第二十二話 青春の部品






 放課後の教室で、わたしは文化祭の準備に精を出していた。


 文化祭で和風カフェを行うことになったわたしのクラスは、メニューの考案や接客の練習と並行して和風の内装の作成に勤しんでいる。


 シックな和風カフェというコンセプトの元、いつもの教室を和風に彩るための工作。教室の椅子と机を端に追い遣ってできた広いスペースで男子生徒を中心に行われているのが障子風窓の作成。あくまで障子『風』なので、木の枠に白の画用紙を綺麗に貼って遠目に障子っぽく見えるようにする。これを教室のガラス窓の前に嵌め込んで、教室を和室っぽく見せようとするのが狙い。なかなか大変。


 大工仕事に心得があるらしい男子が中心になって作業をしているのを横目に、わたしは教室の隅で西崎里穂子と羽田野瑠璃はたのるりと共にスタンドボードの製作に取り掛かっていた。


 西崎と羽田野は共に漫研部で、蝶番で繋ぐ予定の木の板2枚を和風テイストのデコレーションするべく、スケッチやスマホの画像を見せ合いつつデザインコンセプトを相談している。

 わたしはその辺の、美術関係の話には疎く、2人の話を訊きながらスタンドボードに貼るお品書き(仮決定版)を書いていた。3人の中で一番字が綺麗なので採用された役職である。


「『仮面カフェ』と言うコンセプトはやはり些か納得行かない」


 おおよその方向性が決まり、大量に準備した和風柄の折り紙から濃い色を選び出して一定の大きさに千切る作業の最中、羽田野は憮然とした表情で口にする。


「文化祭の醍醐味は、生徒達とその親兄弟の顔立ちの相違を見出す点にある。それが『仮面』! 顔を隠していたら家族で似てるとか似てないとか楽しめない! 由々しき事態と言える!」

「そこにそんな楽しみ見出す人そんなにいないよ」

 西崎は呆れ気味に笑う。


「西崎さんは小学校の運動会で保護者の群れの中から誰が誰の親なのか見極めようとしなかったの?」

「いや……、ちょっとわかるけど、そこは運動会に集中しようよ」

「西崎さんは、参観日に保護者の整列の中から誰が誰の親なのか、見極めようとしなかったのかい!?」

「いや、それ確実に授業に集中せずに後ろの方ばっか見てるよね? 授業に集中しなさい」


 折り紙を千切る作業に加わりながらわたしはくすくす笑いながら2人の会話を聞いていた。


「葉山さんって確か、多数決のとき『仮面カフェ』に賛成してたよね?」

 西崎がわたしに話を振って来た。


「どうして仮面カフェを選んだの?」


「何か……、ミステリアスな面白さがあるじゃない? 自分じゃない何かになって普段の自分とは違う役割を演じる、みたいな愉しさがあるかなぁって」

原橋はらはしくんの主張に賛同した訳だね」


 羽田野は憮然とする。

 『原橋くん』とは、クラスの出し物を決める際、『仮面カフェ』のアイデアを発案した人物だ。

 曰く「被雇用者への没個性を求める社会の在り方へのアイロニーとしての仮面カフェ」とのことだが。


「没個性や仮面に対してわたしはそこまでネガティブには捉えてないけどね……。

 そう言えば、西崎さんも仮面カフェに票を入れたんじゃない?」

「あー、わたしは仮面じゃなくて和風カフェの方のコンセプトに惹かれたから。クラスの教室をどこまで和風っぽく出来るのかって、面白そうじゃん」

「仮面喫茶に『和』のテイストを加味して注目度を上げた志野さんの慧眼と言う外無いね……」

 羽田野さんは苦々しげに言う。


 実際の所は、出し物を決める話し合いの際、別に挙がっていた『和風カフェ』のアイデアと似ているからという理由で雑にふたつを合体させただけなのだが。

 それが思いの外クラスの心を掴み、多数決で過半数を獲得し今に至るという訳だ。


「因みに、羽田野さんは何に投票したんだっけ?」

「ダンスバトル風ミュージカル」

「……肉体の躍動に対しての偏執が凄い」

 わたしは、西崎さんが羽田野さんに対してよく口にする揶揄を再現した。

「多くの生徒が抱えるダンス授業のトラウマが蘇るので絶対却下」

 西崎さんは憮然として跳ね除ける。






 その後、折り紙をある程度千切り終えてスタンドボードに折り紙を貼ろうとする段階になって、工作用のプラスチック糊を使うのは妥当なのかどうかで軽く議論になり、でんぷん糊や障子風壁飾り制作に使われている障子用の糊などを比べてどれが一番しっくりくるか実証する必要があるのでは? という展開になってきた。


