第十九話 ロールプレイ
まぁ、もちろん、連絡はちゃんとするつもりだ。
一晩保留にして覚悟を決めて、改めて連絡を取る決心を固める。
相手があの瀬河長幸で無かったとしても、高校時代の同級生に電話するシチュエーションなど普通は緊張するものだろう、一般的に。
少なくともわたしは緊張している。
ちゃんと卒無く会話できるだろうかという緊張感と、そもそも長幸がどういう風な対応をしてくるのかが全く想像出来ない。
学校の仕事が終わり、帰路の道すがらにあるスーパーマーケットの駐車場に車を止め、連絡を試みる。
何となく気になって、一応周囲を見渡して奈智子が潜んでいないか確認してしまう。
このスーパーの駐車場は、数か月前奈智子が急に車に乗り込んで来た場所だ。街灯だけが照らす、夜の闇が落ちた駐車場には人気が無い。我ながら過剰な警戒である。
室内灯で瀬河玲から渡されたメモを照らし、電話番号をスマートフォンに入力する。
発信ボタンを押せば電話が繋がる。
緊張による心拍数の上昇を感じ取る。
自分自身に呆れてしまうが緊張するものは仕方が無い。
意を決して、えいと発信ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
暗い夜の駐車場を背景に響く着信音。
心臓の高鳴りは止まず、このまま電話が繋がらなければ今日の所は長幸への連絡は保留に出来るのに、とちらりと考えてしまう。
が、3回目の発信音の途中で耳障りな電子音は不意に途切れ
「……もしもし?」
落ち着いた、男性の低い声が鼓膜を揺さぶった。
「……もしもし」
声が掠れてしまわないか確認するためにも、わたしは返答した。
「はい」
「あ、わたし、燐成高校で教師をしております、高津実莉と申します。こちらは、瀬河長幸さんのお電話でよろしいでしょうか?」
「ああ、高津さん。お久しぶりです」
少しだけ声のトーンが明るくなった。
少し年齢が若くなったような、少年っぽさが付加されたような声色。
「はい……。お久しぶりです」
明らかに寛いだ態度になった長幸に内心驚いたわたしは、一瞬混乱したが、相変わらず『外行き用の大人口調』で押し通すことにした。
「急に申し訳ありません、息子を使って連絡先を渡すような真似をして」
「いえ」
「……私のことって、知っています? 学生時代の私のこと。確か同じクラスにはなったこと無かったはずだけど」
「……はい。えと、知っていますよ。確か、サッカー部に、居ました、よね?」
「ええ、そうです」
「わたしのことは、ご存じだったんですか? 学生時代のわたしを」
「ええ。ひなと仲良くしていましたよね」
「あ……」
……そもそも、学生時代のわたしと長幸は接点などほぼ無い。
ものの弾みでひと言ふた言言葉を交わしたことぐらいはあるかも知れないが、まぁ些細な内容だ。
だから、わたしと奈智子が仲良くしていた(上辺だけの知り合い程度の関係だったのだが)のを長幸が知っていたのは少し意外だった。
それぐらい、奈智子のことをよく見ていたのだろう。
「ええと……、連絡先をくださった理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「ああ、そうですね。……急にこんな話されても困るかも知れないけど」
そこで一瞬不自然な沈黙。
受話器の向こうから微かに緊張が伝わってきた。
「高津さんは、ひなの、緋山奈智子の居所って、心当たり無いですか?」
案の定、ひなについてだ。
少なからず驚いたが、まぁ、ひな関連の話だろうな、と予想していた。
「ひなの……、居所……」
わたしは、『予想外の話題を振られて上手く呑み込めていない』風を装って長幸の言葉を反芻した。
「いえ……、わたしは知りませんね」
「……そうですか」
長幸は、わたしの嘘を素直に鵜吞みにした、ように思える。
「でしたら、どなたかひなと接点がありそうな人を知りませんか?」
「いえ……、それもちょっとわからないです。ひなとは大学を卒業して以来会ったことはありませんから。人伝に、結婚したという話は訊いていましたが……」
長幸が柔らかい低音で「はい」と小さな相槌を打つ。
「あの、宜しければ、ひなを探している理由をお聞かせ願えませんか?」
「……そのひなの旦那さんに頼まれまして」
長幸から、非常に言いにくそうな様子が伝わって来る。
「ひなが家出をしたまま帰ってこないそうなんです」
「家出、ですか?」
また努めて驚いて見せた。
声色が白々しく響いていないかどうか内心不安に思いながら。
「家出をしたのはほぼ一年前だそうです」
しかし長幸はわたしに対して特に不信感を示す様子も無く、話を続ける。
「家出をして間も無い頃は手紙が届いていたそうですが、最近ではそれも無くなって、取り敢えずいまどこに居るのか知りたいそうで、ひなと面識のある相手と連絡を取っているそうです」
……そのひとりが長幸という訳か。
否応無く脳が、奈智子の旦那さんと長幸が会話をしている状況を勝手に想像した。奥さんに家出された会ったことも無い男とその奥さんの元恋人との間に育まれるモヤモヤしたシュールな空気感、想像するだけで非常にハラハラさせられる。
