第二十一話 ティータイム






 全て奈智子から訊いた範囲での話だが、奈智子とその旦那さんとの夫婦仲は決して悪くなかった、とのこと。


 長幸との電話でも、旦那さんが本当に心配しているのが(長幸を介してだが)伝わってきた感触はある。


 奈智子は平然と繰り返して言う、悪いのはわたしで、自分の欲求が全て招いたのだと。


 女子高生として恋愛をしたいという歪んだ欲求、叶わない祈り。それを本当に叶えてしまい、女子高生の制服を纏い可憐な笑顔を振り撒くわたしの同級生。


 まったく、どの面下げてそんなに嬉しそうな顔をして笑えるのだろうか?

 そんな呆れとも憤りともつかない感情を抱かないことは無い。

 しかし、叶わないはずの大望を成就させた彼女が自分の人生を謳歌する様子を間近に見せられ、それに水を差す気にはどうしてもなれない。


 そしてまぁ、密かに興味は湧くのだ。夫や子供を彼方に追いやり、女子高生として振舞う彼女が自身のクラスで一体どんな様子で授業を受け、クラスメイトと接しているのかが。


 わたしが彼女のクラスの授業を受け持っていなかったことは残念に思うが、同時にホッとしている部分でもある。

 わたしが女子高生としての奈智子を観察しているのと同様に、奈智子が教師としてのわたしを観察している状況。


 正直ゾッとしない、平静を保てる気がしない。






 茶道部の顧問をさせてもらってはいるが、基本的にわたしが部活動には直接係わらない。


 見回りを兼ねて部室に立ち寄ったり相談を受けるような場合はあるが、本格的な指導は学外から週一回来てもらっている外部顧問に任せ、自分は生徒側から要望が無い限りは放任することにしている。


 そしていま、わたしは茶道部の部室で座布団の上に正座している。

 生徒側から要望があったからに他ならない。


 学園祭まで残り2週間弱、校内各所で徐々に準備が行われている最中、茶道部も学園祭で行う茶会に向けて準備を行っていた。


 今日もその一環。わたしが部員達から求められた仕事は、茶会のリハーサルのために『客』の役を演じることだった。


 一年生の茶道部部員の先導により茶道部の部室に通される。

 そこは和室で畳張り、壁は白い砂壁と木製の床柱。広さは普通の教室の半分ほど。

 圧迫感がある。茶室の標準的なサイズとされる四畳半よりもかなり広めだが見慣れた教室と比べると明らかに狭い。

 その内装と面積の差異が、外界と隔絶された非日常感の演出に一役買っていると思える。


 わたしと共に茶室に並べられた座布団に座る人物は計5人。

 右隣には外部顧問の菅原すがわら先生。

 妙齢の女性で、今日は上品な洋服を着ている(フォーマルな状況か指導で必要な時以外は和服は着てこない。学園祭にやって来るときは例年なら和服を着る。本人曰く「祭事ですからねぇ」とのこと)。

 左隣は、実は茶道部の副顧問をしている養護教諭の園部先生(わたし以上に茶道部にほぼ関わらない。ごくたまに部室の鍵の受け取りを任せる程度だ。というか、サッカー部の副顧問も兼任していて、そちらの方に注力してもらっている)。

 そして引退した三年生2人(受験勉強の合間・息抜きに裏方の仕事を手伝っているらしい)。


 茶道部現部長が釜の前に正座し、茶道具を帛紗で拭う間、他の茶道部員達により茶菓子が配膳される。

 

 ……文化祭の本番では、限られた時間内で不特定の複数人の来客をもてなすゆえ、色々略式にならざるを得ない。

 その中で『茶室』という特別な空間での体験を来客ともてなす側で共有するための演出を意識して欲しい、というのが今日の稽古の前の菅原先生の言葉。

 

 スーパーマーケットで詰め合わせで売られている小さな和菓子(本番ではもう少し高価な茶菓子が用意される予定、とのこと)を頂く中、茶道部部長による点茶が行われる。


 釜から柄杓でお湯が掬い取られ、それを茶碗に注ぎ、茶筅でお茶を点てる。


 制服姿の彼女から為されるその所作は素人目には淀み無く、非常に美しく思える。

 普段の可愛らしくて真面目そうな印象を与える様子とは違う、たおやかな力強さがあった。お茶を点てる音が響き、学校の喧騒も何故か遠く彼方に感じる静謐さが、その凛々しさをより引き立てる。

