第十三話 ショーケース





「んー、付き合ってるか付き合ってないか訊かれると、まだ正直微妙……」


 運転中、助手席に座る奈智子に対して件のバレー部二年生・柏木との関係の進展について尋ねてみた。

 返ってきたのは、そんな感じのあやふやな返答だった。


「お互いに好感度は高いのは間違いない。でも恋愛にまで発展するかと問われるとそこまで行ってないというか、今のなあなあな状態が丁度良いと言うか……」


 奈智子と柏木の駐輪場での逢瀬を見てから数日後の休日、「秋物・冬物の服が見たいからショッピングモールに行きたい!」と言い出した奈智子に絆されて、朝からかなり遠方のショッピングモールに向かって車を走らせている最中だ。


 助手席の奈智子は緩めのフード付きパーカーとタイトなジーンズというボーイッシュな出で立ちで、スマートフォンに視線を向けたままわたしと会話をしている。


 何着ても似合うなこの人は。


 そして密かに気付きたくなかった可能性に気付いてしまった。


 久しぶりに人の賑わいのある場所へのお出かけも相まってわたしも内心ウキウキしながら身支度した訳だけれど、露骨に子供っぽいコーデの奈智子と年相応の品の有る落ち着いた色合いのファッションで固めてしまったわたしが並んでしまうと、見た目の年齢差のせいでただの親子にしか見えなくなってしまうという点だ。


 車のフロントガラス越しに覗き見た、運転するわたしとスマホを弄る奈智子のツーショットを想像してしまい、ちょっと可笑しくなってしまった。


「お互いキープしてる感じ、とか?」

 わたしがそんな風に指摘すると奈智子は爆笑し、「そう! まさにそんな感じ!」と楽し気に手を叩く。


「本気になるには、多分お互いなんか足りてないんだよね……」

 奈智子の場合それは、相手が子供だからではないのか? と喉の奥まで出掛かったが、ぎりぎりで押し留めた。


「てかさ、みのりぃの恋愛事情はどうなのさ!? 最近の!?」

 逆に嬉々とした様子で訊かれてしまった。


「……変化無いわ。社会人してたらそんなにころころ環境は変わらないでしょ?」

 わたしは少し煩わし気な苦笑いで応えるしかなかった。そもそもこの質問、わたしと奈智子が再会してから3回目だ。


「でもみのりぃ未だに体型維持しっかりしてるし美人じゃん。絶対モテると思うけどな……」


 あはは、嫌味か。


「教師ってぶっちゃけ客商売だから。最低限外面を整えてるだけだよ」

 わたしは自嘲気味に口にする。


「……でも40過ぎで高校男子にオンナを意識させるって十分凄いよ」

 交差点を左折、しかしその時不意に曲がった先の横断歩道に自転車が無理な侵入。急ブレーキをかける程では無かったがわたしは思わず息を呑みしっかりと減速する。思わず毒付きそうになるのをぐっと堪える。


「えと、ごめん。聞き逃しちゃった」

 自転車の無理な横断に神経を集中させていたせいで、奈智子が小声で何か言おうとした言葉が聞き取れなかった。

 しかし奈智子は努めてからりとした様子で「ううん、何でもない」と誤魔化した。

 追及を拒まれてしまった。

 何を言おうとしたんだろ?


「ていうかみのりぃの交友関係って結構謎。普段知り合いとかと逢わないの?」

 なんと訊き辛いことを訊くのだろうこの陽キャは。わたしは思わず引き攣った笑みが零れてしまった。


「あー、最近会ってないわ。忙しさにかまけて」

「そうなんだ。えー、どういう友達? その最近会ってない人」

「……高校の頃からの友達よ」

「えー、だれだれ? 知ってる人?」

「……綿貫って覚えてる?」

「ん?」

綿貫佳苗わたぬきかなえ。……ひなさんとは同じクラスになったこと無いかも」

「あーごめん、ピンと来ない。どんな感じの子だっけ?」

「……」

 

 ……この、『同級生の人隣りを、絶対その同級生を覚えていないと断言できる別の同級生に説明する』瞬間が、実は人生において十番目くらいに嫌いなタスクなのだが、誰か同意してくれる人はいないだろうか?