 なってきたのだが、どうもそこから具体的にどうするのかという議論にならない。 

 まぁわからなくはない。

 具体的な話をしちゃうと実行に移さなければならなくなるし。


「『和風仮面カフェ』の『和風』という点はこのデザインで担保出来ていると思う。でも『仮面』っぽい要素もやっぱり加えるべきだと思うな」

「うん、そうだね。……仮面を付けてみるとか?」

「そう。狐のお面をひとつ借りて来て、こうボードの上の方に引っ掛ける感じで飾る。あたかも『ちょっと休憩でお面を外して席を外している』みたいな感じで」

「あー、いい! 可愛い! こう、紅葉なんかで飾ってみるのもありじゃない?」

「いいね! 風光明媚!!」


 糊の議論をしていたはずなのだがいつの間にか話は横道に逸れ、スタンドボードのデザイン方針に舵を取られる。

 スタンドボードに仮面を付けてみるアイデアを提示したのは羽田野さん。和風仮面カフェに反対している羽田野さんだが、活動方針が決まってしまうと美術に携わる者としての忠実さで真面目に作品に向き合っている。


 作業の手が止まり今後どうするかという話になってしまっているのは、わたしを含めて、作業に飽き始めているからだ。

 というか、文化祭の準備期間中は、申請が有れば19時まで校内で活動しても良いことになっているのだが、18時を過ぎてくると作業するクラスメイト達の集中力も切れ、教室全体にぐったりと弛緩した空気が満ち始める。