 練習の成果により自然に身に付けた動作なのだろう。

 その練習にほぼ関わっていないわたしも、ちゃっかり誇らしい気持ちになってしまう。


 左右に座る、『お客様役』の面々の様子を盗み見た。ささやかなサイズの羊羹を更につまようじで細かく切り分けつつ口に運びつつも、その視線はしっかりと点茶を行う現部長に注がれており、かなり緊張感がある。

 わたし以上にほぼ部活に係わらない副顧問の園部先生はともかく、菅原先生や三年生2人の眼差しはかなりのプレッシャーを与えられる。

 この茶室を満たす静けさのもうひとつの側面を気付かされた。

 こんな中で堂々とお茶を点てられる新部長は中々凄いなと、改めて現部長に感心させられる。


 茶筅を置き、茶碗を持ち上げ、左手の平に置いた茶碗を恭しく2度回したあと、茶碗を菅原先生の前に置く。


「皆様のお茶も用意させて頂きます」


 菅原先生以外の客達に向かって部長が話すと、襖が開き、茶道部部員の座礼のあと、お盆を持って三人の部員が入室し、客の前に茶碗を配膳していく。


 配膳されたお茶は客5人に対して12杯。空席になっている座布団の前にも置かれている。

 本番では最大12人をもてなす予定になっているので、『亭主』役の部長が立てる一杯以外の残り11杯を裏方が時間内に点てられるかを確認する予行演習も兼ねている。

 それには無論、滞り無くスムーズに客の前に配膳出来るかも含まれている。


「……それでは皆さん、お召し上がりください」


 お茶を運んできた部員達が茶室から退室したあと、部長がお辞儀をする。


「お点前、頂戴します」


 菅原先生もお辞儀で返し、他4名の客役もそれにならう。


 茶碗を手に取り、お茶を頂く。


 冷めていなくて丁度良い。うん、おいしい。


 他の客達も静かにお茶を楽しむ。

 楽しんではいるが、三年生達は口内に神経を集中させているよう真剣な表情をしていて、どうもちゃんとお茶が点てられているか精査しているらしく、真剣な様子に少しこちらも緊張してしまう。

 純粋に優雅にお茶を楽しんでいるだけっぽい園部先生の表情とのコントラストで、その真剣さがより強調されていた。


「本日は、燐成学園茶道部の茶会にお越しいただきありがとうございました」


 『客』役があらかたお茶を飲み終えた辺りで部長が挨拶をし、お辞儀をする。


「えと……」

 ここで不意に、挨拶をする現部長が、もてなす側としての凛とした態度を崩し、戸惑った様子を覗かせる。


「本番ではここで、お客様と3分ほど問答を行います……」

「何か、何か話をして!」

「へっ!?」

 引退した三年生の無茶振りに、現部長は一瞬顔を強張らせる。


「練習! 会話の時間配分の練習」

 ちょっと半笑い気味に現部長に促す彼女は引退した三年生の元部長。もう一人の方もスマートフォンを取り出しタイムウォッチのアプリを起動させようとしている。


「えっと……、その」

 視線を部屋に巡らせて考えを纏めようとする現部長。どうも、覚悟を決めて何を話すか考えているらしい。

 部活の上下関係、って感じだなぁ……。


「文化祭も2日目、本日も気持ちの良い晴天に恵まれまして……」

 三年生達がくすくす笑い出す。

 今日は文化祭2日目らしい。ついでに前日も晴天だったようだ。現部長がアドリブでいま勝手に決めた。


「えーと、もし皆様のご予定に余裕がございましたら、今日午後4時に体育館で行われる二年D組の演劇『ウエストロミオとサイドジュリエットストーリー』を是非ご覧になって下さい!」


 わたしは思わず吹き出してしまった。

 なにその、関係無いモノを組み合わせているのに本質的には何も変わっていないみたいなタイトルは?


「随分攻めたタイトルね……」

 園部先生も楽し気に感心する。


「当クラスの文芸部部員が夏休みを返上して書き上げた意欲作ですので、ご興味がおありでしたらよろしくお願いします。そして、鑑賞後に喉が渇いたなと感じたならまた当茶道部の茶会に参加して頂けましたら、大変に嬉しく思います!

 皆様の思い思いの形で我が校の文化祭を楽しんで頂けることを願っております」


 そう締めくくりながら座礼をする現部員に、わたしは素直に感心してしまった。

 アドリブでそれらしいことを喋ってくれと言われて本当にそれらしいことを喋って場を盛り上げるって、早々出来ることではない。

 少なくともわたしには出来ない。

 来客を招いてもてなすための様式を身に付ける部活動、これも三年生達の指導(無茶振り)の賜物なのだろうか?