「特に目立つ子でも無かったから。背は低めでいつも髪をアップで纏めてて。吹奏楽部と漫研を掛け持ちしてたから接点があって……」


 美しい少女の顔の眉間にピクリと皺が寄る。


「いやごめーん。全然記憶にないや」


 ……人生において、『友達の友達』の話題で盛り上がった記憶が一度として無い。


一応同じ学び舎で生活していた間柄だが接点の無い相手など記憶に残っているはずはなく、いくら説明を尽くしても最後にはこういう大きな空振りで全てをフイにしたような居心地の悪さが当事者達を包み込むのだ。


「みのりぃ、園部先生とは仲良く無いの?」

 不意に予想外の名前が出てきてわたしは内心驚いた。

 いや、それほど予想外でも無いのか? そもそも奈智子と柏木の噂話をわたしに教えたのが園部先生だと既に明かしてしまっているし、わたしと園部先生が自販機の前でティーブレイクをしている様子は生徒にも見られているだろう。


「いやー、オフには会わないな。学校ではよく話すけど、外で会うほど仲良く無い」

「そうなんだ……。園部先生ってさ、夜の街とかメチャ似合いそうだよね。ショットバーとかで飲んでる姿とかやたら画になりそう!」

「あー、それ凄いわかる」


 ……ほぼわたしと同じ印象を抱いているらしい。


「何かしら理由と付けて食事に誘ってみれば? 普段どんな感じか気になる!」

「気軽に無茶振りするなぁ~」

 呆れたような苦笑いで何とか誤魔化そうと試みる。

 これ以上園部先生の話題を続けると彼女を食事に誘う約束をさせられそうで気が重い。

 ……いやまぁ、学生時代の同級生と半同棲してしまっている時点で人間関係のストレスを抱え込むことに今更過度になってどうするんだという気もしないでもないが。


「そっかぁ。まぁ今度園部先生の普段着を目にする機会が有ったらレポートよろしくね」

「……了解」


 ただ、奈智子は不意にそれほど親しくない幼馴染の自宅に居候を始めようとする奇行を強行する反面、わたしとの距離感にはかなり気を遣っている気配がある。

 先程の綿貫佳苗の話題や園部先生についても、わたしが不快になるギリギリで話を切り上げようと意識しているのがわかってしまう。

 わたしの不快感がかつて憧れていた美少女に徹底管理されてしまっている感覚は、少々後ろ暗い優越感を、わたしにもたらしてくる。


「でもさ、大人もこの年まで続けると友達付き合いの維持なんてよっぽど意識しないと無理じゃない?」

 そんな奈智子の、押し引きを弁えた絶妙な聞き上手っぷりに気を良くしてしまったわたしは、普段は極力脳内でも明文化を避けている心の『しこり』を口に出したくなってしまった。


「みんなそれぞれの生活があるっていうか、そもそもわたし独身でしょ? その時点で結婚してる相手と隔たりがあるっていうか、共通の話題が無いのよね……」

「あー……」

 奈智子は溜息を吐くような声で同意する。


「それは、結婚生活の話の熱量に負けないくらい教師としての話をするしかないね!」

 ニヤリとしながらそんな事を言う奈智子。


「いやその、どっちが人生充実してるかマウントの取り合いみたいになりそうで、凄く嫌なのよ」

「あはは、なるほどねぇ~。 その……、綿貫さん? とはそういう話しないの? ていうか綿貫さんは結婚してるの?」

「うん、してるよ。まぁ、佳苗も旦那さんの話とか子供の話とかするしわたしからも仕事の話はするけど……、お互い踏み込み過ぎない暗黙の了解的なモノがあって、どっちかが自分の話をがっつりしたい時以外はあんまり話題にならないのよね」

