第六話 あだ名
瀬河玲がその父親・瀬河長幸の面影を色濃く残していた点には驚かされた。
瀬河長幸の息子が入学して来たことと、緋山奈智子のそっくりさんが現れたこと。
この2つの出来事に関連性があるのかどうか、ハッキリとはわからないが、完全に関係無いと断じてしまうには余りにも出来過ぎた符号である。
幼馴染の恋人だった瀬河長幸の息子の存在を呼び水に奈智子の姿を幻視してしまったとかそういう理屈の方がまだ幾らか心穏やかになれるが、あのとき見た奈智子の姿、一年生女子生徒に交じって階段を降りていたワンシーンは幻覚や見間違いと断じてしまい難いほどのインパクトをわたしの脳裏に焼き付けている。
緋山奈智子とそっくりの人物が校内に居るのは間違い無い。
わたしが学生だった頃から勤務している学校関係者はかつて数学教師だった教頭先生しか居ない。その彼からは(瀬河以外の)別の同級生の子どもが入学しているという話は聞いていない。
ただまぁ、教頭先生がわたしの同級生の存在を知ったのは瀬河長幸のパーソナルデータを調べていて偶然、という可能性は高い。立場上、入学してくる生徒の両親が著名人ならば事前にある程度情報を集めておくものなのかも知れない。
瀬河長幸は、著名な画家兼イラストレーターとして一般に知られている。
画家あるいはイラストレーター、である。高校時代のイケメンサッカー少年の彼にはキャンバスに向かい絵画を描くようなイメージは全く無かったのだが、25年もの時を経てわたしの人生に姿を見せた瀬河長幸は有名な画家になっていた。
ネットで彼の作品を幾つか調べてみた。
わたしは正直絵画について専門的な知識は無いが(キャラクターのイラスト的なモノは穴が開く程視ているではないかと問われれば認めざるを得ないが専門的なことについては何もわからない)、長幸の作品を幾つか観たときの感想は、我ながら上から目線だとは思うが「なるほど、これはバズりそうだな」というものだった。
画家・瀬河長幸の題材は主に街並み、都市の風景である。
だがそれはいわゆる風景画とは一線を画し、妙に玩具めいた、ジオラマのような質感がある。
異様に精緻でなおかつどれも俯瞰から描かれた作品ばかりなのだ。
例えば公共施設や観光地に展示されている街のジオラマを見下ろすような、高揚感やワクワク感を強制的に呼び起こすような求心力を備えている。
怪獣映画に少年達が心躍らせる理由のひとつに、怪獣が暴れることと同じくらいのウェイトで非常に手の込んだジオラマの街並みに惹かれている部分がある。長幸のイラストは人々のそういう欲求に非常に的確にコミットしているように思われる。
その点に関してはやはり彼本人もかなり恣意的らしく、実際に自身の作中で怪獣が暴れているイラストや街並みよりはるかに巨大な人物がジオラマを製作しているようなものさえ存在する(そしてそれらの怪獣や人物の絵も違ったタッチでやはり巧い)。
そしてわたしは、これらのイラストの幾つかに見覚えが有った。
キャッチーなイラストが買われ企業や公共機関のイメージイラストを請け負っていたらしく、一時期はテレビ出演をしていたこともあったらしい。マジかよ。
……こうして、かつての同級生が世の中で活躍している様を見せつけられると、誇らしいなんて気持ちよりも以前に、もやもやした腑に落ちない気持ちを抱かせる。
それはその人物に、かつての何者でも無い学生としての姿が色濃く焼き付き過ぎているからなのだろう。
そしてたぶん瀬河長幸からすれば、わたしが高校の先生をやっている姿など奇妙奇天烈以外の何物でも無いだろう(そもそも、彼がわたしを覚えているかどうかもわからないが)。
閑話休題、物凄く話が逸れた。
教頭先生が瀬河玲の父親について知っていたのは、本校の卒業生であり著名な画家だったからと思われる。
だから、緋山奈智子によく似た人物が仮に奈智子の血縁者だとしても、教頭先生のセンサーには引っ掛からなかったのだろう。立場上、現場に出て生徒達の顔を見て回りはしないだろうし(現にそんなシーンは見覚えが無い)、そもそも25年前の卒業生の顔など覚えてはいるかどうかは疑問だ。
この時点でわたしは、問題の少女が『緋山奈智子の娘』である可能性を疑っていた。
