第十八話 ダンスのように
瀬河玲とはたまに話す、というのはまぁ事実なんだけれど、厳密には少し違う。
クラスの男子全員とたまに話すように心掛けている。
どこでどういうチャンスと巡り合えるのかわからない。おじさんめいた言い方だけど、人脈を作っておいて損は無い。
それに何より、わたしは自分の容姿を、男子から自分がどう見えてしまっているのか自覚している。その自覚が殆どない振りをして男子の同級生達に気楽に話し掛けるのだ。
わたしに話し掛けられて、平常心が揺らいでいる男の子達を観察するのが楽しい。
明らかに挙動不審になっちゃう男子とか、頑張って平静を装うとする男子、割と態度が変わらない男子、露骨にテンションを上げてわたしと会話する嬉しさを隠さない男子。
そしてそれを続けていく内に、そんな男子達の態度も変化していく。同年代の女子に抱いている警戒心が徐々に緩和されていき、気を許した、馴れ馴れしい様子を見せ始めてくる。
少年達の中で、わたしに対する位置付けが変化していく。
その変化が、刻々と男の子達から扱われ方が変わっていくその流動性が、にやけてしまうほどに楽しい。
クラスの十代の男の子から、異性として意識されていることに、肉体と精神が歓喜で戦慄いている。
うん、冷静になってみると怖いな、自分。
頭の芯の奥の方ではちゃんと客観視出来ていたが、あえてそれを無視し、ある種の酩酊のように甘い戦慄きに身を任せていた。
多分これが、わたしが求めていたもののひとつだった。
……まぁ、若い男の子と会話するのはそれはそれで楽しいのだが。
男女分け隔てなくコミュニケーションを取るよう心掛けている本当の理由はカモフラージュ。
瀬河玲と会話をしている所を見られても悪目立ちしないようにするためなのだ。
昼休み。
学校の校舎は本館と別館に分かれていて、各階が渡り廊下で繋がっている。
クラスの教室や職員室、図書室や校長室などは本館にあり、別館には音楽室や視聴覚室、美術室などクラスの教室の間取りとはかなり違う広い教室が多い。
基本的に、人で賑わうことは余り無い。
購買部と食堂も本館・別館とは別の棟にあり、昼休みにこの棟に人で賑わう要素は無い。しかし実は昼休みにも各文化部の溜まり場になっており部室として使われている教室では部員達が昼食をしていたり部活動をしていたりしている。
いまわたしが居るのは別館の2階。
廊下は静けさに満ちている。遠くから少年少女達の喧騒と、リノリウムの床と上履きの底が擦れる甲高い音が響いてくるだけ。
目指す場所は美術室の前。
リサーチ通りなら、少なからずこの場所で出会える可能性がある。
目論見通りその人物が美術室の傍に立っていたのを曲がり角越しに見掛けた時は心の中でガッツポーズをした。
「え? あはは、瀬河くん?」
角から現れ美術室に近付いていく際、『意外な人物の出現に爆笑する』風を装いながら笑顔で近付いていく。
先客の人物、瀬河玲はこちらに振り向く。
「よお」
少しバツが悪そうに、はにかみながら返事をする。
「えっ? なんでここに?」
「絵を見たくなったからだよ」
わたしはうっすら笑顔を作りながら美術室の壁を指差す。
美術室周囲の廊下には、額縁に収められた絵画が壁一面に掲げられていた。
ジャンルは様々。抽象画から風景画、静物画や人物画。油絵や水彩画にモダンアートやアニメ調のポップアートなんかもある。
その全ては学生の作品。かつて美術部に在籍していた生徒達の作品が、美術室前の廊下に展示されているのだ。
絵の傍に、作品名と作者の名前、描かれた年度を明示したカードが張られている。
「瀬河くんも絵を見に来たんじゃないの?」
逆に屈託無く訊き返してやると「いやまぁ……、そうだけど」と困ったように小さく笑う。それに併せてわたしも笑みを返し、絵画に満たされた壁に向き直る。一緒に鑑賞するのを促すみたいに。
玲は黙ってわたしの隣に並び、絵画を鑑賞する。
……この邂逅は偶然ではない。
瀬河玲の学校内での行動を密かに観察して得た情報の賜物だ。玲は、休み時間にたまにこの美術室の前に現れる。
「瀬河くんは絵とか詳しい?」
わたしは玲の顔を覗き込みながら尋ねる。
一瞬表情を硬直させる玲。
「いや、オレもあんまり詳しくはないよ」
長幸に似た男の子が、わたしに見惚れてしまったのを気付かれないように平静を装っているのが手に取るように分かった。
正直、可愛い。
「上手いよねぇ、みんな。同じ高校生だと思えないくらい」
「……ああ、みんな上手い」
「素養って言うのかな。才能、ほどじゃないけど要領よく出来るジャンルが人それぞれ違うみたいな。そういうのはあると思うんだけど、絵を描くための勉強? みたいなのってどういう取っ掛かりで始めるのかな、ていうのはすごい疑問」
「んー、素養が先か技術が先か、みたいな話か?」
「そう! そんな感じ!
