第十四話 たぶん教育テレビだ





 昔観た、多分教師になって間もない頃とかそれぐらいに観たテレビ番組について。ある種の討論番組みたいなものだ。


 十六から十九歳くらいの男女が集められ、スタジオで並んで座ってテーマに沿って討論を行う。

 集められた若者達は芸能人や素人の学生、更に高校に通わずに既に働いている者など、立場は様々。


 討論の内容は、若者が当事者である諸々も難題。いじめとか、友情の在り方とか、個性を許さない学校教育とか。

 そういういかにも大人が子供に議論して欲しそうな話題を、未成年が『本来』隠したがる青臭さを前面に押し出しながら議論する。テレビのチャンネルをザッピングしていた時に偶然見付けてしばらく観ていた。

 多分教育テレビだ。


 『将来の夢や目標』が議題に上がった時のこと。


 これまでのプロフィール紹介を兼ねた各人の主張から、『既に夢を叶えた』芸能人数人と、『夢に向かって努力をしている』グループ、そして『そもそも夢も目標も無い』グループに分かれていることが仄かに浮き彫りにされる中、『夢に向かって努力している』グループの若者達がそもそもどういう経緯で夢を見つけたのか語っていた際に、一人の青年が話に割って入った。叶うかどうかわからない夢など持つべきではない、と。

 即座に『夢に向かって努力している』グループに反発され、どういうことかと問われた。青年は言う、確実性の無い夢を追う余裕が無い若者もたくさん居る。

 その青年の父親は病床に臥せっており、家庭に経済的余裕が無く、高校卒業と同時に就職しないと兄弟が学校に通えない、らしい。家族の生活のために、夢を追っている理由など自分には無いと言うのだ。


 眉間に皺を寄せながら身の上話をするテレビの向こうの青年に、わたしは、特に深く考えず、咄嗟に、小さく呟いてしまった。


 そんなに親と兄弟が邪魔なら、さっさと捨てて一人で生きればいいのに、と。


 その青年に、深い反感を抱いたのを覚えている。

 口振りには恵まれた家庭に生まれた同年代への僻みが満ち溢れており、ある種の不幸自慢にも感じられてしまう嫌な印象。


 ……しかしそれらの所作は議論を盛り上げるために仕込まれた意地の悪さである可能性はあった。

 いやそもそもその番組自体が『若者達の討論』という設定の、初めから全てシナリオが決まっている討論ショーだったかもしれなかったが、仕込みだとしても夢を語る同年代に対する刺々しい嫌味は非常に居心地の悪いものであった。


 そして思わずわたしは、その彼が背負っている因果を否定してしまったのだ。


 もやもやした気持ちで番組を見終わった後、わたしがさっき呟いた言葉は、教育者的にかなりNGだったのではないか? と後悔が襲って来た。


 親や兄弟と縁を切ってでも夢を追うのは許されざるか?


 わたしが今の高校で関わっている生徒達、私立高校に通う彼らの家庭はどこも比較的裕福である。


 もし子ども達が何らかの目標なり夢なりを持ちそれに邁進したいと親に相談すれば、余程の家庭の事情がない限りとりあえずは金銭面での支援は受けられるのではないだろうか? 経済状態が理由で高校卒業と同時に否応無く働きに出なければならないケースは基本的に無いだろう(そんな経済状態の家庭はそもそも燐成学園の学費は払えない。うちは高い)。


 そして燐成学園の生徒達は、賢い。

 良くも悪くも。


 もし夢なり目標なりがあったなら、自分の夢が親にどの程度負担を掛けるのか大体考慮に入れてしまえる。

 実現までのハードルを冷静に分析する。

 自分の能力や情熱に対して親が被る負担ははたして吊り合いが取れているだろうかと、分析した上で自分の夢に対する判断を下す。


 そこに老人達が若者に夢抱くような無軌道な大望をがむしゃらに追い掛ける姿は無い。いやもちろん彼らなりにがむしゃらなのだが、それは将来の青写真をそれなりにしっかり描いた上でのよく計算されたむしゃらさなのだ。


 わたし自身が、『身の丈に合った夢』を目標にする若者達に馴らされてしまっているのだ。

 だから、足枷に繋がれて僻んでいるテレビ番組の青年を視たわたしは、「身の丈に合わない夢を追いたいなら、足枷を断ち切って身の丈を合わせれば良いのではないか」と脊髄反射的に毒吐いてしまった。


 あのテレビ番組の青年に対して不快感を持った理由は何より、自分の不幸や親をダシに、夢を叶えた人間や叶えようとしている人間に泥を投げ付けた点。


 子供の頃の夢を叶えてしまった人間としては文句も言いたくなる。

 