後になってから、奈智子には息子が一人居るだけだと知るのだが、当時は10数年以上彼女の動向について全く何も耳にしていなかったので、『娘』が入学して来た可能性がずっと頭をもたげていた。
新一年生の名簿を何処かで見せてもらうのが一番わかり易い確かめ方だ。
しかしこれが意外に難しい。
誰かに見せて欲しいと頼むにしても「高校時代の同級生のそっくりさんを探すため」なんて理由で名簿を借りるのは賢明とは言い難い。かと言って、誰も居ない時にコッソリ盗み見るなんて方法も気が進まない。
そもそも、奈智子が結婚しているなら姓が変わっている可能性が高いので名簿を見た所で何もわからない可能性の方が高い。
しかし駄目で元々、何らかの方法で一年生の名簿を確認したい欲求はどうしようもなく燻っていた。
名前もわからないが、何かの片鱗をそこから見出せるのではないかという期待が拭い切れない。
リスクを冒さずコッソリと名簿を確認する方法、数日悩んでひとつの方法を思い付いた、と言うか、簡単な方法があるのを思い出した。
授業の入っていない時間帯、職員室でデスクワークをしていたわたしは、用事でもある風を装って職員室を出る。
そして無人の廊下を足早に進み学生達の下足室の向かいに設置されている掲示板の前までやって来る。
両腕を広げたよりもやや広いサイズ、それは学生に向けての情報が張られた掲示板で、学校側から生徒に向けたポスター(学生をターゲットにした犯罪に対する警告とか、学校の行事予定とか)と生徒から生徒に向けてのポスター(部活の勧誘とか新聞部の新聞とか)がそれぞれ棲み分けをしつつ一定の間隔を開けて貼られている。
目当ての掲示物は中心のやや下側に貼られていた。
新一年生のクラス分けの名簿である。
入学式の日、下足室の前の入り口にクラス分けの名簿が仮設の看板に大きく掲げられるが、同時にこちらの掲示板にもついでに貼られる。
こちらは何故か毎年、一学期一杯まで貼られている。
たまに数人の生徒達がこれを見ながら気になる異性や目立つ生徒、母校の中学校の同級生の打ち分けの話などで盛り上がっている姿を見掛けるので、そういう小さな需要を意識して敢えて貼りっぱなしにしているのかも知れない。
貼りっぱなしにしてくれている学年主任(か誰か)の采配に感謝しつつ、異様な静けさが満ちた下足室で一年生のクラス名簿を確認する。
……授業中の廊下は本当に静か。耳をすませば、チョークが黒板を打つ音や教師の授業の声が微かに聴こえてきそうだ。
だからこそ周囲の『静寂』にひどく敏感になる。
この状況を他の先生方に見られたらちょっと言い訳が面倒臭い。
茶道部の新入生達のクラス割りに興味が出た、とかそれらしい言い訳を頭の中で組み立てつつ、淡々とした名前の羅列に視線を走らせる。
一年三組に『瀬河玲』の名前を見つける。
やはり顔と名前が一致する人物を見つけると注目してしまう。
そして何となく彼が属するクラスの名簿を特に入念に見てしまう。
まぁ、一年生の生徒の名前などは全然わからない。あ、茶道部の新入部員の名前があるな。
ん?
その時微かに感じた違和感。
一年三組に名を連ねる一人に、目が留まった。
葉山ひな。
目が留まったのは単純に、ひらがなの名前って珍しいな、程度の何気無い理由だった。
だがその名前にわたしは何か引っ掛かった。
記憶の扉がノックされる感覚がある。
そうだ、『ひな』。
この名前には見覚えがあった。
緋山奈智子のあだ名だった。
奈智子は中学生の頃自分の名前が嫌いだと言っていて、友人達に自分を『ひな』と呼ばせていた。『ひやま』の『ひ』と『なちこ』の『な』を合わせて『ひな』という訳だ。
……その拘りを聞かされたときは奈智子らしからぬ思春期っぽい要求だなぁと内心微笑ましく感じた。
そんな記憶が、あだ名を巡る思春期の少女達の独特な拘りと遊び心を、当時の瑞々しい心象風景を、わたしに無理やり思い起こさせた。
奈智子のあだ名と同じ名前の一年生が居る。
不合理だが、「偶然にしては出来過ぎている」と思えてならなかった。
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