具体的にはこのべっとりした感じの絵の具がなんなのかよくわからない」
そう言いながらわたしは目の前の港の風景らしい絵を指差して玲に尋ねる。10年以上前のOB作品、昔の漁港のようでタイトルは『ハバナの漁獲』とのこと。
「油彩絵の具だよ。顔料とか混ぜてるから絵の具が粘っこいんだよ」
「……もしかして、これが油絵?」
「そうそれ」
「……へー」
感心したような演技をしつつ絵画と玲の顔を交互に見る。
「えっ! 瀬河くんやっぱ絵に詳しいじゃん!」
「いやそうかな……。ギリギリ常識の範囲じゃね?」
玲は微かな照れを込めつつやんわり否定する。
「えー、そう? わたしそういうの全然訊いたこと無い。学校で習った覚えないよ……」
「あー、確かにな。義務教育で油絵はやらないか……」
実際、最初に女子高生をやっていた頃のわたしはたしか油絵について殆ど知識が無かったはずだ。絵の素養も持ち合わせていなかった。
しかし玲が油絵に関する知識を持っている可能性はそもそも高かった。彼の父親の仕事を鑑みるとそういうものに触れる機会は一般家庭よりも多いだろう。
「えっ、じゃあこれは? 印刷みたいに色が綺麗、ていうかハッキリしてる」
「ああ、これはアクリル絵の具だな。色ムラが出来ないように注意しながら塗ってるんじゃないかな?」
……しばらくこんな風に、飾られた絵画ひとつひとつに対してわたしがコメントや感想を口にし、玲がそれに言葉を添える、という他愛の無い時間を過ごした。
『ダンスのように』、そんな喩えは多分こういうときに相応しい。
クラスメイトの異性。お互いに人格や容姿をどちらかと言うと好ましく感じているけど相手はどう考えているかわからない。
だから当たり障りないやり取りで距離感を見定めつつ、声と、仕草と、表情を相手の深層に深く積み上げていくのだ。
ダンスのように、言葉を紡ぎ合っている。
いやまぁ、わたしだけが勝手にそんな想像をしているだけかも知れないけど。
「ええ、すごい、詳しい! なんでそんなに絵に詳しいの!?」
改めてわたしは白々しく驚きながら質問をぶつける。玲ははにかみながら、「オレの親父、画家やってんだよ」と答える。
恥ずかしがりながら自分の家族の話をする男子高校生、実に麗しい。
「えー、ホントに!? マジか!」
露骨に驚いてやると、玲は苦笑いを噛み殺して恥ずかしがるような複雑な表情を見せる。
「え、じゃあ瀬河君も実は絵が上手いとか?」
「いや……、オレは別にそんなこと無いよ。別に上手くない」
……経験則上、こういう謙遜は割と信用出来ない。
何らかの方法で玲の絵を見てみたいとちらりと思った。
「そう言えば瀬河くんのお父さんってこの高校の卒業生でしょ?」
――国語の木之下先生が授業中に言っていたので、『葉山ひな』がこれを知っているのは不合理ではない。英語科の『高津先生』と玲のお父さんが同級生だと雑談の中で明かされていた(その時は、玲の父親の職業にまでは言及していなかった)。
「もしかして、この中にもお父さんの絵が有ったりして?」
「いや、無いよ」
冗談めかして訊いてみたが、玲はやけにアッサリ口にする。
「ここには無いよ。無い、ハズだよ」
何故かそこには、自分で自分の言葉に確信が無いような雰囲気が有った。
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