「……飲み物、買ってこようと思うんだけど、何か要る?」

 その今後の作業についての話すら間延びしつつあったので提案してみた。

「え、奢り?」

 ニヤリとしながら戯れたことを口にする西崎さんに「奢りません、ちゃんと後でお金を取ります」とぴしゃりと返す。


「ですよねー。……んー、じゃあ、ミルクティーで」

「アイス? ホット?」

「あー、アイスアイス」

「わたしはメロンソーダで」

「オッケイ」

「……メロンソーダなんてあった?」

「あった、ハズだよ? 無ければコーラを頼むよ」

「おっけい」

「あー、待ってるだけなのもなんだし、障子貼ってる班に糊分けてもらっとくね。検証は明日になると思うけど」

「わたしは、原橋くんに余っているお面が無いか訊いてみるよ」

「あはは、じゃあ、それぞれの任務に向けて一時散開!」


 西崎さんの唐突な号令を切っ掛けに、わたしと羽田野さんは小さく笑い、それぞれ立ち上がり、それぞれ席を離れた。


 教室から廊下に出ると、廊下がすっかり暗くなっていて驚く。

 廊下に連なる他のクラスの明かりが点々と煌々と灯り、夜更けの闇に必死に抵抗しているようだった。


 自分のクラスの明かりの中をちらりと一瞥。作業に対する集中力がなんとなく切れ始めているクラスメイト達の様子を見る。


 わたしにとっては4度目の燐高での文化祭である。


 いままさに『学生時代の思い出』を積み上げている途中のクラスメイト達に対してわたしが抱いている心持ちは恐らく、『慈しみ』とか『親心』とかそういう感じのものだ。


 どうも、一歩引いた立ち位置から『若者達』を俯瞰してしまう。

 当事者に成り切れていない。

 恐らく誰もわたしの正体など気付いてはいないだろう、それなりに女子高生のフリは出来ているはずだ。

 しかし、それらしいフリに特化している故にたぶん本物になり切れない。バレないことの方が重要なのだし。


 そもそもわたしは、恋愛に特化するために女子高生になった訳で、青春の謳歌は恋愛のための手段でしかない。


 そんな訳で、教室を出たわたしは少し速足になり、一階まで階段を駆け下り食堂前の自販機へ急いだ。


「おお、瀬河くん」


 夕闇が落ちボタンの明かりが鋭く灯る自販機の前で、わたしは先客に挨拶した。

 自販機から麦茶のペットボトルを取り出そうとしている瀬河玲が「よお」と挨拶し返す。


「偶然~、お疲れさま~」


 わたしは寛いだ笑みを浮かべながら小さく手を振る。

 無論、全然偶然とかではなくて、作業中にもちらちら観察していた玲が「飲み物を買いに行く」と言って教室を出て行ったのでわたしもそれに併せて出てきたのだ。


「おう、お疲れ」


 軽いストーキングをされたことなど気付いていないだろう玲は、素直に返事をする。


「あーマジだ、メロンソーダ本当にある」

 コインを大量投入し立て続けに飲み物を買うわたしに「……次々と買うなぁ」と玲は小さく笑う。


「買い出し当番か」

「うん、一人で3本飲むのは無理ですよ」

「はは、そりゃそうか」

 右手に2本、左手に1本。右手の2本の缶は親指と人差し指、人差し指と中指で挟んでジャグラーみたいに持ち上げる。


「葉山って当日のホールスタッフ担当だったよな?」

 帰り道の昏い校舎で、玲が尋ねる。


「うん」

「接客の練習とかするんじゃなかったっけ?」

「昼休みとかにはしてるよ? でも放課後は自分の部活の出し物の準備に行ってる子も多いし、飾り付けの準備の方が押してるから」

「そっちも大変だな」

「まぁわたしは、帰宅部だし? みんなより時間的余裕が有るからね。そっちの障子、みたいなやつもすごいじゃん。遠目には結構本格的だし」

「はは、あれすごいよな。オレほとんど指示されるがままにのこぎりで木を切ってるだけなんだけどな」


 ……なんか、文化祭前のよく話す程度の関係の男女の会話って感じだ。

 昔を思い出す。


 ハッキリ言って、わたしの最初の高校生活での記憶はもう断片的にしか思い出せない。

 思い出は、バラバラな断片になってわたしの人間性の一部として取り込まれてしまっている。

 ただ、文化祭の、『苦労はしたけど楽しかった』というぼんやりとした印象は、ずっと心の奥を満たしていたと思う。


 それは一般的には『青春の一頁』と呼ばれるもの。


 そしてわたしの悪性は、人生の残り全てを『青春の一頁』で埋めたいと願う醜悪さ。


「瀬河くんのうちってさ、親とか文化祭に来るの?」

「え?」

 割と唐突な質問だったので、驚いた感じで訊き返された。


「いやさ、高校の文化祭って微妙なラインでしょ? 親が子供の出し物見に来るかどうかっていうの。さっきそういう話で盛り上がっててさ、瀬河君はどっちなのかなって思って」

「あー……」

 玲は先程買ったペットボトルの麦茶を一口飲む。


「ウチは……、来るとしたら親父が一人で来る可能性が高いな」

「そうなの?」

「母親が外で働いてるから、基本的に親父の方が時間の都合が付きやすいんだよ」

「ああ、画家ってそうなんだ……」

「まぁ基本一人の作業だから、極端な話『今日は休み!』って言えば休みにできるんだよ」

「……浅い理解で言っちゃうけど、それちょっと羨ましいな」

「親父が言うには『スケジュールを自分で決めて自分で守らないといけないのはかなり辛いぞ』ってことらしいけどな」

「なるほどぉ……」


 無邪気に納得して見せるわたし。

 どちらかと言うと、長幸くんが息子の玲と親子らしいコミュニケーションを取っている事実の方に感心させられた。正直、玲から長幸の面影を強く感じ取れ過ぎてしまうが故に、若かりし日の長幸と一緒にいる心象が強制的に蘇って、玲の父親が長幸だという事実に頭が混乱する。


 もちろんよく理解している、若返って高校生活を繰り返しているのはわたしだけなのだ。


「葉山の親は、どうなんだ?」

 逆に玲に尋ねられた。


「文化祭、来るの?」

「うちは……、まぁわたし次第。わたしが来て欲しいって言えば来るし来ないでって言えば来ない」

「ああ、なるほど、そんな感じか」


 どうやら納得してくれた玲。


 『葉山ひな』の両親は無論わたしの、『緋山奈智子』の両親とは別人だ。現在の後見人、魔術師の『芦間耀あしまよう』が用意した偽の家族。雇われてわたしの両親の『役』をしてもらっている赤の他人だ。

 わたしが家に帰らず外泊していてももちろん何にも言わない。

 むしろ余計な気を遣わずホッとしていることだろう。


「葉山の両親は、来たがったりしない訳」

「どうだろう……」

 いや、たぶんなんの興味も無いだろう。


「来たいって言うなら止めないけど。でも親にも都合とかコンディションがあるだろうしさ、わたしから来て欲しいとは言わないかな?」

「……ドライだな」

「そうかな? 高校生にもなったら親も子離れしてくる感じじゃない?」

「確かに、そうだよな……」

「もしかして、瀬河くんのお父さん、文化祭に来たがってるとか?」

「…………そうなんだよ。まぁ、オレに興味があるって言うより、学校に来たがってるみたいだけどな」

 若干うんざりしたような玲の表情。


 わたしは缶ジュースを吊り上げている指に力を込めた。思わず落としそうになったからだ。

 全身に鳥肌が立って、唇を吊り上げながら笑い声を上げそうになるのを必死で堪え、努めて愛嬌のある表情を作り、何も知らない男子高校生の『青春の一頁』を装った。


 そっか、長幸が、学校に来るのかぁ……。





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