」

と呟きつつ目を丸くしながら前方の男の人とわたしを交互に見返した。


 わたしに振り向く男の人。

 その顔には驚きが浮かび、正面からちゃんと目にしたその顔立ちは玲そっくりだった。玲を、面影を崩さずに歳を重ねさせたような顔立ち。


「え……、もしかして、高津実莉さん?」


 多分わたしも彼と鏡合わせのように驚いた顔をしていただろう。


「えっと……、瀬河君の、お父さん?」


 そう、この人物こそ、瀬河玲の父親で緋山奈智子の初恋相手である瀬河長幸なのだ。




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