「ひなは、どうして家出をしたんですか?」
「……手紙によると、『母親役や奥さんの役が出来なくなった』ということらしい」
それは、奈智子本人が明かしていたな。それっぽい作り話とのことだけど。
「具体的にどういう不満があったのかは、旦那さんにもハッキリわからないみたいだったけど、とにかく、独りで生きて自分を見つめ直したいということみたいです」
……独りで生ていきたい人間が幼馴染の家に転がり込むはずがないだろうけど。
いや、でも旦那さんや息子と縁を切って生きていくのと比べれば、それはずっと孤独に近いのかも知れない。
「いや……、想像出来ないな。母親役や奥さん役が出来なくなるって心境が。わたしはまだどちらでもないし」
それらしく話を合わせようとして言わなくてもいい情報を明かしてしまっていると言っている最中に気付いた。
途中で声が震えてしまいそうなのを無理矢理抑えた。
「高津さんは、結婚してないんですか?」
案の定、長幸に尋ねられる。
心なしか、腫れ物に触るみたいな恐る恐るといった感じの口調で。
「ええ、してないですね。縁が無かったのもあるし、仕事の充実感を優先していましたから」
仕方ないので堂々と、自分の人生に納得感を持っているオンナっぽく言い切ってみせた。
「……なるほど」
長幸は余り大袈裟にならない程度にしみじみと感心する。
「なんかさ……、時間の流れ、っていうのを感じさせられるんですよ。ひなの件で色んな知り合いや同級生に連絡取って軽く身の上話を聞くんだけど」
「そうなんです?」
「ずっと同じように学生だった皆がそれぞれ全然違う感じの仕事なり生活なりしていてさ。個性豊かだなぁって感心させられてね」
「母校の教師をしている同級生が居たり、ですか?」
「はは、そうですね」
「でもそれを言うと瀬河さんが一番個性的ですよ。画家をされているなんて最近まで知りませんでした」
「あーははは、そうですね」
長幸がちょっと困ったように照れた。
「確かに、高校のオレなら想像出来なかったでしょうね、絵でメシを喰ってるとか」
わたしは。
わたしはどうだったろうか?
高校の頃のわたしは今のような生活をしていると想像出来ていただろうか?
いやむしろ、浅い想像しかしていなかった気がする。
教師になる憧れに溺れてそれ以外のことを深く考えていなかったような単純な感じの学生だったように思う。
そして多分、結婚とかそういうことは全く考えていなかった。
「……ひなの旦那さんは警察には連絡されたんですか?」
わたしは、半ば無理矢理話題を変えた。長幸が『現在』に憂いを感じていないのがわかってしまって(少なくとも表面上そういう風に感じていないように振舞っていて)居た堪れない気分になってしまいそうだったから。
「いや、それはまだしていないみたい。しばらく前までは手紙が来ていたみたいだし、出来るなら、事を大きくしたくないんでしょうね」
……高校時代の恋人にまで連絡している時点ですでに結構な大事にしてしまっている気がしないでもないが。警察沙汰というのはそのひとつ上のハードルと考えているのだろうか?
しばらくは奈智子から手紙が来ていたらしいのでその内容如何によっては対応も変わるのかも知れない。
しかし、手紙か。
奈智子は、自分の家族をどうしたいんだろう。
「捨てた」と言ってはいたが、その内元の鞘に納まるつもりでいるのだろうか?
「わたしの方でも出来る範囲で探してみたいと思います。心当たりは、今の所ちょっと思い付かないんですけど……」
「いや、助かります。貴重なお時間を取らせて申し訳ありませんでした」
「いえ。こんな形でまた話をすることになったのは少し驚きましたけど」
「あはは。またこの件で進展があり次第連絡させてもらいますよ。よろしいですか?」
「え……、ああ、はい、是非。ひなさんのことも気になりますし」
「わかりました。では、今日の所はこれで、失礼します」
「はい」
そのまま別れの挨拶を告げ、長幸は電話を切った。
そのまま意識は、静寂が支配する自家用車の運転席、夜の駐車場の街灯の下に戻ってきた。
わたしは座席に深々と体重を預ける。
非常に大きな溜息が自然に出てしまった。
やたらに疲れた。緊張で想像以上に神経が擦り減らされた。
低く響く男の人の声の余韻と共に、改めて長幸との会話を思い返す。
納得させられる説明など出来る気がしなかったので奈智子のことは喋らなかったが、完全に、奈智子を庇う立場になってしまった。
長幸はわたし以外の同級生達にもあんな風に連絡を取っているのだろう。
奈智子の旦那さんに対する善意なのか彼自身が心配をしているのか、ちょっと真似したくない系統の手間だ。
長幸は親切かつ善良。印象はそんな感じだ。
長幸をその苦役から解放する鍵がわたしの手の内にあるのだが、どうしたものか。
困った。
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