第二十話 予防線




 ホントに!?


 ついさっき長幸に電話したと奈智子に告げると、奈智子は目を見開いて驚いた。

 ただ、その驚き方は、若干余裕のある、コミュニケーションを円滑に進めるための作法としての驚き方で、要するにわざとらしい。


 長幸との電話の後、わたしはそのまま奈智子の待つ自宅に帰った。


 奈智子はいつものように夕食の準備をしていて、部屋着に着替えたわたしは奈智子を手伝い、食卓を囲み、2人手を合わせる。


 わたしが意を決して長幸との電話の話題を切り出したのは夕食も終わりに差し掛かった辺りだ。奈智子の反応次第では、夕食を食べていられる状況じゃなくなってしまう危険性があったかからだ。


「えー、そっかぁ、長幸くんと電話したんだ……。どんな感じだった? 元気そうだった?」


 両手を軽く握り拳にして胸を押さえ、好奇心を爛々と湛えた表情でわたしに尋ねる奈智子。

 いやいや奈智子さん、あなたの旦那さんが探している話も言い添えたのにそっちよりも長幸の方がプライオリティが上なのかよ……。


「……元気そうだったよ」

 でも仕方が無いので訊かれたことを素直に答える。


「でもまぁ、大人の男の人って感じでさ、高校生の時とは全然印象が違ったわね」

「あー。まぁ流石にそうだよねぇ」

「それよりも、ひなの旦那さんの話だよ。どうするつもりなの?」

「聞かなかったことにしたい」

 真顔で即答され、「正直だな」と思わず苦笑いしてしまいたい。


「ひな的には、もう家族と関わるつもりが無いっていうのは変わらないんだよね?」

「…………うん、そうだね」

 ……返事までの『溜め』が妙に長かった気がする。

 わざわざ指摘するほど気になる間でもなかったので、取り敢えずスルーする。


「電話で長幸くんは、ひなが家族にしばらくの間手紙出していたって聞いたんだけど、それはどうしてなの?」

 もう会うつもりは無いと言うのなら何故マメに手紙など送っていたのだろうか? 長幸からその話を聞いたとき、妙に引っ掛かっていた部分だ。


「……予防線って言うのかな」

 わたしの問いに、奈智子は後ろめたげに口にする。


「なんの連絡もせずにいなくなったら亮治りょうじさん、事件だと思って本気で探そうとするからさ、不定期に連絡して足止めしようかと……」

 ちなみに、『亮治さん』というのは奈智子の夫の名前だ。


「じゃあ、最近手紙送らなくなったのはどうして?」

「あー……。それね、えーと……」

 奈智子が更に歯切れが悪くなる。


「手紙を出す優先順位が低くなってたんだよね……。高校生の生活が楽し過ぎて……」


 思わず絶句して、呆れてしまった。


 いや、若干ショックだったのかも知れない。ここに至るまでの奈智子の行動の場当たり的な杜撰さに。

 奈智子に対して、その悪徳も隙無く洗練された美しさを帯びていて欲しい願望を持っていた自分にいま気付かされた。

 自身の夫に対する対応は『雑』としか言いようが無い。


「説得は難しい……、というかどう切り出すべきか全く想像は付かないんだけどさ」

 わたしは呆れている様子を殆ど隠さずに、以前話題にした気がするけど奈智子に有耶無耶にされた提案を改めて口にする。


「若返る前に、離婚する選択肢は無かったの?」

「んー……、それね……」

 奈智子はまた、少女の顔でバツの悪そうな顔をする。


「キープしたかったんだよね。もし高校生が上手く行かなかったら、元の鞘に納まるために」

「あー……」


 あはは、凄く打算的な理由だった。


 家族を捨てたと言いつつも実は保険を掛けていた訳だ。

 まぁ、『離婚はしていない』と前に訊かされた時にその辺が理由なんだろうなと密かに訝しんでいたけど。


「わたしもさ、宙ぶらりんが一番良くないのはわかってるんだよ……」

 そう言うと、奈智子は眉間に皺を寄せながら数秒、黙り込んだ。


 旦那さんとの関係をどうするか、だけではなくもっと多角的・重層的な諸問題に対しての最適解を探しているように何故か思えた。

 あどけない少女の顔に浮かぶ苦悶に耐えるような表情からは、そういった複雑な思考の気配が読み取れた。


「……近い内に、亮治さんには連絡をしてみるよ。必ず」

 長い思考の後、絞り出すように奈智子が宣言する。


「わかった」

「それまで、長幸くんにはわたしのことは黙っておいて欲しい」

「ええ、わかった」

「てかごめんねぇ、わたしのことで長幸くんに嘘を吐かせて」

「いや、まぁ……。それは今更だし」


 そもそも、『葉山ひな』の正体を誤魔化すのはもはや日常の一部と化してしまっていた。園部先生にも仲の良い生徒とか言ってしまっているし。


「これからも長幸くんに嘘を吐かせると思うけど先に謝っておくね。許してほしい」


「え、ええ……?」


 曖昧に返事したが、何か引っ掛かる言い方だった。


 上辺だけとは言え申し訳なさそうにしていた奈智子の声色に、若干弾むような高揚感が含まれていたからだ。

 









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