 青年の主張が、どうしようもない身の上から零れ出た止むを得ない怨嗟であっても、それを撥ね除けなければこちらが否定されてしまうではないか。


 どう転んでも正解には辿り着かない。


 その件に関する当時のわたしの結論はそんな感じだった。

 自分の親の病気や家族の事情を持ち出して他人の生き方に反論するのも邪悪だし、そんなに親が邪魔なら捨ててしまえばいい、と一蹴してしまえるわたしも同等に邪悪である。


 ……このずっと忘れていた、十数年前のテレビ番組の討論ショーの青年の存在を思い出したのは緋山奈智子との再会がきっかけだ。


 彼女は、夫と中学生の息子を捨てて一人家を出たのだ。 


 それについて詳しく話を訊いたのは、スーパーの駐車場で秘密を明かされてから二週間後。

 一度目の訪問はその前の週で、その時は夫については軽くはぐらかされてしまったが、その日に改めて促してみると、今度はぽつぽつと話を始めた。


「んー、離婚はしてない」

 わたしの家の食卓に座り、いっそ穏やかな様子でそれを口にする。


「夫には一応家出って事にしているのよね。置き手紙だけ残して、家を出て来た」

「離婚をしていないなら、いつかは旦那さんの所に帰るつもりなの?」

 詰問するような口調になり過ぎないように注意しながら、わたしは質問する。


「……多分、それは無い」

 奈智子は呟くように、しかしきっぱりと言った。


「その手紙にね、まぁもちろん魔法で若返って高校生になりたいなんて書くつもりなかったからそれらしいことを書いたのよ。如何にも中年女性が、これまでの人生に疑問を持って何もかも投げ出さざるを得なくなった、みたいな内容。自分の人生がこのままでいいのかわからなくなって、奥さんとか、お母さんとかの役割が演じられなくなりました、みたいな。ただ、そう言うのって、誤魔化しではあるけど全部嘘でもなかった。確かに、わたしは自分の役割を演じるのが嫌になっていた」


「……旦那さんに不満があったとか?」

 わたしが恐る恐る訊くと、「いやそれはない、夫はわたしに凄く良くしてくれてた」と首を振って否定した。


「夫に大事にされていたのは間違いない。だからこれは全部わたしのせいなのよ。わたしのさがのせい」

さが……」


「みのりぃはさ、人生のピークっていつだった?」

「……え?」

 急に質問されて答えを窮した。


「わたしの人生のピークって、間違いなく中学や高校の頃だったんだよね」

 一瞬フリーズしてしまったわたしの答えを特に待とうとせずに、奈智子は話を進める。


「中学や高校生の時に恋愛していたときが、わたしの人生のピーク。主観的にも客観的にも、わたしの人生それなりに上手くいっていた方だと思う。就職して、合コンみたいな感じで夫と知り合って、結婚して、子供が生まれて。子育ての合間に辞めた会社の伝手で比較的簡単な翻訳の仕事を回してもらって、一応ずっと目標にしていた翻訳家の端くれになって。夫はわたしの仕事に理解もあって子育てについても世間の父親と比べても申し分ない程度には係わってくれていたと思う。充分恵まれている方だったと思うよ、わたしの人生。でもさ、満足できなかったんだよね。

 高校生の時は、これからの人生、辛い事もあるだろうけどその分充実した楽しいものになるだろうって思っていたの。不安もあったけど、大人になる事に希望を持っていた。でも、別にそんなこと無かった。中学や高校の頃に感じていたようなキラキラした充実感がそこには無かった、勝てる要素が何も無かった。多分わたしは根本的に大人が向いてなかったのよ。

 師匠は、そんなわたしのどうしようもない深い絶望に気付いたそうよ。もう一生、心から満たされない人生をあれ以上続けるのは、わたしには無理だったわ」


「だからって……、全部を捨てられるものなの……?」


「ええ」


「息子さんも、そうなの?」


「息子……」


 その瞬間、片眉が痙攣のようにぴくりと吊り上がり、美少女の端整であどけない顔立ちから表情が一瞬消え去る。


 しかしそれは一瞬。

 奈智子は軽く叩くように自分の頬に手の平を添え、困ったような笑みを作る。


「そうか、みのりぃは先生だもんね。子供の事を第一に考えるのは当然か……」


 ごめん奈智子、頑張って誤魔化してくれた所を申し訳無いけど、さっきの一瞬で何を考えているのかわかってしまった。


 子どももいない癖に、そのことでわたしを責めるのか、と彼女は思ってしまったのだろう。


「息子に関しては……、ちゃんと悩んだんだよ? 唯一それは悩んだ。だからせめて息子が中学生になるまではちゃんとした母親をやろうって決めていた」


 唯一か。


 その時点で既に奈智子の夫は懸念材料にすらなっていなかったらしい。


「夫も息子も、わたし無しでもちゃんとやっていけるよ。もうわたしがあの2人に関して何を言っても自己満足の綺麗事にしかならないし」


 そして奈智子は、作り笑いと言うには余りにも甘く柔らかな作り笑いをわたしに向ける。


「奥さんやってるより女子高生やってる方が向いてるんだよ。わたしには」


 ……以上が、家族を捨てて夢に向かって情熱を燃やす人物の証言である。


 常識的な大人としての立場では彼女の『夢』に対しては「理解しがたい」みたいなポーズを取っているけれど、多分根本的な部分でわたしは彼女を否定出来ていない。

 

 それはいつか見た討論番組で家族を理由に他人の夢に苦言を呈した青年に対する反感がわたしの根底にあるからだ。

 わたしがテレビの向こうに放った呪詛通りに実践してしまった人物が現れてしまった。


 そしてわたしが根本的にその夢を否定できないのは奈智子に見透かされている。


 ……しかし、あの討論番組の青年は今どうしているのだろうか?


 高校卒業後に家族のために社会人になったのだろうか?

 家族をちゃんと捨てて自分の夢に向かって邁進しているのだろうか?

 それともそもそも彼は番組側が仕込みで用意した役者で、あの発言自体演技で、今は番組のこと自体忘れて全く別の仕事をしているのかもしれない。


 あの番組さえ見なければ、恐らくわたしと奈智子が同居するなど有り得なかったのだろう。




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