 茶道部部員の誘導により客役の面々が退室した時点で予行演習の終了。

 準備室で来客全員分のお茶を点てていた他の部員達を含めてまた部室に戻る。

 茶道部部員は十10人強はおり、狭い茶室は結構な人口密度になる。


 部員や元部員達の間で意見が交わされる。配膳のタイミングやその際の動作、10杯近いお茶を連続して点て続ける余裕はあるのかなど、大人数の客を繰り返し捌く状況での不安要素が話し合われた。


「……まず、前提として肝に銘じてもらいたいのは、『どれだけ練習しても必ず失敗はする』ということです」


 一通り懸案事項が出揃った所で、菅原先生が意見を纏めるように口を開く。


「勿論練習は大切ですし今話し合われた注意点についても非常に有意義です。ですがどれだけしっかりと準備をしても必ず失敗は起こるでしょう。その上で大事にするべきなのはお客様についてです。おもてなしの際と同様にお客様の気持ちに立って対応する。お客様の良い思い出となれるように失敗してしまった上で、お客様に不快感が残らない対応を皆さんで意識して下さい。

 ……それから内藤さん?」

 室内の部員達に言葉を掛けていた菅原先生が、不意に現部長の名を呼ぶ。


「ひとつ伺いたいことがあるのだけど」

「はい」


 現部長・内藤さんは神妙に首肯する。


「そのウエストロミオ? あなたは演劇でどんな役をなさるのかしら?」

 指導するときと全く同じトーンで繰り出されたその質問に室内にいた者達の半分以上が小さく吹き出した。


「はい、モンターギュ家との抗争で命を落とすプエルトリコ系アメリカ人のギャングBです」

 ええぇ……、そこで争うの?


「まぁ……。それは、四つ巴の争いになってしまうのかしら?」

「それは、是非ご覧になってご自分の目で確かめてください」

「あら、素敵な宣伝文句ね」

 菅原先生はしてやられたという感じでころころと笑う。


 そこからはまぁ、文化祭での運営の話も挟みつつも、座談会に花を咲かせるノリになってしまった。

 特に、普段部室に現れないわたしと園部先生を中心とする輪が出来てしまって、ここぞとばかりに世代間の交流が展開された。


 もちろん、生徒達と会話に花を咲かせるのは楽しい。

 その中で、園部先生は、気にならないレベルだが若干前のめり気味に生徒達を促しているように感じられた。多分、こういうシチュエーションが彼女の情報収集の場なのだろうな、と密かに納得する。


「先生聞いて下さい! 裏切り者がここに居ます!」


 不意に、会話に加わっていた二年生が芝居掛かった大袈裟な口調で一年生の一人を指差す。指差された当人はキョトンとした様子。


「裏切り者?」

 わたしは少し驚いた様子でその二年生に尋ねる。


「彼女のクラス、カフェをするんですよ! しかも和風カフェだそうです!」

「あら、商売敵じゃない」

 二年生とわたしのお道化た言い様に、その一年生は困ったように苦笑いする。

 ……そう言えば、この一年生は確か奈智子のクラスメイトだったはずだ……。


「一年生で模擬店って珍しいわね。結構大変じゃない?」

「はい。でもクラスの中で凄くリーダーシップ取ってくれる人がいるから、結構スムーズに進んでいると思います」


 志野さんだろうなぁ、間違い無く志野さんだろうなぁ、とわたしは会ったことも無いクラス委員の頑張りに思いを馳せ、無理はし過ぎないでと無責任に心配をした。


「カフェって、どんな感じなの? 特徴とか」

「和風仮面カフェです!」

 割りと間髪入れずに返事が飛んで来た。


「和風……仮面?」

「はい、店員はみんなお面を付けて接客します。狐とかおたふくとか」

「中々興味深いコンセプトだね。退廃的な空気感がある」

 そんなことを園部先生は楽しげに言う。

「確かに、不思議と言うか、ミステリアス」


 ……やはり、奈智子も他の生徒達と同じように放課後の教室で文化祭の準備に勤しんだりするのだろうか? まぁ、生徒だから当然勤しむのだろうけど。


 脳内が勝手に、制服姿にエプロンを付けて白々しくも愛らしい笑顔で接客する奈智子の姿を思い浮かべる。

 想像の中の奈智子の厚顔無恥っぷりに苦笑いが零れそうになったが、そうか、文化祭でなら、この平然と学校行事に参加する生徒としての奈智子の姿を比較的自然に観察できてしまう訳か。

 見回りの一環とかまぁそんな感じで。


 わたしが他愛の無い計画を思い描いている間も、茶道部の女の子達はわいわいと盛り上がる。

 和風カフェとか、やっぱり茶道部への反逆行為じゃない!? 点茶とかは出しませんし、反逆行為には当たりませんよぉ。




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