「なるほど、交友が長続きしている理由はそれか」

「それは多分にある」

 ……まぁ、長続きしている一番の理由は共通の趣味だよなぁと密かに思う。綿貫と会うとほぼ確実に男性の役者や声優談議になる。


「……わたしはねぇ、ある程度の時期までママ友との付き合い大事にしてきたよーとか、そういう感じの自分の話をしてあげたいけど無理なんだよね~。そういうの全部捨ててきたから」

「そうね、見事に全部捨てたわね」

 ぶっちゃける奈智子の表情は笑顔ですらあった。


 彼女に至っては友人と疎遠になっていったとかそういうレベルではない。


 夫と息子を捨てたのだ。


「『同じクラスに一緒にいる』だけで友達になるためのハードルひとつ飛ばせるのって、大人からしたら破格のアドバンテージだよね。物凄い贅沢だったんだなって再認識した」

 ……それに関してはまぁ、『全く目的を共有しない相手と同じクラスにさせられる』ことの無い大人のアドバンテージと表裏一体なのでそれほど素晴らしいとは思えない、と内心少し思ったが、発想が後ろ向き過ぎてこの場では口にしない方が良いだろうと判断出来た。


「……それは、恋愛に関してもそうなの?」

 代わりに、『奈智子が喋りたがっていそうな話題』を振ってみせた。


「恋愛に関しても……、うん、そうだよね」

 奈智子も、待ってましたと言わんばかりのはにかんだような笑み。


「大人になってから異性と出会おうと思ったらさ、例えばマッチングアプリとか婚活サイトとかお見合いとか、あからさまに異性としての関係を作りたいって前提がまず出来ちゃうじゃん。まずそれが楽しくないと言うか、ときめかないのよね。

 その点高校生活はすごく良い。色んな男の子にただ単に『顔見知り』とかそんな理由だけで話し掛けられる。それで『友達』とか『先輩後輩』とか口実を使って品定めしたり関係性を深めたり出来るのが、楽しい。はしゃいでしまいそうなのを押さえるのが大変」


「まるで狩場ね」

 自分でもどうかと思ったけど思わず皮肉交じりに呟いてしまった。


「んー、ショーケースに近いかも?」

 しかし奈智子は屈託無くもっと身も蓋も無い喩えを繰り出してきた。


「いやいや、ごめん、今のやっぱ無し。やっぱり高校生は高校生だよ。みんな一人一人が、健やかに成長して欲しいと願ってる」

「……急に模範的な大人みたいなこと言うじゃない?」

「いや、流石にショーケースははっちゃけすぎたよ」

「けど高校生の健やかな成長を一番邪魔しているのはひなじゃないかしら?」

 そう言ってやると、奈智子はバツが悪そうに笑い、


「それはまぁ……、許して、としか言えない」

とか悪びれずに口にする。


 ……まぁ、今更強く糾弾するつもりにもなれないが。


 その後、ショッピングモールに近付いてきた辺りで、このツーショットって親子みたいに見られちゃわない? と苦笑いを込めつつ奈智子に話題を振ってみると、そうかな? と不思議そうに首を傾げる。


「そうかなぁ、みのりぃそんなに老けて見えないよ?」

 などと屈託無く言ってくる。


「少なくとも高校生くらいの子供が居るようには見えない」

「そうは言うけどさ、瀬河くんにだって高校生の息子が居るんだよ?」

「……あー」

 奈智子はそこまで言われて大人しく納得する。


「みのりぃは……、わたしと親子くらいの年齢差に見られるの、嫌なの?」

「嫌じゃないけど……、対外的にどういうスタンスで行動すればいいのか纏まらなくてさ」

「だったら、モールで別行動っていうのもアリだけど?」

「それは……」

 それは余りにも、寂し過ぎないか?


 わたしが奈智子の誘いに乗った理由は、奈智子との買い物がどんな感じになるのかと興味が湧いた部分が大きく、買い物で別行動をしてしまったら一体何しに来たんだという話になってしまう。


 まぁ結局、『親子』ということにしてショッピングモールを回ることになった。

 設定だけそうするだけで別に何か特別な演技をした訳じゃないけど。


 お店の中ではお母さん、って呼んだ方が良い? とにやにや笑いながら奈智子が確認して来たので力強く断った。




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